見出し画像

死ぬことが怖いはなし

あなたは健康な友人が

「死ぬのが怖いんだよね」

と言ったとき、その人にどんな言葉を返すだろうか。

「そりゃ誰でも怖いでしょ」

「今すぐ死ぬわけじゃないんだから大丈夫だって」

「なにか死ぬほどつらいことがあるの?」

「あーわかるわかる、子供のころは怖くて夜泣いたりしてたなー」


そのどれも私が実際にかけられてきた言葉なのだけど、ぎょっとされたり、軽く流されたり、私の心配をしてくれたり、その人なり過去感じた気持ちにあてはめて共感してくれようとしたり、そんな言葉たちを受け取る度に

「ああ、この人は違うんだ。」と思い続けてきた。


自覚

はじめて私が「自分がいずれ死に、この世界に存在しない存在になること」を理解したのはおそらく幼稚園とか物心がついた頃くらいの年齢だったと思う。

正確なことは今や何も覚えていないんだけど、それを甚く理解してしまったからこそ、私はその後もその恐怖と共存して生きることになる。
私の母親もその恐怖心の話を投げかけると「子供の頃は怖かった」という話をしてくれたので、もしかしたら人間はその事実を実感した直後には、よくある癌の余命宣告後のように、いつか確実に訪れる死に対して恐怖に感じてパニックになったりするようにプログラムされているのかもしれない。
ましてや子供の頃なんて物事に対する認知や理解の範囲が狭いだろうから、「死」に直面したときにその範疇を超えてしまって自分の感情を理解できずにパニックになってそれが涙として表出する、みたいなことが往々にしてあるんだろうなと思う。

ただ、私の母や友人を含む大多数の人たちはそのパニック(とまではいかなくても夜中に布団に入って涙を流すような経験)を経て、年齢を重ねていくにつれ「いずれ死ぬ」ということを受け入れて、日常生活ではそんなことはほぼ考えずに生きていっているように見える。

ちなみに「よくある癌の余命宣告」というのはキューブラーロスが定義した死の五段階の受容プロセスのイメージです。

キューブラーロス 死の受容プロセス
第1段階:ショックのあまり、事態を受け入れる事が困難な時期
第2段階:「どうして自分がそんな目にあうのか?」と、心に強い怒りが込み上げる時期
第3段階:事態を打開しようと必死になる時期
第4段階:事態が改善しない事を悟り、気持ちがひどく落ち込む時期
第5段階:事態をついに受け入れる時期

引用:https://allabout.co.jp/gm/gc/440944/


名前を知る

そうして人に話しても「何か違う」と思いながら誰にも理解されずに過ごしていた私が、この症状の名前を知り、私と同じような人が他にもいるんだ…!と知ることになったのは高校生になり、ケータイを手にしてmixiに登録してからのことでした。(世代感…笑)

当時mixiはすでに会員の友達から招待されなければ入れないコミュニティサイトで、そこではみんな日記を書いたり、mixi内にコミュニティでにあるコミュニティに入ることで、自分のページに表示されて自己紹介的な感じになっていました。

私の高校でもにわかにmixiが流行り始め、もはや誰に招待されたかは全く覚えていないものの、登録をしコミュニティをふらふら見ていたその時に確か「死ぬのが怖い人」みたいなコミュニティを見つけたんだと思う。

私の症状

そのコミュニティで、はじめて私の症状が「タナトフォビア」という名称だということ、タナトフォビアにも色々な症状があること、同じ「死」恐怖症でも何に恐怖を感じるかも違うことを学んだ。

死恐怖症(しきょうふしょう、英語: death anxiety)は、死の観念によって引き起こされる不安の症状。「ひとが死に至る過程や、存在することが止まることについて考えるときに認識され、心配になるという感覚。これはタナトフォビア (thanatophobia) とも呼ばれる。
引用:Wikipedia

ずっと誰にも同じ感覚の人に出会わず生きてきたので、自分だけの症状じゃなかったんだと安心して、名前がついていることに対してもひどく安堵したことをよく覚えてる。
見つけた時は夢中で色んな人のコメントを読み漁った。
事故等で死ぬ場合に感じるであろう痛みに恐れを感じる人、死んだ後に無になることが怖いと感じる人(ここでは宗教的に生まれ変わったりすることを信じている人はあんまりいないようだった。)、死んだ後に火葬されることが怖い人
ちなみに他者の死に恐怖を感じる人もいて、それはまた別の名称があるらしく、タナトフォビアはあくまで自分の死についての恐怖のことだそうです。

