知財ウォッシュではなく、価値デザイン経営の普及を

〜財務価値及び社会価値の創造に貢献する知財活動と開示のために、知財人は何ができるのか〜


「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン(案)」に係る意見募集 への応答

案の公示日 2021年12月20日
受付開始日時 2021年12月20日0時0分
受付締切日時 2022年1月7日23時59分
意見提出が30日未満の場合その理由: ガイドライン作成する際の検討事項が多く、当初予定よりも多くの期間を要し、また、当該ガイドラインの1月中の公表を想定していることから、30日の期間は取ることが難しい。

https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=095211340&Mode=0

提出日 2022年1月6日
経営コンサルタント・弁理士 鈴木健治

(本note記事では、提出後の1月12日に変換ミス等の誤記を修正しました)

所属する研究会や団体等とは無関係な個人としての意見です。

 意見を提出する機会を賜り、誠にありがとうございます。本ガイドライン案の対象は、対象範囲の選定からして非常に困難な主題であり、どのような才気、熱意や時間があっても、2021年に実務で利用可能なレベルのガイドライン案を作ることは、誰にもできないことを学ぶことができました。
 プレゼン資料や委員ご発言はどれも素晴らしく、刺激にあふれ多様な哲学に満ちたものですが、残念ながら、それらの知見は十分にガイドライン案に反映されておりませんでした。
 様々なご関係者の果断な挑戦に感謝しつつ、関係機関との十分な役割分担のうえ、引き続きのご対応をお願い申し上げます。

1.主たる意見


1.1 知財ウォッシュ

 このガイドライン案は、知財ウォッシュである(後述6.)。グリーンウォッシュ同様に企業開示の信頼性に関する悪影響が見込まれ、他省庁や機関の継続的な努力を混乱させる。内閣府はそのような知財ウォッシュの推奨を止めよ。全文を削除するか、または、本ガイドラインのバージョンを0.3程度とし、タイトルに(案)を付けたままの公開とすべきである。

1.2 他者へのリスペクトの明記

 本ガイドライン案に、知財部以外の部門、立場及び専門の方々へのリスペクトを明記すべきである(後述2.)。そして、知財部以外の方々への要求をする前に、企業が、コーポレートガバナンス・コードに適応し、サステナビリティー関連開示の国際動向をふまえた開示・対話をするために、知財部門や知財担当者がどのような新しいことに取り組まなければならないのかの方向性を示すガイドラインとすべきである(後述5.)。

1.3 「5つのプリンシプル」の削除

 5つのプリンシプル(原則)の内容は、コーポレートガバナンス・コードその他の開示基準群と矛盾するため、削除すべきである(後述3.)。

1.4 「7つのアクション」の削除

 7つのアクションは、価値デザインの考え方がベースであり、経営デザインシートでありたい未来を構想すれば7つのアクションを実践できる。つまり、この7つのアクション自体に新しさはなく、新たにガイドラインとして示す価値を発見できないから、原則、削除すべきである(後述4.)。

1.5 知的財産の投資とビジネスモデルごとの説明

 なお、7つのアクションについて、知的財産への投資等について、経営デザインシート等で描く「ありたい未来」のなかでの位置づけを示そうというガイドラインであれば、新しさや有用性を見いだすことができる。
 「コラム 11: ビジネスモデルごとの定性的・定量的説明の例」は統合報告フレームワークのオクトパスモデルでの説明となっているが、経営デザインシートの価値創造メカニズムとし、過去と未来それぞれの価値創造メカニズムを描くことが望ましい(後述5.)。
 企業は、知的財産の投資そのものについてではなく、投資の経営上の意味の全体像を把握し、開示し、投資家や他のステークホルダーとの対話をすべきである。

2.リスペクトの明記

 下記の専門性、立場の人たちへのリスペクトを明記し、知財部が社内外の様々な専門家や立場の方との今後の対話の入り口とすべきである。

2.1 研究開発部門、研究者、開発者、デザイナー 及び ブランディングの担当部門、担当者

 改定コーポレートガバナンスコードで、「知的財産への投資」というとき、それは研究開発やブランド構築のための投資であり、産業財産権の取得や知的財産権の行使などの知財活動ではない(文献1,2)。顧客や社会から共感を得て製品やサービスが売れるのは、研究開発やブランディングの成果であり、知的財産権が存在するために売れているのではない。価値創造の源泉(強み、個性)を生み出している研究開発者等へのリスペクトを明記すべきである。
 なお、その強みは、特許権や商標権があると模倣から守られ、強みを持続させることができるが、知的財産権が製品市場での強みを生み出しているのではない。

2.2 CFO、財務・経理部門、監査法人、会計基準の設定機関

 会計制度なしに、企業は存在し得ない。経営の成績は利益であり、その利益を客観的に比較可能に測定し、計算し、開示する仕組みなしに、企業経営はあり得ない。その財務会計を支える人たちへのリスペクト無しに、経営や投資家との対話について言及すべきではない。
 本ガイドライン案では、「コラム 7: レブ教授らによる無形資産に係る会計処理への批判」が会計人へのリスペクトの表明なしに唐突に紹介されているが、自己創設のインタンジブルズを費用処理するような点は、企業と投資家の対話においてごく些細な問題にすぎない。実際、(証券)アナリストは、研究開発投資の費用処理を前提に長期目線で将来のROEを予測している(文献1p.131)。

文献1,北川p.131 医薬品会社の例として、研究開発投資は費用化されるため、(略)利益は圧迫され(略)ROEが2〜3%まで下がってしまう局面もあるが、株価が上昇している企業は多数あり、心ある投資家は気にしない。将来有望な新薬が発売されるといった大きな期待があり、アナリストは5年先あるいは8年先のROEを議論して、今は2%だが8年後には20%くらいに上昇するだろうと大胆に予想する。

