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イノベーションボックス税制と知的利益

このエントリは、知財系 Advent Calendar 2023、12月17日分です。

写真は本文と関係ありません。磐越東線です。

1. 要約

・イノベーションボックス税制は色々と素晴らしい。
・優遇税制について、OECDとG20の合意がある(BEPS)。
・自社実施(組み込み型)の導入を目指したい。
・企業の価値創造を促進し、その価値創造を持続させることに役立つ制度であって欲しい。
・自社実施型を導入済みの英国、オランダとの計算例を確認した。
・日本が、自社実施型を導入することを目指して、国に制度案を、企業(特許権者)へ開示を提案する。

2. 自社実施型のイノベーションボックス税制の魅力

 経済産業省「我が国の民間企業による イノベーション投資の促進に関する研究会 中間とりまとめ」(2023.7)に、各国の制度や日本に導入すべき制度の案がまとめられている。本研究会の各回の資料も参考となる。

 自民党「令和6年度税制改正大綱」では、自社実施型(組み込み型)への適用はなされない結論のようだが、ライセンス収入等についてまず制度導入される見込みである。課税所得の30%の所得控除を認めることで、法人税率で約7%の税制優遇となる。

3. OECDのBEPSによる要請

 私は税務は専門で無いため、実務での判断に際しては個別に専門家にご相談ください。

 OECDは、多国籍企業の税源の浸食や、利益移転に対抗すべく、G20と協力して、BEPS (Base Erosion and Profit Shifting)プロジェクトを遂行している。
 イノベーションボックス税制は優遇税制であり、OECD BEPSの視点では、「有害税制」となる可能性の税制である。
 OECD, "Countering Harmful Tax Practices More Effectively, Taking into Account Transparency and Substance - Action 5: 2015 Final Report-", 2015
(透明性と実質を考慮したより効果的な有害税制への対処- アクション5: 2015年最終報告書)

 このアクション5による修正ネクサスアプローチの概要は、「我が国の⺠間企業による イノベーション投資の促進に関する研究会 事務局説明資料」第2回資料で説明されている。

 具体的には、BEPSアクション5(修正ネクサスアプローチ)は、優遇税制の対象(課税所得)について、国際的な有害とならないようにするために、下記を提案している。

[1] 自国内で、自ら(段落28-OECD[2015])研究開発した支出と関係する収入であること。

[2] 価値創造を自らの責任で行いつつ、一部を外部委託する場合は優遇税制の対象内にすることができる(段落41-OECD[2015], 第2回スライド20)。

[3] 製品に組込まれた特許権による課税所得から、特許権に無関係な所得(商標権やブランドなどマーケティングや、製造上の利益)を減額する。例えば、移転価格原則に基づく⽅法を応用する(段落48-OECD[2015], 第2回スライド21)。
 製造の利益(manufacturing returns)は、製造プロセス自体の優位性や、製造規模や、製造現場の品質管理などのうち、製造方法の特許権による利益を含まない利益と想定される。
 オランダは、製造の利益は売上原価に対する比率、マーケティングの利益は販管費の比率で求めている。
 厳密ではないが、当社のルーティーンによる利益(英国の通常の利益)が該当すると整理することもできるだろう。

[4] プロダクト・ベース・アプローチであり、特許権ごとではなく、製品ベースで認定する(段落55-OECD[2015], 第3回スライド13)。

[5] 特許に貢献した研究開発への支出、その研究開発による特許権、製品の売却益のうち特許権(群)による収入の3つを、製品ベースでリンクさせ、追跡しなければならないが、ネクサス比率を用いるアプローチを採用することができる(段落55-OECD[2015])。

[6]その追跡は、例えば、段落59-OECD[2015]に事例が3件あり、そのうちの事例Bは、プリンターを数百種類製造しているB社である。

製造するプリンターの種類: 数百種類
研究開発による特許権: 250件
プロダクトファミリー3種類
 オフィス用の大型複合機 50件
 家庭用の小型プリンター50件
 プロ品質のデジタル写真用フォトプリンター50件
全てで使える特許 100件

この事例Bでは、従業員の研究時間をプロダクトファミリーごとに追跡し、支出を分配し、また、共通して使える特許権による収入も按分することを原則としているように読める。

[7] ネクサス比率
 この[6]の追跡に変えて、適格支出を分子、総額を分母とするネクサス比率を用いて、優遇税制の対象とできる適格課税所得(制度対象所得)を求めることができる(段落30, 31-OECD[2015], 中間とりまとめp.21)

ネクサス比率を用いたイノベーションボックス税制の対象所得の算出式(上掲中間とりまとめより)