症状も千差万別、死について考えると発作がおきて日常生活に支障が出る方(病名として診断されるラインとしてはここみたい)、夜寝る前や他者の死に触れた時に考えてしまって過呼吸になってしまう人、今生きている心地がしなくて地面が揺れて穴に落ち続けているような恐怖を感じてしまう人。

私は日常生活に支障があるわけではなく、突然(特に夜)自分の死後のことを想像してしまって恐怖に襲われてしまうような感じ。

ただ、それがやってきた時、私はずっとその感情に蓋をしてきた。

その感情に向き合ってしまうと、怖くて息が詰まってしまうから。
向き合わなければ、私はただ今に集中して楽しくて幸せな瞬間を重ねていけるから。

たまに少しだけ蓋が開いてしまうことがある。
誰かの死に触れたり、夜中眠れないときに、それは顔を出す。

蓋を開くと
胸の真ん中が、人間の中心が、ぎゅっと黒く塗りつぶされていく
ブラックホールみたいに私のこと全部飲み込んで
体も、記憶も、感情も、全部無くなった後のこと想像して
私が見て、聞いて、感じて、経験していることはたったの数十年で
その前も、私が死んだあともこの世界は何百年、何千年、何億年も続いてきたし続いていくのに
私はその数十年だけ切り取って前後は真っ暗で
いつか生まれる前の暗闇に取り込まれてしまう
死んだ後、この切り取られた数十年は無かったことになってしまう
私だけが「私」として感じていた記憶も、価値観も、存在も、自分では何も感じ取れなくなってしまう、無かったことになってしまう
ひゅっと穴に落ちてもう戻ってこられない
永遠の無
たまらなく怖い

幸いなことに、私はこの状態と長く付き合ってきたおかげで蓋の開け閉めが割と自由にできる(ようになった)。
怖いから思考を無理やり外に追いやって、蓋を閉めることができる。
そうやっていないとちゃんと立っていられない。

だから小さい頃からその気持ちに蓋をして、見ないようにして生きてきた。

昔からそれが私の生存戦略だった。

タナ友との出会い

ちなみに余談だけども、私がこのことを書くのは結構勇気がいることだった。
度々、近しい人にはこの話ができるようになっていたけど、おおっぴらにこんな話をしたことがなかった。自分が変だと思っていたから。
でも私がそれを少しずつ話せるようになっていったのは、同じ症状の友人に出会えたことが大きなきっかけになっていると思っている。

それは突然私のFacebookのタイムラインに現れた。

「私は死ぬのが怖い(タナトフォビア)です」という投稿。

二度見した。

そんなこと、Facebookに書くという発想なんてなかった。というかそんなこと公表できる人いるのかとびっくりした。
私の大学の友人がいいねしていた投稿で、投稿者は私の知らない人だった。でも思わずコメントしていた。その後とんとん拍子で直接話す機会を設けることができたり、もう一人同じような症状の人がいるとの紹介で3人で会ったりしたこともあった。関東と関西だったりしたけど都合を合わせて会った。そのくらい、私たちはこの感情の共感に飢えていたし求心力があった。

初めて、私の気持ちを共感してもらえる人に出会えた。

その2人と話すのはとても興味深くて、2人は私が蓋をしていた気持ちにもちゃんと向き合って思考を深めたりしていた。死にたくないとはどういうことか、死なないためにやっていること(私は蓋するだけなので特に何かやっていることはなかったけど2人は色々考えてて普通に尊敬した)、そもそも何が怖いのか、自分が欲張りな人間なのではないか、ラプラスの悪魔の話、自由意志、宇宙、宗教。自分一人では辿り着けない色んな話をした。

