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お金と幸せと選択肢の話。

ずっと行き当たりばったりに
その時その時の流れやご縁で生きてきました。
保険や投資など
万が一に備える世の中の広告にも
イマイチ心が動かされないタイプです。

ですが最近になって
まだ先だと思っていた
「親の面倒をみる」という出来事について
考える機会がありました。

親との関係性や距離感として
同居やガッツリ介護は難しいとは思っています。
でも最終的には面倒みないととは思っているし
今回も母に私ができる範囲の提案をしました。
でも結局決めるのは母で
母が決断するのを待つしかなくて、
自分の生活も変わるかもしれない事だけど
自分以外の決断によるという所が
恐らくこの上なくモヤモヤと心的疲労になりました。

私も母もお互いにめちゃくちゃ考えたと思う。
けど、結局どれが正解とか分からなくて
動いてみるしかないとは思ったんです。

ただ、もし私に経済的余裕があったら
もしかしたらもっと良い選択肢を提示できたのではないかと思ってしまったんです。

お金があって選択肢が多ければ幸せになれるのか?

この話を知り合いにした時に
それってじゃあ2億あったとしたら解決したのか?
と聞かれました。
確かに2億あったとて最適解は分からないし
それが本当にお互いの幸せになるのか分からない。
選択肢が多すぎてもまた悩みが尽きないはず。

ではこれが、
選択肢が少ないからといってその人は
幸せになれないかというと
きっとそれはイコールでは無いはずです。
限られた選択肢の中でも
自分がその時納得度の高い決断が出来たなら
その人は幸せになれると思うんです。

でも世の中の人達はきっと、
こういう時に選択肢を増やせるように
日々備えをしているんだなと感じました。

家族と第三者の距離感

私は常々、
自分の知識や技術、人脈が
誰かの選択肢を増やせるならそんな嬉しいことはないと思っています。
その人がより自分の理想に近い決断をできるなら、その方が幸せだと思うから。
それに自分が力を貸せるなら有難い話であります。

今回私は母に対しても同じ気持ちでした。
私のできる範囲で
『選択肢を増やしてあげたかった』
それが親孝行だし母には本当に幸せに生きて欲しいと思っているから。

でも家族となると、
やはり第三者的立場よりも情が入るし
割り切れない部分が沢山出てきます。
多少の無理もしてしまおうとする自分がいました。
母のためなら無理もできるけど、
果たしてその先に私の幸せはあるのか。
自分が身を削って母の幸せのために頑張ったとして、
母はそれを喜ぶのか。

正直なところ、
この1ヶ月くらいこんな事を考えて
かなり疲れてしまいました。
これが答えなんだと思います。
いくら親であっても
私は私の人生で、母は母の人生。
自分個人としての人生が先ずあって
その外側に家族としての人生がある。
そしてさらにその外側に第三者がいる。

それくらいに思っておかないと
ようやく見つけた何かを
私は見失うところでした。
それくらい家族というのは強烈な繋がりで
大切なものなんだということも再認識させられました。


人間いつ何が起こるか分からない中で
日々どう決断して生きていくのか
煩わしいことしかないけれど、
どうにもならないことを久々に真剣に考えました。
そして脳内パンクしたので
吐き出しアウトプットさせて頂いた次第です。

まぁでも、
自分もいつどうなるやら分からないので
身辺整理はしておこうと思います。

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