文献1

 仮に、自己創設の研究成果を資産計上するとなると、減損会計の対象となるが、キャッシュ生成単位ごとの特許権について、その特許権が入れ替わっていくことの把握を含め、毎年度減損チェックしていくコストが発生する。
 特許権については、自己創設であっても、特許庁及び特許事務所に支払う出願のための費用を資産計上できるが、自己創設の特許権を資産計上している例は多くない。
 なお、本ガイドライン案p.10の「収益」は「利益」の誤記であり、このような誤記を残すチームが、会計制度を批判しつつのガイドラインを作ることは、避けるべきである。会計制度や会計人を経営にとって重要な存在ととらえる姿勢を本ガイドライン案から発見できなかったことは、極めて残念である。

2.3 経営者

 本ガイドライン案では、経営者や取締役へのリスペクトの表明なしに、「原則4-14 取締役・監査役のトレーニング」を引用しつつ、「まず取締役、経営陣⾃らが本ガイドラインの内容をしっかり理解することが必要である。」としているが、そうではなく、本ガイドラインが、取締役や経営陣に課せられた義務を知り、投資家やNPOと直接に対話をする立場をより理解し、敬意を示すよう、修正されるべきである。
 コーポレートガバナンス・コードの導入から改訂で、取締役会の機能は大幅に向上し、CEOやCFOの役割も変化している。その社内外の取締役や経営陣の昨今の努力や成果へのリスペクト無しに、妄想や知財部の願望に近い本ガイドライン案の内容の理解を求めることは、取締役や経営陣の貴重な時間を無駄に奪う。

2.4 投資家

 本ガイドラインは、「ある程度の⾚字を覚悟してでも⼗分な知財・無形資産への投資を⾏っていくことが重要」p.9, 14とあり、その根拠となるp.16の「コラム 2:⽇⽶の⾚字企業の⽐較」は企業単位の純利益であるから、「ある程度の赤字」は一部の事業ではなく企業単位としか読めない。
 単年度赤字のROEやROICは自己資本コストを下回り、当該年度で株主への配当もなくなる。金融機関は対象企業の赤字が続けば正常先から要注意先への債務者区分の変更を検討しなければならなくなる。
 本ガイドラインは、2007年企業年金連合会がROE8%以上の企業への投資とし、2014年伊藤レポートでROE8%という目安が公表されてきた経緯に逆行している。共有価値の創造CSVも、社会価値の提供とともに企業価値の向上の両立を求めている。
 本ガイドライン案は、「赤字を覚悟」ということの投資家にとっての意味を把握していないと思われる。赤字が投資家から許容されるのは、売上高が年単位で数倍、数十倍に成長している企業の場合であり、プライム市場の条件を満たすような成長の終わった大企業に妥当する基準ではない。
 知的財産への投資を長期的に見守る投資家は、忍耐強い(Patientな)投資家と呼ばれているところ、本ガイドライン案では知的財産への投資に理解のある忍耐強い投資家への感謝の表明は発見できず、p.59-60に「投資家は、その投資スタイルにかかわらず、企業の⻑期的な価値創造の取組について強い関⼼を持ち、企業の取組を評価・⽀援することが重要である。」とある。
 忍耐強い投資家やそのためのアナリストは、すでに企業の長期的な価値創造の取組に関心を持ち忍耐強く長期投資をし、その長期投資の姿勢に誇りを持っておられる。それなのに、本ガイドラインは「投資スタイルにかかわらず」と、短期投資家と忍耐強い投資家とを同一視するような配慮のない記載をしており、忍耐強い投資家に失礼極まりなく、投資家との対話をうながすガイドラインの役割を果たしていないどころか、最大の応援者である忍耐強い投資家から共感を得られず、マイナスに作用する。
 長期投資家との対話に努力をしている企業の、邪魔をしないで欲しい。

2.5 サステナビリティー関連情報開示

 本ガイドライン案では「サステナビリティー」「サステナブル」の意味をコーポレートガバナンス・コードや、非財務情報の開示に関する国際動向とは異なる意味で使用しており、これら先行する開示に関する国内外のハードロー及びソフトローを模索する仕事へ敬意が示されていないどころか、無視されている。これは、価値デザイン社会や経営デザインシートに関する内閣府知的財産戦略事務局自身の先行文献についても同様で、正当な引用やリスペクトがなされていない。
 「サステナビリティー」の意味について、改訂コーポレートガバナンス・コードの意見書・考え方ではサステナビリティについて「ESG要素を含む中長期的な持続可能性」と記載されている(文献1p.510)。
 経済産業省「非財務情報の開示指針研究会」中間報告では、注1にて、「「サステナビリティ関連情報開示」とは、サステナビリティ項目(ESG 事項(環境・社会・ガバナンス)や戦略、リスクマネジメント等)のうち、企業価値に関連する情報の開示と捉える。」とされている。
 一方、本ガイドライン案では、サステナビリティの定義は無いため、改訂コーポレートガバナンス・コードの「考え方」の定義を踏襲するかの如くの形式だが、「サステナブル」を自社の持続性(サステナブルなビジネスモデルや価値創造)のみを対象としておりp.8-12, 23, 33、自然環境や社会(ESG要素)の持続性について何ら記載されていない。
 非財務情報の開示について、ダブルマテリアリティ/シングルマテリアリティーの議論等を経て、開示対象をサステナビリティー関連情報とすることで、国際的な開示ルールの調和が図られつつある背景があるのに、本ガイドライン案は、サステナブル|サステナビリティーを自社の持続性にのみ使用しており、国際的動向に逆行している。国内外で尊敬され得る開示に関するガイドラインを提案しようとする際の前提を欠いている。
 本ガイドライン案では、IIRC, SASB, VRF, IFRS, ISSB, WICI, CDP, EFRAG, 欧州委員会など非財務情報の開示ルールを模索している各種団体への敬意が示されていないばかりか、「サステナビリティー関連情報」という用語で妥協と調和を図っている国際動向の現状への理解や配慮を発見できない。経済産業省「非財務情報の開示指針研究会」等との対比においても、先行調査が足りておらず、国際動向と矛盾する。