このネクサス比率を用いた算出は、簡易なものとして、イギリス、オランダで類似の算式が用いられている。

4.ネクサス比率の問題点

私見では、ネクサス比率の活用には次の問題点がある

[1] 研究開発成果や取得できた特許権のうち、製品やサービスの販売と無関係で、使われない技術や特許権があることの影響を減額できていない。
 例えば事例Bでは、研究開発の成果である特許権250件がすべて製品で使用されているが、そのような仮定は現実的ではない。
 製品との対応を把握できていない特許権や、将来使う可能性があるが現在まで使っていない特許権や、代替品があり特許権による独占が利益率(プレミアム利益)に結びついていない特許権や、使う可能性がないが棚卸しできていない特許権などの存在が想定される。

[2] プロダクト・ベース・アプローチによって、製品の売却益と特許権、さらにその研究開発投資の追跡が推奨されているが、仮に追跡できたとしても、製品売却による利益の質を評価できておらず、特許権の想定される損害額や、免除ロイヤリティ料率などの市場性のある評価の裏付けがない。
 経済的な実態の裏付けがある計算としなければ、恣意的となってしまう。

 後述のように、[1]の研究開発成果が売上や利益率の向上に結びついたかどうかは、ROE, ROICやPBRで評価できる。
 ROE, ROICやPBRの最低要件(Minimum requirement)を満たす場合に、イノベーションボックス税制による法人税優遇をするならば、ネクサス比率という、研究開発成果が売上や利益に結びついたかを考慮できない算式の利用が正当化されると思われる。
 [2] は、技術分野や業種に応じた免除ロイヤリティ料率を使う仕組みとできると良い。

5. 各国の計算例

 各国のイノベーションボックス税制の日本語資料として、比較的新しい2件を参照した。

 前掲 経済産業省「我が国の民間企業によるイノベーション投資の促進に関する研究会 中間とりまとめ」(2023.7)
PwC著, 特許庁委託, JETROデュッセルドルフ事務所発行「欧州諸国におけるパテントボックスと 研究開発インセンティブ」(2023.3)

5.1 イギリスの計算例

 2023年4月1日より、通常の法人税率が25%であるのに対して、パテントボックス対象の利益に対しては10%となる。

 税引前の利益(日本の営業利益)から、まず、通常の利益(ルーティン利益)分を控除する。これは一定比率で、販管費の10%を通常の利益と見込み、減額する。ルーティン利益は、OECDのBEPSとの関係では製造プロセスによる利益分の控除に該当すると想定することもできる。

 売上に対する販管費率が50%とすると、ルーティン利益率が5%であり、例えば営業利益率が4%であれば優遇分は残らない。
営業利益率が8%であれば、3%が優遇分として残る。

 さらに、マーケティング業務に帰属する利益を控除する。これは、大企業の場合、移転価格税制の原則による仮想マーケティング・ロイヤルティ(notional marketing royalty)を算出する。具体的には、自社の商標権などのマーケティング資産に対する仮想のロイヤリティ(免除ロイヤリティ料率)である。

 仮に、自社の商標権を他社が所有していたとするならば支払わなければならない売上に対する比率のロイヤリティが4%であれば、イノベーションボックス税制で優遇される可能性のあった3%から減額され、優遇対象はなくなる。マーケティング資産へのロイヤリティが2%であれば、優遇対象が1%残る。

 従って、営業利益率が7%や8%程度では、法人税の優遇を受けられない可能性が高い。なお、これらの計算は、上記文献と、結城 一政, 古新居 由紀, 原 嵩 他「英国パテント・ボックス税制の利用上の留意点」旬刊経理情報 (1334), 2012.12.20, pp.46-49」等を参照して計算したものであり、実務がどのようになっているかは承知していない。

5.2 オランダの計算例

 通常の法人税率が25.8%であるのに対して、パテントボックス対象の利益に対しては9%となる。

 計算法等はOECDのBEPSアクション5に沿っており、

 適格な特許権による課税所得
=[(適格支出 x1.3)/全体の支出] x 特許権による所得

と、ネクサス比率を使っている。オランダのピールオフ(peel-off method)は、販管費に応じたマーケティングによる利益と、売上原価に応じた生産効率による利益を減額する(経済産業省[2023]中間とりまとめp.25, 26)。

6. 自社実施型導入に向けた提案

6.1 実現したいこと

[結合性]特許権と、製品の販売やサービスの提供による利益を結びつける経営が浸透する。
[価値創造]積極的に新しい価値創造(バリュークリエーション) をし、その価値創造を特許権で継続させる。
[プレミアム価格]特許権で守られた製品販売やサービス提供について、資本コストと免除ロイヤリティ料率を加算した率を超える利益率となる、プレミアム価格を実現する。

 発明の魅力により価値創造し、特許権がその価値創造を継続的に守り、プレミアム価格を維持できるとき、そこには「知的利益」がある。その定量化は、免除ロイヤリティ料率で、研究開発投資で知的利益を得るために、価値創造を目指し、結合性を高めれば良い。