何より、死への恐怖に対して、同じレベルで話せることがネットで得た安心感以上に嬉しかった。

少しだけ、そういう自分を受け入れられた瞬間だったと思う。

自分と向き合うこと

その後も、職場で良い上司に恵まれて、自分のキャリアや人生を考えて深掘りしていく中で自分の考えが深まったと感じることがあって

結局タナトフォビアだということは、死という未知の経験への恐怖であり、私はきっとすべてを知りたいという欲があるのかもしれないこと。オタク気質で好きになると全部知りたくなる行動とかもきっと根源の欲求はそこに繋がっていて、結論私は全知全能、不老不死になりたいのかもしれないということを言葉にするとバカみたいだけど大真面目にきっとそうなんだねと笑いながら上司と話したりした。
しょこたんが好きだけど「彼女になりたいわけじゃない」と思い込んでいたけど、ほんとうはきっと普通に憧れて重ねていたらしいこともわかった。ややこしいプライドとか、こうありたいというのが強くて無理にそこに本来の気持ちをねじまげて持って行ってたりしてたんだなあ、みたいな、今まで避けていた見たくない弱い嫌いな自分を見つける作業をたくさんした。でもそれも全部「私」だということ、それを知るというだけで今までとは違う感覚が生まれた。知っただけなのに不思議と格段に生きやすくなった。

ずっと「こうあらねば」というものに縛られて、というか自分でも気づかない内に縛り上げて、見たくないものに蓋をして、それが本当の自分だと思っていたんだと思う。

社会人になって少し経った頃に「生きづらそうだね」って言われたことがあった。
その時は、本当に私のどこが生きづらそうなのか全くわかっていなかった。
今ならわかる。
あの頃の私は生きづらかったね。きっと頑張ってる感が伝わってたんだと思う、こういう自分でありたいに近づくことに必死だった。

でも本当にそういう自分の嫌なことをちょっとずつ直視していく行為が、自分を生きやすくすることに繋がるなんて驚きだった。

だからこそ、死ぬのが怖い話もしちゃいけないものじゃないって思えるようになったんだと思う。

高所恐怖症の話がタブーではないように、死恐怖症だって怖いけど話しちゃいけない話ではないのだ。

向き合って昔と変わった事

私は今まで「別に長生きしたいと思わない」と言った友人に対して、どこか悲しくて、どうして私はこんなに生き続けたいと思っているのに何故?と理解しあえないような気持ちを抱いていた。
仲の良い友達には全員5000年生きていてほしいし、私も生き続けたいと思っていたから。

ただ、最近は個人としての死はさほど意味を持たないかもしれないという気にもなっている。

こうやって死についての話は悲観的な話ではないと言いながら、自死を悲しいことという世間の常識的な風潮に押し流されて、頭を使わずに語ってしまうこともある。
実際にこの世に絶望して、希望が持てなくなって、苦しくて痛くて耐えられなくて、それ以外に選択肢がなくなってしまって自分の世界を終わらせてしまう人も多いだろうから、それは悲しいことと捉えられても仕方のないことなのかもしれない。

タナトフォビアに完治はないと思っていた。
友人もいまだに眠れない恐怖の夜を迎えているという。

ただ、私はまだ自分の死にフォーカスすると怖いけど、全体の中の個人の死に意味はないかもしれないという考え方ができるようになってきたというのは、一つの寛解の状態とも言えるのかもしれない。

***

ちなみに小学生の頃、初めて家にきたPC、Windows98の隠しフォルダに「遺書」を作っていれていた。

この頃から、私は小学生ながらいつか死ぬ存在なんだと重く受け止めていたんだなあと思う。
何を書いたかは覚えていないし、今はもうそのPCはきっとどこにも存在しないはずなのでその隠しフォルダの内容を目にすることはできないけど、それを一生懸命書いていたことだけはよく覚えてる。

歴史の授業が結構きつくて、教科書に書かれていることは何百年前、何千年前に実際にこの同じ地球、同じ日本で起きたことで
その時代にも私たちと同じように人間が住んでいて、今よりもずっと短い期間で死んでしまったり殺されてしまったりして、そうやって時を重ねて現在に繋がっているのに、自分が生きている現代は数ページで終わってしまって、その後追加される数ページを自分が生きたら、きっと自分の知らない出来事がまた歴史として何百年、何千年後の子供たちが学んだりするんだろうな、みたいなことを延々と考えてしまってまた蓋が開きそうになっていた。

きっと自己愛が強いというのもあるんだろう。

大切な特別な自分が終わってしまう、という恐怖。

個人に目を向けると、いつか来る終わりはまだ怖いけど、生きる意味とか死ぬ意味とか与えようと思えば与えられるし、マクロで考えると意味なんてないとも思える。

意味がないことを虚無に思うネガティブはあんまり今はない。

自分に向き合って、今楽しい幸せな日々があって、その積み重ねはあっという間かもしれないし、案外長く感じるのかもしれない。

まだ最後に私がどう感じるかはわからないけど

死んだあとこの文章読んで馬鹿だなあって思えたらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?