2.6 学ぶべきなのは誰か。

 本ガイドライン案は、IPランドスケープへの言及や、知財部への言及があり、知的財産権の権利化、権利行使や調査を行う知財部門や知財担当者の影響の強い文書と思われる。そして、上述のように、研究開発者、会計人、経営者や取締役、投資家及び非財務情報の開示ルールを模索している国際的な各種団体への敬意が示されていないばかりか、批判的で高圧的ですらある。
 知的資産経営開示ガイドライン、知的財産報告など知財活動を文書にして投資家と対話する機会が示唆されてから10年以上経過しているのに、知的財産報告書を現在も開示していたり、正式に統合報告書に一体化させた企業は数少ない。その理由は、知財部門と知財担当者の学習不足や社内外との対話の姿勢が不足しているためと思われる。
 実際、改訂コーポレートガバナンス・コードの基本原則5株主との対話の補充原則5−1②にて、「対話を補助する社内のIR担当、経営企画、総務、財務、経理、法務部門等の有機的な連携」とあり、知財部が記載されていない。知財部がここに記載されていない責任を、経営者、取締役、会計人や投資家に押し付けても解決しない。
 コーポレートガバナンス・コードは一定周期で見直されるため、次回のCGC改訂で補充原則5−1②に知財部が追記されるように、より多く学ぶべきなのは、知財関係者である。
 その知財関係者がすべき努力から目をそらして、「知財部が未来をみすえて経営や投資家に役立つ活動をすでにしている」という誤解を読み手に与えるような「知財ウォッシュ」や、パテントマップをIPランドスケープと言い換えることで経営に貢献してきているかのような言葉遊びの「知財ウォッシュ」をしていては、日本の「知的財産の投資」が国際競争力の回復に貢献することはない。
 本ガイドライン案は、知財部門がどのような努力をしていくべきかについて、ガイドすべきである。ミッションの変革などという抽象的なガイドでは足りない。
 知的財産報告書を現在も開示し、または知的財産報告書の歴史を統合報告書に一体化して現在も開示し、投資家と対話している企業から、好事例や率直な課題を学ぶことが一案となる。いままで知的資産経営報告書や知的財産報告書を作成したことがないが、自社の統合報告書で知財の話題を扱ってもらいたいと希望する知財部へのガイドを整備すべきである。そのための社内対話の第1歩は経営デザインシートが有望だが、単なる箇条書きでも良い。

3.「5つの原則」が持つ矛盾

 5つの原則は他のガイドライン群と矛盾するか、またはガイドラインとして新しさがない(無駄に重複する)から、削除すべきである。各原則の矛盾点を簡単に指摘する。

3.1 価格決定力

 無形資産というアセット・資源そのものが、価格を決定づけることはほぼない。ダイヤモンドでさえ、提供企業や製品、売場が異なれば価格は異なる。価格を決定付けるのは提供価値であり、そのためのビジネスモデルを動かす組織である。根拠となる様々な文献があるが、本ガイドライン(案)で紹介されている『会計の再生』に次のように記載されている。

『会計の再生』p.167 注7
戦略的資源・資産に価値がある、あるいは独創的であるということだけでは、それら自身が価値を生み出すとは限らない点には留意が必要である。最も将来性のある特許でさえも、製品やその後の市場化がスマートに実践される必要がある。それゆえ、価値創造とは、戦略的資源を取り巻く組織を必要とする

『会計の再生』

 「安易な値下げ」というのも、経営者や営業担当者への敬意のない表現であり、ガイドラインとして不適切である。価格決定力は、ジレットモデルにしがみつきサブスクリプションに移行できなかったり、個別の見積が必要でWebサイトでの自動販売の仕組みを構築できなかったり、顧客が価値を感じる部分と製品群の品揃えの価格帯が見合っていなかったり、日本企業が得意とする製品が国際的に規格化・標準化されてしまい価格競争以外の差別化ポイントがなくなってしまっていたりなど、値下げ圧力から離脱する仕組みの導入への挑戦が、上手くいっていない事例が散見される。
 原則1は価格決定力に関する洞察が足りていない。改訂CGC基本原則4(2)は、「経営陣幹部による適切なリスクテイクを支える環境整備を行うこと」という例えば「値下げ圧力から離脱する仕組みの導入」に向けた投資や挑戦などができる環境整備を取締役会に期待し、CGC全体として果断な意思決定(基本原則4考え方,文献1p.498)を促している。
 「リスクテイクを支える」というリスクテイクは、例えば高価格帯の製品・サービスの開発や、低価格帯で大規模な数のでる製品・サービスへの挑戦など、本来の設計や値決めの果断な意思決定(攻めのガバナンス)であり、挑戦である。
 その全体像は取締役会が環境整備し、経営者が意思決定するものであり、何々を値下げするな等を経営者に指示するような「ガイドライン」は経営の裁量に踏み込みすぎており、ガバナンスのソフトローとしても、価値創造のソフトローとしても不適切である。
 「安易な値下げをしない」ことのコンプライやエクスプレインの条件説明もなく、空虚なコードである。キャッチーなだけで役に立たない。
 ROE 8%というのは、安易な値下げをするな、コスト削減をしろ、資産を持ちすぎるな、という意味である。

