エレイン・アーロンの功罪または自然選択説

誤解を恐れずに言えば、世にいる鬱病の方の中に高い割合で「職業鬱」が潜んでいる(と、私は思っている)。

仕事に起因する鬱症状の方という意味ではない。鬱と診断される事で少なくとも本人個人が享受され生活が出来てしまう状況の事である。

名前がついたことで都合よく解釈されるようになったものが世の中には多々あると私は思っている。

8050問題も、その1つではないだろうか。

子育ての失敗を認めたくなかった皺寄せとの違いが私にはわからない。
私は80歳でもないし、そもそも子もいない。
何がわかると言われればそれまでだが、わからないなりの目線には、そうとしか見えない。

が、8050問題などと名前がつくと社会問題然としてくる。
たしかに50歳を過ぎた世代が60万人から社会に適合出来ないとなると社会問題の様相だ。が、1つ1つは単に「失敗した家族」に過ぎない。

たとえば性格の1つにHSCとされるものは、或いは要因の1つとしてあるのだろう。が、それは、あくまでも要因の1つに過ぎない。

対人関係だ過剰労働だ、不安障害が背景だのと理由はいくらでも出てくるだろう。

が、根っこはシンプルだ。
その家族は互いに「相談もできない相手」だっただけである。

私は40過ぎだが、父も母も他界している。
単純に「働かなければ食えない」身の上である。
ツライやシンドイで引きこもっていられる余裕もない。
妻と猫2匹を養うためならドブでもさらうだろう。
幸いそこまでの事は今のところなさそうだが。

つまり私はひとりではない。
気持ちを支え、背中を押してくれる家族がいる。
だから、がんばれる。

引きこもるというのは、屈する事を許される前提で成り立つ。
8050問題のポイントは、このままでは前提となる「許していた側」がいなくなる。
国としては許していないので、面倒を押し付けられるのも困る。
社会問題にしてしまおう、という立てつけにある。

そこに名前を付け、至る背景と理由を探し、皆で頭を抱えるのもいいだろう。
が、実態はフェーズが進んだだけなのだ。
責任放棄して子を放ったらかしにしていた親が見て見ぬふりを決め込んでいる自治体に泣きついたわけだ。

たぶん、われわれはツケを払うことになる。
もう少し先の話だろうが。

ただ、ふと思う。

この15年で孤独死の数は2倍以上になっており、まだまだ増加の傾向にある。
あるいは、チャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスによって体系化された説になぞらえる事が出来るのかもしれない。

だとすれば危惧する事はないのかもしれないが。