「エモい」は雰囲気を壊す。

先月、めでたく誕生日を迎えた。







誕生日の日は、幼稚園からの仲であるAくんと、小学校からの仲であるBくんの、幼馴染2人が毎年連絡をくれる。







簡単に2人の近況を勝手ながらに綴ると、Aくんは会社の駐在員として4年ほど前からベトナムで日本人の嫁さんと子ども2人で暮らしている。







地元に立派な一軒家を建てたのだが、入居した最初の月に酔っ払って帰った際に玄関でしっかり立ちションして奥さんにドヤされ、2年後に熊本地震で壁にしっかりとヒビが入り、「建てたばかりなのに~」と軽く泣きが入り、それから3年後には海外赴任が決まり、単身ベトナム入り。ベトナム入りした途端、ご存知コロナの世界的なパンデミックの影響でホテルに軟禁状態。たぶんあの家は呪われていると個人的には思っている猛爆







Bくんは、まあ紆余曲折ありバツ3子ども3。という華々しい成績を残し猛爆、現在新しい嫁さんとそのお父さんお母さんと一緒に市内のタワマンで肩身狭いなか、それなりに楽しくやっている。







自分も含め、3人が3人とも似ても似つかぬからまた面白いのだが。







そんな2人のうち、Aくんは自分と誕生日が1週間違いであるため、Aくんからハピバメールがきた1週間後にはこちらからハピバメールを送るのが通年行事になる。







「誕生日おめでとう!ベトナム楽しんでる?」とメールを送ってみたのだが、それに対する返信が「ありがとう!今、嫁と子ども2人は1ヶ月前から日本に帰国していて1人だよー😂」との返事。







どうやら、子どもの長期休みは毎年日本に帰国しているとのことだった。







なんとなく、「せっかく家族いるのに誕生日に1人って寂しいだろうなぁ」との思いから試しに電話してみることに。







しかも、実は試みたことがないテレビ電話で爆







電話が繋がると、なんとなく嬉しそうな表情で「お~、電話ありがとう~!元気しとるね?」と、いつものやりとり。







話を聞いていると、現在会社から提供されている家がタワマンで19階に住んでいること(ベランダからの眺めをスマホ越しに見せてくれた)や、出勤時は限界に社用車がマンションの入り口まで迎えにくるらしく、door to doorで仕事フルスイングの毎日だということだった。







異国の地で、家族を養うためにも仕事を頑張っている彼の対して「マジで凄いなぁ、今までめちゃくちゃ頑張ったんだなぁ。」と声をかける自分。ハニカミながら「そうなんだよ~!マジで頑張ったっしょ~??」と笑う彼。







お互いに住んでいる環境が変わっても、一緒にドッチボールをしたり、ミニ四駆を2人でいじったりしていたあの頃となんら変わらない空気感で、なんでもない話をあーだこーだと話すことができたと思う。とてもエモい瞬間だった。









話は変わって。







以前、このブログで紹介した父方の母であるアマゾネス。その旦那さんであり自分の祖父の話。







彼はとても寡黙な人で、朝5時頃起きて作業服に着替え畑をいじり、7時頃に帰宅し朝食。その後スーツに着替え役場で村長として仕事。夕方前には帰宅し、風呂に入ったあと自分が育てた野菜をツマミに、村の人たちからもらった地元の酒を呑み、7時には床につく。というルーティーンをこなす漢だった。







そんな彼の晩年は、裏山にある畑から自宅までの農道を整備するため、朝から作業をしていたのだが、ある日の早朝に重労働がたたり作業中に心臓発作を起こし、自分が作っていた農道で1人帰らぬ人となった。







そんな彼を、スーパーで買い物しているときにトマトを見て思い出した猛爆







彼は夏の時期になるといつも、自分で育てたトマトをおもむろにくし切りにし、平皿へ雑にのせ、ウスターソースをドバッとかけ、それをアテに、ステテコ姿で1人食卓キッチンで酒を呑んでいた。







そんな記憶がブワ~ッと脳内再生されたのだ。スーパーの野菜売り場で爆







そうなったら、やらずにはおれない。







当時、彼がよく呑んでいた酒の銘柄は覚えていたので、さっそくネットでポチり、キンキンに冷えたトマトとウスターソースも準備しいざ晩酌。







割と好きかも。しかしまあ食事としては全然足りないが爆







こういうなんでもない日に、ふと故人を思い出して偲ぶことってなんともエモい。

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