3.2 費用と資産

 2.2に上述したように、自己創設の研究費を費用処理すること自体は、会計制度の保守主義によるもので、国際的にも妥当なものであり、仮に資産計上したとしても、知的財産権の取引市場は閉鎖的なため取引価格の情報が少なく、将来CFとの関係も評価しづらく、減損処理に多大なコストを要することとなる。
 特段、研究費や研究開発費の費用処理が、知的財産の投資への障害となっているという証拠はない。工場の建設と異なり、研究開発やブランド構築は毎年度支出があるため、毎年度ほぼ同額の支出であれば、減価償却をするのと費用処理するのと定常状態でさほど変わらない。
 会計の専門家の意見を聞かず、「資産の形成と捉える」ことを原則とするといっても、会計実務との整合性がないのでは本ガイドライン案の支持は広がらない。費用処理していても研究開発、ソフトウエア開発、ブランディングなど見えない資産(超過収益力)の経済的価値はM&A等の機会に正当に評価され、また株式市場での時価総額に含まれる。
 自己創設の費用処理された無形資産により超過収益力がある場合、超過収益力の分、利益率が高くなるため「利益にオンバランスされている」と考えることもできる(文献3)。
 費用処理と資産計上は、評価期間を長期にするほど差がなくなるため、本ガイドライン案のうち長期指向の部分について、費用と資産の区分は意味がなくなる。
 2.4に示したように、赤字を推奨することは、よほどの企業規模の成長が見込めない限り、日本の不良債権処理後の様々な改革に逆行する提案である。企業と投資家との対話を疎外する。
 財務上資産にならないものを、意識だけ「資産」とするのは無理がありすぎる。妄想はガイドラインにならない。

3.3 ロジック

 開示について、ストーリーで開示することは、国際的なコンセンサスのある手法であり、知的資産経営という日本発の経営手法として提案された歴史あるものであって、安定している。経営デザインシートも、誰が、どんな価値を、どのように、提供するのかという価値創造のストーリーを描き出すツールである。
 一方、ロジックをガイドラインとするのは悪影響が大きい。非財務情報の開示では、ロジックよりも、全体の統合性と、要素間の結合性を目指してもらうのがよく、それは、必ずしもロジカルで無くても良い。統合の論理性が完璧で無くゆらぎがあっても、そのゆらぎこそが開示企業の個性である。企業経営は、論理的では無くとも、統合性を見いだせることがある。
 WICIのサポートによるIIRCの統合思考は、世界中に受け入れられ、ISSBが採用しない理由は、現状、発見できない。ロジックではなく、統合性と結合性である。
 ロジカルであることを追求しすぎると、狭い範囲の内部で美しい整合性を保っている一方、開示された部分と他の部分の関係性が不明瞭となり、全体像が分からなくなる。ロジカルを追求しすぎると、統合性が失われる懸念が増大する
 例えば、ある日本企業はROICを分解したROICツリーを各事業部やスタッフ部門の目標となるKPIに落とし込んでおり、ロジカルである。しかし、ROICをツリーに分解して固定資産の回転率をみるとき、費用処理された研究開発費が固定資産に含まれないことについて言及されていない。営業利益への知的財産権の貢献についても明記されていない。これらROICと知的財産の投資や知的財産権の利益率への貢献を開示しようとすると、ロジカルに説明できる知識体系は現存しないため、ロジックを追求しすぎると、記載しないこととなる。ROICツリーのない単なるROICと、知的財産への投資、その権利化状況と権利行使の概要の説明がある方が、個別の論理性には欠けるが、価値創造のストーリーが浮き上がり、統合性と結合性のある開示となることがありえる。このようなストーリーの開示は、投資家との対話を弾ませ、双方に洞察をもたらすだろう。
 なお、ROICツリーの開示は好事例であり開示企業らしさのある独自の進化を続けるものとして、私はその開示内容や開示への取組を尊敬している。ROICツリーと知的財産の投資の関係も、いずれその開示企業らしさのもとで公開されてくるものと予想している。
 本来、本ガイドライン案はそのような財務分析と知財活動の関係などの開示を後押しすべきであるが、残念ながらそうなっていない。

3.4 全社横断的

 取締役会での研究開発投資に関する対話についてはCGC原則5−2、ESG項目を含む非財務情報の開示については対話ガイドラインにてサステナビリティー委員会の設置が提案されている。
 「知的財産・無形資産の投資」の大半は研究開発投資であるから、知的財産・無形資産の投資については、CGCや対話ガイドラインですでに規律されている。そこに、本ガイドライン案がこれらの規律との関係性を明示せず、研究開発投資を含む「知的財産・無形資産の投資」のガイドラインを提案するのは、先行するコードやガイドラインへの尊敬に欠ける他、矛盾を生む。
 知財活用を含む形で記載されているが、言葉遊びにすぎず、本来的・本質的な対象は研究開発投資そのもので、知財活動はCGCの話題となっていない。本ガイドラインで知財活動について取締役会で対話をするなどの提案をするのであれば、その必要性やどんな成果が得られるのか、本ガイドラインにはより多くのエクスプレインが必要となろう。既存のコードをコンプライしていないのだから。ガイドライン自体のガバナンスが問われる。
 そもそも、知財部は投資家との対話のための社内部門から、改訂CGC上、外されているのに、その振り返りなしに全社横断的組織の提案がなされても、他の部門から尊重されないのではないだろうか。

3.5 中長期

 この記述に新規性が無い。この中長期のために知財担当者や知財部門が何をすべきか、ガイド案を検討すべきであって、凡庸な既存の内容を新しい名前のガイドラインに含めることは無駄な仕事を生み出すため避けて欲しい。

4.「7つのアクション」の新規性

 7つのアクションは、価値デザイン社会を目指し、経営デザインシートでありたい未来をデザイン(構想)することであり、なぜそれを違う言い方の言葉遊びをして新しそうに見せかけ、かつ、知財部のすべきことではなく、知財部外へ人たちへの要望ばかりいれるのか。

 経営デザインシートとの実質的同一性を、以下、アクションごとに示す。
 知財部が、自社や事業ごとの経営デザインシートを作成してみて、経営陣や他部門との対話を働きかけることが、この7つのアクションの実践であり、「知的財産の投資」の内容と開示の有効性を高める。

(i) AsIs

 経営デザインシートの「これまで(Bのパート)」のことである。

(ii) マテリアリティー

 経営デザインシートは、自社のパーパス(存在意義)やビジョン(Aのパート)との関係で、1枚に入る文字数でありたい未来を描くため、その選ばれた内容は自社の価値感に見合うマテリアルなものである。また、複数人で経営デザインシートを作成して対話することで、マテリアリティー・マトリックスによる選定とはまた違う対話による納得感の高い長期的なマテリアリティーを選んでいくことができる。

