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【旅行】仙台苫小牧ドンブラコ −14− 苫小牧市科学センター

ソ連の宇宙ステーション「ミール」の実物が展示されている苫小牧市科学センターにいる。
片田舎の青少年科学館のような施設になぜこんなものがあるのだろうということに感動を覚えつつ、ミールを眺めている。
それでは中に入ってみよう。

コアモジュールの側面に開けられた入り口から中に入れるようになっている
ここがミールの操縦室
コンソールパネルには懐かしいVHSのビデオデッキが収まっている

階段を上がってミールの内部に入ると、なんというか鉄道の連結器付近のスペースを彷彿とさせられる。
1Gの重力が働く地上で見るとなんとまあ狭苦しい環境だが、無重力だと空間の認識が変わるのだろう、地面なんてものは存在せず全ての壁面が利用可能な面になるので、至る所に収納が設けられている。
また無重力だとあらゆるものはフワフワ浮いてどこに飛んでいくか分からないためか、ものを挟んで固定するゴムバンドが至る所についているのが印象的だ。

操縦席のコンソールパネル

操縦席の操作パネルはいかにも1980年台のパソコンといった雰囲気が漂っているが、古めかしいメーター類はなく、この時代にしてはちゃんとグラスコクピット(必要な情報は電子化されて画面上に表示されるスタイル)になっている。
ミールのコアモジュールの打ち上げは1986年だというから、ここで使われている技術はそれよりも前のもので、今見ていると隔世の感があるが、1986年といったら日本もパソコンはMSXやPC6001の時代、新幹線は東京オリンピック以来の丸いおメメの0系がまだ走っていて、カメラもオートフォーカスはおろかまともに使えるAE(自動露出)がようやく実装された時代の話だ。
そんな時代に宇宙に浮かんで人間を生かすことができるキカイがあったというだけでも驚きだ。

居住区域のテーブル

居住区にはなんだかベークライトみたいな色のテーブルがあって、中には宇宙食が格納されている。
また加熱のためのオーブンも内蔵されていて、なかなか機能的だ。
大昔は宇宙食といったらスズでできたチューブ入りの歯磨きみたいな奴というイメージがあったが、フリーズドライと思しき真空パックや缶詰に混じってちゃんとチューブ入りのものもあったのでちょっとうれしい。
それにしても缶詰は食った後に空き缶が出るのだが、そんなかさばるものをよく持っていったもんだ。

天井に備え付けられたシャワー

また天井にはシャワーと書かれた設備がついていて、これは下に引き下げると小田原提灯式にジャバラが伸びて人をすっぽり覆える大きさになる。
そうして上から水を出して下で吸引するというものだったそうだが、水流が弱くてほとんど役に立たず、体を拭く程度で済ませていたとのことだ。
なお風呂の問題はこんにちのISSでも解決されておらず、ドライシャンプーで体を拭くだけというスタイルは今でも変わらないらしい。
また洗濯も望むべくもなく、同じ服を数週間着続けて汚ねえ臭えのが限界に達すると新しいものと交換し、古いものは大気圏に放り込んで焼却するということらしい。
選ばれたエリートがやる仕事で汚い臭いのが宿命になっているものは南極の越冬隊か潜水艦乗りが割と知られているが、宇宙飛行士も負けず劣らずであるということはあまり知られていないようだ。
とにかく本来人間が住む領域でないところに人間が挑むというのはこういうことなんだろう。