 この知的利益の解像度を高め、統制し、経営していくために、イノベーションボックス税制の自社実施(組み込み型)は大変に大きい刺激となり、企業の社内が知的利益の継続的な獲得に向けた仕事を進める駆動力となる。

 結合性(コネクティビティ)は、企業開示においても長年求められている。例えば、2005年、経済産業省知的財産政策室「知的資産を活用した経営のあり方に関する「中間報告書」」、知的資産経営開示ガイドライン、IIRC(現IFRS財団)統合報告フレームワークWICIインタンジブルズ開示フレームワーク、内閣府「知財のビジネス価値評価検討タスクフォース報告書」やその経営デザインシート、最近でもサステナビリティ関連財務情報の開示標準であるIFRS S1の要請があり、インタンジブルズと財務や、サステナビリティと財務など、財務情報と他の情報との結びつき(コネクティビティ)は、投資家の関心事項であり続けている。

6.2 計算方法(日本国政府への提案)

[理想算式の提示]自社実施型(組み込み型)について、簡易化するとしても、理想的な計算式を示すことができると良い。

 特許権による独占の利益
=事業の売上高 x (特許権の)免除ロイヤリティ料率 (式1)

 優遇税制の趣旨やOECDの要請から、事業の売上高は、自国内で研究開発した成果に対応した事業に限定すべきであり、ネクサス比率を使うと良い。

 免除ロイヤリティ料率は、自社の特許権を他社が持っていたとするならば支払わなければならないライセンス料率(ロイヤリティ料率)であり、その特許権を自社が所有しているからこそ支払いが免除されている売上に対する比率である。

 免除ロイヤリティ料率は、売上に対する比率であるから、英国の仮想マーケティング・ロイヤルティ同様、利益計算せずに利益の一部を取り出すことができる。特許権についての免除ロイヤリティ料率は、特許権の実施料率やライセンス料率の相場感で評価し、意思決定できる。

 営業利益やEBITは、売上に対する比率として、次式が成り立つと考えられる

 営業利益率
=ルーティン利益率(Routine return ratio)
+マーケティング利益率(notional marketing royalty ratio)
+製造プロセスによる利益率(生産効率など)
+特許権の免除ロイヤリティ料率
+その他のインタンジブルズによる利益率

 この算式の「特許権」には、著作権や、日本の意匠権等を含めても良い。

 OECDのBEPSのアクション5は、「その他のインタンジブルズによる利益率」を軽視している。その他には、例えば、CEOやCFOのリーダーシップ、組織のカルチャー、当社独自の対外的な関係性(リレーションシップ)、サステナビリティに関する長期的な取り組み、ガバナンスの実効性、当社が利用できる自然資本による利益率などが含まれる。

[製品・サービスの追跡]OECDのBEPSのアクション5では、上述のように、プロダクト・ベース・アプローチで、製品を起点として特許権や意匠権を紐付け、製品の収益(や超過利益)が特許権等を介して研究開発支出と紐付けていくことを理想像としている。
 税制との関係では、有効に紐付けでき、価値を創造し利益を生み出すために研究開発投資や特許取得の活動を効率的に実行できている場合に、より優遇することで、我が国のイノベーションを地道に仕組みとして推進することが考えられる。
 この追跡や結合性(コネクティビティ)をマネジメントできているとより優遇されるようにするには、式1の事業の売上高を製品グループ(ファミリー)ごとに区分けしてより高い免除ロイヤリティ料率を使用できるようにすると良い。

[利益率要件]ROEやPBRで足きり基準を設け、利益率が一定以上の場合に対象とする。自社実施型(組み込み型)については、事業の利益率(営業利益,EBIT)が低い企業の法人税を本制度で減税する必要はない。

 また、営業利益率が、販管費の10%+自社商標権の免除ロイヤリティ料率より小さければ優遇分が残らない英国型を参考とすると、このような計算をせず、ROEやROIC, 事業セグメントで営業利益率が8%を超えない場合、それのみをもって対象外とするのが簡易である。

 対象年度のROE, ROICまたはPBRのいずれかがそれぞれの基準値を超えた場合に、優遇対象となるかの計算をすれば良い。

[提案・算式例のまとめ]
日本のイノベーションボックス税制で、自社実施型(組み込み型)を導入するのであれば、次の仕組みとすることが考えられる。

(要件1)まず、ROE、ROICの一方が8%を超えているか、または、PBRが1倍以上である場合に、イノベーションボックス税制の申告ができるようにする。

(要件2)自社商標権の免除ロイヤリティ料率(notional marketing royalty ratio)は、原則、自己申告する。特に、プライム上場企業は必須とする。
 商標権の免除ロイヤリティ料率が低いと、イノベーションボックス税制の優遇額が増加するかもしれないが、企業価値算定において自己創設のれん(ブランド)の自己申告による評価額が小さくなる。
 移転価格税制でもその料率を使うこととすると、統合思考による経営や税務を実現できる。
 業種の営業利益率に応じて、自社商標権の免除ロイヤリティ料率を路線価ほどではないにせよ、統計データとして公表し、その料率から大きくはずれる申告の場合に説明させる等の仕組みとしても良い。