(iii) ToBeと価値創造ストーリー

 経営デザインシートの「これから(Cのパート)」のことである。

(iv) 投資や資源配分

 経営デザインシートの「移行戦略(Dのパート)」が主だが、これまでAとこれからCのそれぞれの価値創造メカニズムで、提供価値から逆算して必要性が見極められた資源(リソース)は、経営上のリソース・アロケーション、リスクテイクの重要な対象となる。

(v) 取締役会・ガバナンス

 取締役会で、相互のスキルを尊重しながら、経営デザインシート簡易版ぐらいの1枚紙でありたい未来についての対話、特に、パーパス、事業ポートフォーリオでの会社グループ全体で共有すべき資源、誰にどんな価値を提供できるのか、などのありたい未来を対話し、その一部をステークホルダー向けに長期の取組として開示できるのであれば、果断な意思決定であり、攻めのガバナンスが有効に機能している証拠となる。攻めのガバナンスの果断な意思決定に向けて、経営デザインシートを使った取締役会の対話は役立つ(文献4)。

 パーパスがシンプルな社会価値と事業価値を一体化している高PBR企業(両立企業)は、コーポレート・ガバナンスシステムが機能している(文献1p.425-)。この一体化やシンプルなパーパスでありたい未来を描くのは、経営デザインシートの理想像であり、経営デザインシートの1枚に描くという単純なことは、単純だからこそ、幅広くガバナンスに有用なのである。

文献1 北川先生p.425 -
・高PBR企業はイノベーションとサステナビリティー活動が同心円化しており、事業価値と社会価値が無理なく一体化している。
・パーパスがシンプルで投資家にも分かりやすい。
・このような両立企業の場合に、コーポレート・ガバナンスシステムが機能している。

文献1

(vi) 開示・発信

 知財・無形資産の投資・活⽤戦略の内容そのものを開示・発信するのは、情報ニーズ側とのミスマッチを生む。
 知的財産の投資や、その投資の成果を模倣等から保護する知的財産権の取得及び活用については、企業の中長期の計画のなかで位置づけて、または、これまでの価値創造メカニズムのなかで位置づけて、開示することが望ましい。
 発信側と受信側でミスマッチがあると、情報発信の多くが無駄になる。パーパスや提供したい価値からの説明では、受信側が当社の取組に興味を持ってくれる可能性が高い。一方、得意な技術の詳細や、知的財産権制度から当然に導かれる内容を語られても、投資家の興味の対象そのものではないため、ミスマッチとなりやすい。
 本ガイドライン案による開示・発信よりも、知的資産経営開示か維持ガイドラインや、経営デザインシートのマニュアル類や、経済産業省「非財務情報の開示指針研究会」中間報告の方が開示・発信のガイドとして実務に利用でき、優れている。

(vii) ステークホルダーとの対話

 経営デザインシートは、企業規模によらず活用できるが、まず中小企業と金融機関に普及し、多数の知見が蓄積されてきた。このため、本ガイドライン案でも、経営デザインシートを使った金融機関側の事業性評価や、中小企業と金融機関の対話例が記載されている(■事例 14: 顧客の知財・無形資産を理解した融資(きらぼし銀⾏の事例))。
 上場企業でも経営デザインシートの社内活用は始まっているが、開示に向けた社内コンセンサスを得ることに中小企業より時間を要している。
 このため、上場企業によるKDSによる投資家との対話例の公開は時期としては今後となる。しかし、内閣府提案の経営デザインシートがステークホルダーとの対話に役立つこと自体、中小企業と上場大企業で変わりはない。
 オクトパスモデルと異なり、経営デザインシートは時間軸が明確で、過去の価値創造メカニズムと未来の価値創造メカニズムの両方を描く。このため、長期指向のありたい未来についての対話で、誤解や混乱が生じにくく、対話の生産性を高める。

 また、p.30図表9の戦略構築の流れのイメージの図には、出典や参考文献が記載されていないが、経営デザインシートの簡易版を90度反時計回りに回転させたものである。アウトカム(提供価値)から逆算してインプット(資源,リソース)を特定していく考え方は、経営デザインシート自体に矢印として書き込まれている。なお、ToBeを前提に、AsIsとの差分(ギャップ)を認定して、移行戦略(図表9では投資・経営資源配分戦略)を構想していくのが、本来的なバックキャストである。

5.知的財産の投資の全体像

5.1 知的財産の投資の分析と開示

 p.40のオクトパスモデルの要素を取り出し、要素間の関係性を維持しながら、知的財産や無形資産を資源(インプットとあるが、6資本のいずれかの資源である)とする分析と開示は、全体像のなかでの知的財産への投資の意味を明らかにする試みであり、素晴らしい。
 このような全体像のなかに知財を位置づける整理は、経営デザインシートの発想そのものである。
 また、ボックスを横に並べて最も右側にアウトカムを配置しつつ、知財を位置づける表現はこのガイドライン案以前に、他でも見かけたことがある(文献5)。
 p.40以下では、各ボックスについて定量化しようとしているが、各ボックスごとの定量化ではなく、全体として価値創造ストーリーの進捗を把握できるKPIを選ぶのが良い。

 事例が3つあるが、不慣れな方による整理と見受けられ、また、知財人であれば使わない用語の使い方もある。

 1つめイノベーティブの事例では、アウトカムは「顧客価値」の内容を描くべきである。そこからビジネスと資源を逆算していく(この事例は、図表9の戦略構築の手順に従っていない)。顧客に提供する価値から逆算していくと、事業活動の中心内容は知財の話にはならない。また、ファブレスと、オープンクローズでの徹底秘匿は矛盾する。ビジネスとして無理がある。

