『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』を読みましたという備忘録
オモコロライターとして活躍されているダ・ヴィンチ・恐山の別名義である品田遊先生の新作『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』が8/7に発売されました。ようやく読み終わったので、記憶の整理もかねて軽い感想文的なものを書こうかと思います。いくぞ~~~!
(なるべく物語の核心に触れるようなネタバレは入れないようにしたつもりですが、これから本書を読む予定があり、一切のネタバレを喰らいたくない、という方はブラウザバックしたほうが良いかもしれません)
感想
まず一番の感想は難しかったです。月並みな感想だけど、これだけは最初に言っておきたかった。ですが、内容が難しいなりに読みやすい工夫が凝らされていて、不思議と読むのは苦ではなかったです。
基本的には「反出生主義について考える」というテーマで一貫していて、それぞれの主義主張を持ったものが反出生主義について擁護・反論するという、変わった哲学書のような内容です。また反出生主義を語るうえでキリストやイスラームの宗教観にも軽く触れられており、宗教学的な要素も含まれていて面白かったです。
私はこういう小難しい本を読むと「(長ったらしくて)だり~!」とか「うぜ~!」とかつい思っちゃうタイプなのですが、この『ただしい人類滅亡計画』はこういった体系の本にしては珍しくコミカルな要素を取り入れたりしていて、読み物としての完成度も高く全然飽きなかったです。マジで読みやすくしてくれてありがとう…
上の宣伝ツイートで品田先生自身は本書を「たぶん中学生でも読めるけど、大人でもむずかしい」と評していましたが、それは本当にその通りで、議論の展開が一区切りつくたびに軽い解説や要約が入ってくれるので、立派な学のない私にとっても「なるほど~!」と楽しみながら読むことが出来ました。たぶん、中学生でも大半の文章の意味は理解できると思います。ですが、この本で繰り広げられている議論の全貌を理解し、「じゃあ、自分はこう生きて、こういう主張をしよう!」と自分なりの結論を出すことは、多くの経験をした大人でも難しいと思いました。
実際、一見思想が一貫しているように見える登場人物が、他の登場人物の主張によって揺らいでしまう、というシーンが何度かあって、「それくらい生きること、死ぬことという話題、そして議論は難しいものなんだよ」ということが伝わってきて、そこがとても興味深くて面白いと思いました(何だか小学生みたいな感想だ)。
反出生主義について
反出生主義について、私は本書を読む前から名前を知ってはいましたが、何となく危険な思想なのかなという漠然としたマイナスイメージを持っていました。というのも、その字面や主張のインパクトゆえか、インターネット空間(主にツイッターですね)で『反出生主義』という言葉が力任せの感情的な議論の道具(というより凶器)として扱われている場面を何度も見てきたからです。でもそれはただの言葉の一人歩きで、紐解いてみると実際は極めて道徳的な生き方に基づいた理知的な主張であるということが、今回本書を読んでみて理解することができました。そうやって自分の中の誤解を解くことが出来たのは良かったなと思います。
ですが、反出生主義という主張が100%『“善”い』ものであるかと言われると、「ちょっと違うかな…」というのが個人的な意見です。
『ただしい人類滅亡計画』で出てくる反出生主義は、デイヴィッド・ベネターの著書「生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪」において定義された現代的な反出生主義を基盤としています(あとがき、参考資料から)が、一見普遍的で正しい主張のようで結局の所『道徳』という曖昧で不確定的な価値観に囚われていたり、人間の悪性を説きながら人間と社会に絶対的な信頼を置いていたりと、探してみるとあらゆる問題点が存在しており、そこを無視して盲目的に反出生主義を唱えるのは色々な意味でも危険だと考えます。
ただ、共感できる部分も少なからず存在しました。
例えば、『出生の当事者である子どもに「生まれてくる/生まれてこない」の選択肢は与えられず、その選択は親による「生む/生まない」という、当事者の人生とは全くの枠外で行われる。それはとてもグロテスクなことである』という意見がありましたが、私はこれには概ね同意できます。不幸な子どもと無責任な親の事例などを見てるとそうですが、自らの認識外で行われる選択の残酷性については、社会全体に周知され、活発な議論がされていく必要があると思いました。
とはいえ、同時に「そこから導き出される結論が飛躍し過ぎだろ」とも思うので、やはり反出生主義については、引き続き慎重な検討が必要なのかなと思いました。
考察(?)~グレーはいったい何者なのか~
最後に、『ただしい人類滅亡計画』で提示された謎について、考察とは言えない文章かもですが自分なりにつらつらと書いていこうかと思います。
『ただしい人類滅亡計画』では、以下の10人の登場人物を中心に議論が繰り広げられます。
ブルー:悲観主義者
イエロー:楽観主義者
レッド:共同体主義者
パープル:懐疑主義者
オレンジ:自由至上主義者
グレー:??主義者
シルバー:相対主義者
ゴールド:利己主義者
ホワイト:経典原理主義者
ブラック:反出生主義者
(巻頭人物紹介より引用)
10人は有名どころの主義・理念をいわゆる擬人化した存在です。普遍的、というのはあまり正しくない気がしますが、どの人物も現実で一度は見たことのある性格で、同時に全員共感できるポイントがあったのが面白かったです。
ここで注目すべきはグレーの存在。巻頭では『??主義者』と書かれており、作中で明かされるのかなと思っていたら、最後まで彼は自らの主義が体系的に何であるかを明かさず、他の登場人物から「あんたは○○主義者だ」と定義されることもなく、結局彼が何主義者であるかは明示されませんでした。とはいえ、彼の口ぶりが全くの未知のものだった、ということではなく、彼もまたどこかの体系的な主義を持った人物だと感じました。
私はグレーは極論的な実存主義者、もしくは一種の独我論者なのではないか、と考えます。
実存主義とは「今ここにあるひとりの人間の現実存在、すなわち実存としての自分のあり方」を求める主義、独我論者とは「自我とその意識だけが実在し、その他の一切のものは、自我の意識のなかに存在するにすぎない」という理論を展開する者のことです。(諸説アリ)
作中において彼は序盤こそ議論に積極的に参加していませんでしたが、誰よりも「自己という存在」を強く意識しており、それ以外の事象は信用していない、というよりそもそも興味がないような発言を繰り返していました。終盤グレーは他者の意識の存在を前提としているブラックの反出生主義の問題点を次々と炙り出していくわけですが、このシーンは(どっちが正しいかはどうであれ)単純に読んでいて気持ちよかったです。
グレーのこの「本当に存在するのは自分だけ」という思想は後に対話を経て魔王の思想の母体となり、それがラストシーンの展開に繋がるわけですが、「こういう展開になるのか…!」と思いつつも妙に強い納得感があってメチャクチャ良かったです。うまく言語化できないな…
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長々と書いてしまいました。一回だけ読んでロクな推敲無しにバーッて書いたものなので、かなり纏まりのない文章だったかと思います。これは自己満ですが、この記事が皆さんの『ただしい人類滅亡計画』を読む、ひいては反出生主義について考えるきっかけみたいなのになれたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。またどっかでお会いしようや!!!
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