 ルーティン利益率や製造プロセスによる利益率も、業種と従業員数等の規模や、格付に応じた参考値を公表し、自己申告とあわせて相場感を形成していけるようにすると良い。

(要件3)自主的に免除ロイヤリティ料率を評価できない場合、オランダ型として、売上原価に対する比率で製造プロセスによる利益を、販管費に対する比率でマーケティングによる利益を推定するようにしても良い。
 結合性の統制が深まるにつれて、自主的でより有利な免除ロイヤリティ料率を使えるようにすることが考えられる。

(要件4)プロダクト・ベース・アプローチで、特許権群の追跡ができず、特許権の免除ロイヤリティ料率を自主的に算出できない場合、利益からマーケティング利益等を控除し、さらに半額にすることで、優遇税制の対象額とする。
 特許権群の追跡が一定程度のまとまり(例えば事業セグメント)ででき、免除ロイヤリティ料率をそのまとまりごとに算出できる場合、上記半額よりも多くなる免除ロイヤリティ料率の利用を認めていく。
 特許権の損害賠償に関する推定規定や、判例・学説を反映して、自社製品をクレームに含まないが、自社製品の利益を守るために他社の製品を近づけない権利範囲を持つ特許権も、その製品に紐付けることができる。将来的に、特許法や知財実務の知見が価値評価やこのような税務に反映されていくと良い。

[統計との連動]
 国家が、イノベーションボックス税制で自社実施型を実施することを通じて、技術分野や業種ごとの免除ロイヤリティ料率の統計データを公表できると良い。
 これらの統計データは、自己創設のインタンジブルズ(知的資産、6資本、無形資産、資源と関係)の評価の精度を高め作業の生産性を向上させるため、インタンジブルズを利活用した経営、M&A、事業承継の成功確率を高め、作業の生産性を高める。
 イノベーションボックス税制の自社実施(組み込み型)のメリット・デメリットについては、この統計情報の充実によるM&Aの拡大も含めた政策評価をお願いしたい。

[開示との連動]
 特許権群の追跡、つまり、研究開発投資や利益の内訳(要因)の分析については、事業セグメントや何らかの区分の大きい区分けで、競争上の不利益とならない程度の情報として統合報告書等での開示を促すと良い。
 税務申告と統合報告の開示が矛盾しないような自主規制となり、統合報告書での開示を通じて、特許権群の追跡について投資家のレビューや対話を受け、資本市場とともにイノベーションを実現していくことができる。

6.3 基礎的な開示(特許権者への提案)

 イノベーションボックス税制との関係で、自社の特許権や商標権が自社の利益獲得にどのように貢献し、または貢献していないか、将来に向けた計画や目標値としてどのような貢献を目指すのか、開示できると良い。
 イノベーションボックス税制で自社実施(組み込み型)が採用されれば、利益率が高い企業こそ、法人税率の優遇を受けることができるようになる。研究開発や特許権による利益がどの程度の比率であるのか、ゆるやかに開示できれば、国は、税収上の影響をより精度良く計算していくことができ、制度導入の可能性を高めることに資すると思われる。
 また、このようなコネクティビティの開示は長年投資家が求めている情報であり、開示することによる競争上の不利益とのバランスを評価しつつ、資本市場と対話し、研究開発成果に関するサプライズを減少させ、成長率の見込みや株価の不確実性を減少させていきたい。
 ともすれば数字のみの開示になりがちなところ、その技術や特許権によってどのように社会課題を解決し、顧客に新たな価値を届けているのか、税務申告では記載しきれないことを、主に投資家に向けて統合報告書等で開示していきたい。その開示は、税務の裏付けにもなる。

6.4 おわりに

 お読みいただきありがとうございました。妄想のような提案ですが、イノベーションボックス税制の自社実施(組み込み型)は、インタンジブルズや知的財産権を活用した経営を浸透させ、投資家との対話の質を高める重要な接点になり得ます。

 本稿には図を入れることができませんでしたが、機会ありましたら図も使いながらのスピーチなども対応できるようにさらに研鑽してまいります。

 特許庁知財経営プロジェクトのご関係者や、WICIジャパン、WICIジャパン統合報告セミナーを受講してくださった企業様から、多くの刺激を受けております。ありがとうございます。
 これからも「知的利益」の解像度を高めていきます。

 お問い合わせは、X(旧Twitter)か、こちらまでお願いします。


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