 2つめブランドの事例では、顧客の満足は提供できた価値そのものであり、ブランドの顧客満足度はアウトカムになる。ブランドのアウトカムだと、生活増進よりは自己実現だと思われる。また、CMでブランド価値を作れる時代は終わっている。認知が上がっても共感は広がらない。パーパスや技術力、誠実さの気風を作らないとブランディングは始まらない。言葉遊びによるガイドラインのように、顧客にすぐ見透かされる。
 見込み客の期待に応える新技術や形状等のデザインから、ブランド化していく長期構想と実践が理想。

 3つめ情報分析の事例。なぜ「秘密管理体制」と書けないのか。ウォンツ対応製品のことと想定されるが、KPIはシェアでみれば良い。提供価値としては、顧客が従事する何らかのプロセス全体の完成であることが多い。

 このように、知財から経営全体(アウトプット、アウトカム)まで見渡すと、侵害への訴訟というのが重要な知財活動としてでてくる。訴訟へのスタンスは重要な経営方針となる。

5.2 経営デザインシート化

 この3つの事例のような分析と開示を、経営デザインシートで行うと良い。経営デザインシートでは、上述のように、オクトパスモデルと異なり、過去の価値創造メカニズムとありたい未来において実現したい価値創造メカニズムの2つを描くことができ、そのありたい未来からバックキャストして移行戦略を構想することができる。

5.3 知的財産報告書の開示例からの学び

 p.40以下の事例を経営デザインシートで充実させる作業と、知的財産報告書を開示し続けてくださる企業や、知的財産報告書の開示を正式に統合報告書に一体化した企業へ、投資家との対話についてヒアリングができると良い。

5.4 本ガイドライン案の対象

 改訂コーポレートガバナンスコードに関連する多数の文書との関係性のなかで、本ガイドラインの適用範囲について、本ガイドライン案の記載も参照すると、次のように認められる。
 本ガイドライン案では、補充原則3-1③と、4-2②のみを引用しているから、改訂コーポレートガバナンスコードの基本原則1、2及び5は本ガイドラインの対象外である。
 特に、投資家との対話5については、本ガイドラインの対象外である。
 また、本ガイドライン案では、基本原則3の「非財務情報」について何ら言及していないから、コーポレートガバナンスコードの非財務情報については本ガイドラインの対象外である。
 改訂コーポレートガバナンスの基本原則1、2及び5や、基本原則3の「非財務情報」について、別の既存のガイドラインや、今後作成されるガイドラインがある場合、本ガイドライン案よりもそれらの他のガイドラインの内容が優先となる。
 コーポレートガバナンスコード基本原則3の「非財務情報」についてのガイドラインは、経営デザインシートの活用例を含め、経済産業省企業会計室の非財務情報の開示指針研究会のもとで、産業組織課の既存のガイドラインとの関係性を調整しつつ、作成いただくことが望ましい。

 本ガイドラインは、2つの補充原則の内容を拘束力なく補完している。
 例えば、投資家との対話については、基本原則5が適用され、本ガイドラインになにか記載があっても、基本原則5が優先して適用される。

 本ガイドラインのp.44「コラム 13: 経営デザインシートの活⽤」が記載されているが、上場企業については、東証による経営デザインシートのFAQの内容が優先すると理解している。すなわち「具体的な開示にあたっては、例えば、知的財産への投資等をご検討いただく際に、「経営デザインシート」(知的財産戦略本部、2018年5月公表)等をご活用いただくことも考えられます。」(文献6)、との活用の推奨が、本ガイドライン案のコラムの記載よりも優先する。

 本コラムの「経営デザインシートのみでは、投資家や⾦融機関との深い対話をする上では必ずしも⼗分とは⾔えず」との記述は投資家との対話を一度も経験したことの無い人々による想像上の評価と思われる。根拠が何ら記載されていない。
 経営デザインシートを使って実際に対話をした投資家の満足度は高い。経営デザインシートは統合報告書の骨格であり、詳細情報は統合報告書によって補完されるべきものである。知財部は、自社の統合報告書に知的財産への投資や知財活動について投資家の興味に応じた開示ができないか、社内対話を深めていくと良い。

5.5 本ガイドライン案が1.0となり、案を取り外せる状況

 内閣府ご自身がお決めになることだが、私案を意見として示す。

 第1に、5.4を前提として、研究開発費やブランディングへの支出など知的財産そのものへの投資(知的財産の投資)と、知的財産の模倣等から保護する知的財産権の取得及び活用の(知財活動)を明確に分けてガイドラインを記載すべきである。

 第2に、5.2及び5.3の両方をバランス良く情報収集し、企業が、知的財産報告書から、統合報告書や経営デザインシートへ移行していく作業をガイドできる案を示すべきである。社内でも、財務、IR、環境、ESGはそれぞれ動かせない年間スケジュールがある。そのなかで知的財産への投資をどう投資家への情報に含ませていけるか、年間スケジュールでのガイド案を示しても良い。

 第3に、知的財産の投資と知財活動について、どのような情報ニーズがあるのか、国内外の投資家や基準設定機関(VRF, WICI, ISSB, EFRAG等)の情報を経済産業省の協力のもとで入手し、情報発信のストライクゾーンを提示すべきである。

 第4に、知的財産の投資と知財活動の開示の好事例集を、例えば特許庁の協力のもとで毎年度公開できるように環境整備すべきである。金融庁の「記述情報の開示の好事例集」は関係者から尊敬・尊重されている。そのような開示を特許庁が担うことができ、その環境整備を内閣府が執り行っていただけたら素晴らしい。

 第5に、『会計の再生』を卒業し『無形資産が経済を支配する 資本のない資本主義の正体』に示されるマクロ経済からみた無形資産投資、無形資産の4S、解雇しやすさと無形資産投資の関係など、多面的に提起されている問題意識に取り組み、日本経済にとっての重要課題(マテリアリティー)を抽出し、対策を示すべきである。

6.知財ウォッシュ

 本ガイドラインはグリーンウォッシュ同様、知財ウォッシュであり、同一分野の専門家の足を引っ張り、他の専門家から尊敬されない内容となっている。その理由は以下の通りである。