謎の冷蔵庫

また船内に冷蔵庫があったのが大変意外だった。
そもそも宇宙食は恐ろしく保存が効くものばかりで、アメリカのフリーズドライ式宇宙食は数十年という賞味期限を誇るほどだが、まさかミールの中で調理はやらなかっただろう。
時折プログレスという無人補給船が打ち上げられてはミールに食料や水その他物資を補給していたのだが、ナマモノを持ってきたとは考えにくい。
まさかウォッカを冷やすのに使っていたのだろうか。
なおロシア人の酒への執着はものすごいもので、ソ連もだいぶやりくりが厳しくなってきた70年代になるとウォッカが手に入らないため工業用の飲めるアルコールにまで手を出したと聞く。
そういえば1976年に函館空港にソ連防空軍のミグ25戦闘機が強行着陸して搭乗員が亡命を求めたという事件があったが、亡命者のベレンコ中尉が日本の公安とやや打ち解けるようになった時に、酒でも飲まないかと勧め乗ってきた戦闘機を指したということがあったそうだ。
徹底的に調べた機内には酒など積んでいなかったので訝しげに思った公安が問いだたすと、なんでも機首のレーダーを冷やす冷却液が飲めるアルコールだそうで、ソ連防空軍の搭乗員や整備士はよく盗んで飲んでいたということだ。
そんなロシア人がやることなので、特に、中には400日以上ミールに滞在していた飛行士もいたそうなので、絶対酒は持ち込んでいたに違いない、少なくともどこかの冷却液を抜き取っては飲んでいたに違いないと私は確信している。

飛行士の個室

個室は一見大変狭苦しく見えるのだが、無重力では案外そうでもなかったのだろう。
きたかみで私が寝ていた寝台の方がよほど狭いくらいだ。
ここには随分物々しいカセットデッキがあるが、これは娯楽のためのもので音楽などを聴いていたらしい。
寝床は壁に吊ってある寝袋のようなもので、無重力で寝るというのは一体どんな感覚なんだろうと思う。

ミール内の便所

便所もなかなかに難しい課題だったことだろうと思う。
1Gの重力が働く地上ならば小便は放物線を描いて便器に収まるのだが、無重力ではそうはいかない。
特にこういう宇宙船の中では水がフワフワと浮遊してはいろんなところに付着し、電気的にショートさせるなど悪さをする。
実際1985年のソ連のサリュート7号の事故ではこれが原因で電源がダウンするということが起きている。
まして小便は真水よりも電気を通しやすいので、これが船内に撒き散らされたら汚ったね臭えの冗談では済まない。
それで、吸引しつつ用を足すということになるのだが、船内気圧との兼ね合いもあり開発は大変だったことだろう。
大気圏を飛ぶ飛行機ですら便所の設計は簡単ではなく、日本初の国産旅客機YSー11でも試作機では便所のタンクの気圧の調整がうまくいかず内容物が盛大に逆流して吹き出したということがあったそうなので、宇宙船の便所ともなればこれは大変だ。
なお宇宙船の場合空気と水ほど貴重なものはなく、こういう排泄物からも水を回収するようになっていて、資源のリサイクルが極端にわかりやすいというのも宇宙船の特徴のようだ。

ミール本体だけでなく、ミール展示館には他にも興味深い展示が数多くあって、一つ一つがとても面白い。

船内で履いていた靴
つま先にマジックテープがついているのがいかにもそれらしい
船内服と宇宙服のインナー
アメリカのものとはだいぶデザインが違うのが新鮮だ
こういう船内の生活風景の写真は見ていて楽しい
ここでの滞在は決して快適ではなかったと思うが、なるべく楽しいものにしていたことがわかる
宇宙ミノルタα8700

このカメラを記憶している人は少なくないに違いない。
秋山宇宙特派員が「白いオートフォーカスの一眼レフ」をミールの中に持ち込んでは精力的にレンズを向けていた様子があまりにも印象的だった。
1990年はミノルタが世界初の実用オートフォーカス一眼レフであるα7000をリリースしてからまもない頃で、私も最初にオートフォーカスを触った時は大変驚いた。
ピントはピントリングを指で回してヘリコイドを出したり引っ込めたりすることで調整するものだと思っていた時代に、シャッターボタンを軽く押すだけで狙った部分にピントが自動で合うのだから、とんでもない技術だと思った。
当時はオートフォーカスはミノルタの一人勝ちだったのではないかと思うのだが、そのミノルタが秋山特派員のために特別に用意した(のではないらしいことが後でわかるのだが)「白いα8700」がひたすらに格好良かったのを覚えている。
カメラは時代の最先端のオートフォーカスで、しかも宇宙仕様で白いということが時代の最先端に見えたものだ。
のちにこの「白いα8700」は特別仕様ということでそれなりの数が市場に出回ったようで、1990年代前半にカメラ雑誌に載っているフジヤカメラ(中古カメラ屋)なんかの広告ではしばしば高額な値段がついて売られているのを見かけたものだ。
今ながらにして思えばものすごく効率のいい付加価値の付け方だと思うが、大変夢を感じるカメラだったように記憶している。
何せ当時はカメラといえば黒か黒と銀と決まっていて、白いカメラなど見たこともなかった時代の話だ。