6.1 「知的財産への投資」が投資だけでなくなっている

 第1に、コーポレートガバナンス・コードの補充原則にいう「知的財産への投資」が、研究開発への投資を中心としつ、ブランド構築のためのマーケティング投資を含むものであるのに、知財部が担当をする特許権や商標権の権利化や、知的財産権の利活用の話題を強引に埋め込んでいる。
 コーポレートガバナンス・コードが想定していない知財部の仕事内容を、コーポレートガバナンス・コードの一部であるかのように見せかけて知財部の既存の存在をアピールしようとしている。そうではなく、価値創造への知的財産権や知財活動の貢献をありたい未来においてどう開示していくべきなのか、検討しなければならない。

6.2 将来の価値創造に貢献する知財のあり方を目指していない

 第2に、投資家から求められているのは、知的財産の投資や、特許権等が、どのように将来の売上や利益に結びつくのかという価値創造の見通しであるのに(文献1p.387-)、この本質的な課題に正面から回答しようとせず、安易な値下げをするなとか、ゲームチェンジとか、論点をすり替えた一見キャッチーなワードを埋め込み、ウォッシュ|ロンダリングしている。

文献1 三瓶氏p.387-338
今回のコード改訂でわりと後押ししているというか、人的資本とか知的財産への投資というのを重要だと、そういう資金配分をしましょうというふうになっているんですけど、かといってやみくもに、じゃあどんどんそういうところに投資をすれば良いかとなってしまうと、話は違うと思います。キャピタル・アロケーションするからには、どういう時間軸で、どんな成果が上がってくるのを期待するのか、見なければいけない。ただそう簡単に毎年、去年取り組んだことが成果として出るなんて思うのは違うだろうということを分かりながら投資家もみていくという、両方のバランスが必要になると思うのです。

文献1

 知財活動を根源的に見直し、続けるべきことと変えるべきことを見極め、現在の知財人から憎まれようとも日本経済のあるべき姿のために知財活動をどう変えていかなければならないかを自省し、提案することを避け、経営者、取締役、投資家等に不必要なボールを投げることでガイドラインであるかのような作文をしている。
 他者の責任に注目を集めようとすることで自分たちへの責任追求を回避しようというグリーンウォッシュ同様の知財ウォッシュである。

6.3 IPランドスケープという新用語

 第3に、IPランドスケープという新しい用語を使うことで、実際には変わっていないものを、変化している(新しく有用な仕事をしている)ように見せかけている。知財を専門としない他分野の人は、知財人が特許情報の調査結果を「こうです」と説明したら疑わずに「そうですか」となる。監査法人が監査した財務報告書の内容を他の人々は「そうですか」として使っていることと同じである。従って、知財人が知財情報を分析し報告する際には、高い倫理観が求められる。
 それでは、高い倫理観があるか、本ガイドライン案をみてみよう。p.31にIPランドスケープは「経営・事業情報に知財情報を取り込んだ分析を実施し、」と記載されており、IPランドスケープであるという事例が2件報告されている。その2件に、「経営・事業情報はあるだろうか?」この場合、従前のパテントマップで意識されていた特許情報と事業(製品・サービス分野)を特定する程度のことは、パテントマップであって、わざわざ経営に役立っているかの如くのアピールをする新しい用語を使う必要性はなかろう。同じ内容に違う名前を付けて新しく見せかけるのは完全にウォッシュである。
 1つ目は旭化成の取組で、旭化成は市場シェアと知財情報を対応させるような調査手法を知っており、IPランドスケープを実践することができる。ただ、この事例では、IPランドスケープとして示されているマップ自体は、市場や事業の情報を含まない単なる特許のポジショニング・マップであり、パテントマップとして長年利用されてきているものである。パテントマップで経営層と対話することも従前から行われているから、この事例に新しさはない。
 2つ目はブリヂストンの事例だが、これはパテントマップ以外のなにものでもない。
 このガイドライン案には、知財部が努力をしない未来像が示されている。経営者がわかりやすく知財の意味を知るために、知財部がこれからどのような努力をすべきなのかは、提案されていない。その努力例としては、オクトパスモデルや経営デザインシートで経営上の知財の意味を明らかにし、その1枚紙を経営者や投資家に示すことである。
 経営者や投資家は、IPランドスケープといわれたときには、知財ウォッシュを疑うと良い。知財情報で閉じ籠もるのではなく、市場シェアや市場規模、事業内容やセグメントを特定したうえで、その個別のセグメント等に寄与している特許等の情報を要求すべきである。
 例えば、p.45に、知財・無形資産の投資・活⽤戦略の開⽰・発信について、セグメント単位の開⽰・発信をしようという大変に素晴らしい提案がある。しかし、具体的に事例を見ると、急に、研究開発費の話になっている。会計人が多大な労力をかけて収集し、整理した貴重な情報である。セグメント毎への按分というのは大変である。コニカミノルタの例も、日立グループの例も、研究開発費の按分であって、「セグメントごとの特許件数、特許出願数、各セグメントに共通の特許件数」はもちろん「セグメント毎の商標件数と主なブランド」すら記載されていない。
 本ガイドライン案には、IPランドスケープの定義に従って、セグメント毎のIPランドスケープを示すにはどうしたら良いのかというガイドが記載されていないことはもちろん、そのような開示がなされる可能性すら認識されていない。
 本ガイドライン案が、案とつかない状態で公開された際には、投資家は、全てのプライム市場の企業に、セグメント毎の特許件数の情報をこのガイドラインに従って直ちに要求すると良い。複数のセグメントで 共通して 利用している特許権の数が多いということは、全社の共通資源が多く、製品開発や製造を他社と比較して低コストで実現できていることと、事業部間の技術の風通しが良いことを示す。それは、アナリストが長期業績を予測するさい際のシグナルとしても有用だろう。
 本ガイドライン案が、案のまま公開される際には、セグメント毎の特許情報の有無を問い合わせる程度とし、お手柔らかな対話としていただくことを希望します。
 正式なガイドラインとなるのであれば、例えば、投資家は、重要なセグメントについて、当年に権利化又は出願した件数と、放棄・消滅した件数などの動きの情報も本ガイドラインに沿って上場企業に要求できるだろう。

6.4 経営の発想と逆な知財天動説

 第4に、意図的なのか、自然になのか、本ガイドラインは経営の通常の発想と逆のことが多い。例えばp.17のマテリアリティーについて「マテリアリティの特定に際し、知財・無形資産の投資・活⽤戦略の位置づけを考慮することが重要」とある。これは発想が逆で、マテリアリティーを選んでから、知的財産の投資対象を選び、知財活動の重点を選ぶのが経営上自然である。
 しかし、知財のことを考慮しながらマテリアリティーを特定しようという文章を書いてしまうのは、知財天動説にすぎる。p.10の要約では経営上正しい順序の文章となっており、全体として、本ガイドラインの統合性がゆらいでいる。

 要約は知財天動説ではなく正常かというと、p.9に「知財・無形資産の投資・活⽤戦略は、経営戦略そのものであるにもかかわらず、これまで知財部任せとされ、取締役会における全社横断的な議論が⾏われてこなかった。」と記載されている。p.45-46のセグメント情報における「知財・無形資産の投資・活⽤戦略」は研究開発費だから、p.9「知財部任せ」の対象に研究開発費が含まれる。

 全社の研究開発費の配分が、知財部任せな企業があるのだろうか?

 質問には回答しないということであるが、この点はぜひ回答をいただきたい。最後に、意味を把握しずらい記載部分を、質問の形で指摘する。

7.質問


質問1 p.9「知財・無形資産の投資・活⽤戦略は、経営戦略そのものであるにもかかわらず、これまで知財部任せとされ」とあり、「知財・無形資産の投資・活⽤戦略」には研究開発投資も含まれておりますが、研究開発をどのテーマにするかについて、「知財部任せ」の企業が多いのでしょうか?

質問2 p.29 「知財・無形資産の投資・活⽤戦略は、経営戦略そのものであり」とありますが、誰がどんな根拠でそんなことを言っているのでしょうか? なんていう経営学者ですか?

質問3 図表9の出典・参考文献はないのですか。本ガイドライン案のオリジナルですか?

質問4 金融・投資向けの章の記載は、いったい、どのような根拠によっているのですか?

質問5 本ガイドラインのコーポレートガバナンス・コードとの関係での対象は、補充原則3-1③と、4-2②のみで、基本原則1,2及び5,基本原則3の「非財務情報」については対象外であり、本ガイドラインで対象外の部分について記載があっても、別のガイドラインの内容が優先する、または読み手の自己責任で優先させて良い、と考えて良いでしょうか。

■引用した文献

文献1 武井一浩, 井口譲二,石坂修,北川哲雄他『コーポレートガバナンス・コードの実践(第3版)』(日経BP,2021.8)
文献2 中村直人,倉橋雄作『コーポレートガバナンス・コードの読み方・考え方(第3版)』(商事法務,)
文献3 桜井 久勝「残余利益モデルからみた会計基準の合理性 (北村敬子教授古稀記念論文集)」,商学論纂,中央大学商学研究会,2016-03,57巻,3・4号,41-73頁
文献4 住田 孝之「ガバナンスにおける経営デザインシートの役割と統合報告での活用」,日本知財学会誌,2021-12,18巻,2号
文献5 鈴木健治「知的財産への投資を経営デザインシートで優しく包んで開示する方法」https://note.com/kvaluation/n/nfcd91edeee79
文献6 東京証券取引所【CGコード改訂】コーポレートガバナンス・コードの補充原則3-1③の「人的資本や知的財産への投資等」について、どのような観点から開示する必要がありますか。また、開示にあたって参考となる情報はありますか。
https://faq.jpx.co.jp/disclo/tse/web/knowledge8347.html

■ガイドライン群

金融庁 対話ガイドライン
https://www.fsa.go.jp/news/r2/singi/20210611-1.html

経済産業省 産業組織課 CGSガイドライン
https://www.meti.go.jp/press/2018/09/20180928008/20180928008.html

経済産業省「事業再編実務指針~事業ポートフォリオと組織の変革に向けて~」
https://www.meti.go.jp/press/2020/07/20200731003/20200731003.html

経済産業省「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針」
https://www.meti.go.jp/press/2019/06/20190628003/20190628003.html

経済産業省「非財務情報の開示指針研究会 中間報告」
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/hizaimu_joho/20211112_report.html

特許庁「デザイン経営」
https://www.jpo.go.jp/introduction/soshiki/design_keiei.html

その他、知的資産経営、事業価値を高める経営レポート、ロカベン等

■その他、参考にした文献

・各社の統合報告書
・ドラッカー『イノベーションと企業家精神』
・ジョナサン・ハスケル他『無形資産が経済を支配する 資本のない資本主義の正体』(東洋経済新報社,2020.1)
・北川哲雄他「サステナブル経営と資本市場」(日本経済新聞社,2019.2)
・住田 孝之「新団体VRFはどこへ向かうのか? IIRCとSASB統合による非財務情報開示の変革」企業会計 = Accounting,中央経済社,2021-05,73巻,5号,679-685頁
・ティム・ブラウン『デザイン思考が世界を変える』(早川書房)
・2016.9 WICI インタンジブルズ報告フレームワーク(WIRF)
https://wici-global.com/index_ja/wp-content/uploads/2021/10/WIRF-japan.pdf
・鈴木 健治他「市場シェアに知的財産情報を関連づけるイノベーションのための分析方法」情報の科学と技術,一般社団法人 情報科学技術協会,2020,70巻5号,266-272頁
・WICIジャパン「非財務分科会報告書」(WICIジャパン,2021)
https://wici-global.com/index_ja/wp-content/uploads/2021/10/20210612.pdf
・WICIジャパン「経営デザインシート活用の統合報告セミナー」
https://wici-global.com/index_ja/event/seminar2021/


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