他にもミールに関する展示はたくさんあり、大変満足できる内容だったのだが、この苫小牧市科学館はそれだけではない。
元々が青少年科学館といった役割の施設らしく、他の様々な展示や時折いろんなイベントに使われるであろう実験室のようなものもあって、科学に興味がある子供なら夢のような施設だ。
もし子供の頃の私なら入り浸っていたに違いない。

苫小牧市科学センターの玄関
中央の台形のものはプラネタリウム
チェコスロバキア製のグライダー
退役した北海道警のヘリコプター
子供でも運転できるというコンセプトで作られた車
どうやらこの漫画にここが登場したらしい
ヒグマを見るのは初めてだ

施設内にはプラネタリウムもあった。
実は私が子供の頃、住んでいた町から川を挟んで反対側に福井県運動公園というものがあり、これに児童館が併設されていたのだが、ここにプラネタリウムがあった。
当時の私はマンガよりも図鑑ばかり読んでいたせいかこういう興味関心をくすぐられる教育的施設が大好きで、中でもプラネタリウムは憧れだった。
しかしながら川を渡ることは勝手に校区外へ出ることを意味し、これは当時密出国に近い重罪だった。
子供が校区外に出る時は制服を着用の上外出許可願を担任の先生に提出して外出許可証の交付を受ける必要があったのだが、プラネタリウムを見るには100円という大金が必要で、どうにも手が出なかった。
親に連れて行ってくれろと頼むのだが、一緒になって見るのが退屈なのか結局一度行ったか行かないかだったように思う。
大人になってからは近所のエンゼルランド(福井県立児童科学館)の最新のプラネタリウムを何度か見る機会があったのだが、複数のプロジェクターから同時投影される21世紀のプラネタリウムはなんだか近未来すぎていけない。
私が見たいのは「プラネタリウム」というキカイからメカ的に点光源をドーム天井に投影する本当のプラネタリウム、昔の私が見たくても見れなかった夢のプラネタリウムだ。
苫小牧市科学センターのプラネタリウムはどうやらそれらしいということで、積年の渇望を癒すことにしよう。

プラネタリウムは無料
教育立国とはこういうことだ
これがプラネタリウムのキカイ

プラネタリウムの席は散髪屋の椅子を最大に倒した時くらいに倒れるので、ほぼ寝転んだような状態が大変心地よい。
やがて照明が消され、プラネタリウムの上映が始まる。
機械から点光源がドームに照射され、星を表現する。
惑星は惑星の光源がそれぞれあって、ちゃんと軌道を描くような仕組みになっている。
夢の21世紀に入ってから今年で24年目だが、どうも私はアナログなものに愛着を感じるようになってしまったようで、こういう機械式のものを見るとやけに落ち着く。
疲れが溜まっていたせいか迂闊にも半分は寝てしまったようだが、旅先でこういう体験ができるのはいいもんだ。

このように苫小牧での初日は科学センターで大喜びする大きな子供になってしまったのだが、この施設の利用は無料、近所の子供は大変幸せだなと思う。
苫小牧といえば周辺にはサロベツ湖や白老のアイヌ関連施設などがあるが市内には取り立てて見るべきものはない、と思っている人はぜひここを訪れてほしい。
本物の宇宙機はおっさんを子供に戻す力があるだけでなく、明るい未来や人類の叡智を感じることで明日から前向きに生きていく力になるだろう。


つづく

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