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深い絆と深い溝とは紙一重

僕の親がいつからああなのか
知らないけど
(大丈夫、大丈夫)
君と僕はこれからも成長するよ
(大丈夫、大丈夫)

これは、宇多田ヒカルが2018年4月にリリースした『Play A Love Song』という歌の詞だ。

サントリーの天然水のCMにも起用された楽曲で、肩の力の抜けた、ほどよい爽快感が特徴的な歌である。

そんな曲中の2番にぶっこまれた歌詞がこれ。

宇多田ヒカル自身、長く親子関係には悩んでいたと公言しているので、こんな歌詞を書いていることは別に驚くことではない。

ここまでは前置き。


私も長く、親、特に母親との関係に悩んでいる。

今現在(2019年8月17日現在)は特に目立ったトラブルもなく、表面上は平穏に実家で日々過ごしているのだが、私の心中はまったく平穏ではない。

母との関係がうまくいっていない時は勿論のこと、たとえトラブルのない時でも、母のことを話したり、話さなくても考えるだけで必ず涙が出てくる。自分でもなんで泣いてるのかはわからない。

母のことを考えるだけで、胃が痛くなって呼吸が苦しくなって全身の神経痛が始まる。

死にたいな、なんて人間生きてる限り誰しも思うことがあるだろう。私もちょいちょいある。
ただ、母のことを考えるときは、死にたいな、レベルではなく、自分を刃物で全身めった刺しにして、なるべく限界まで傷めつけて血をダラダラ流しながら死にたいと願ってしまう。これもなぜだか理由はわからない。

とにかく、母が私にとって、安心できる暖かい場所として機能していないことは確か。

母のことを、世界の誰よりも嫌いになる日もある。
なんとかしてこの存在を目の前から消したいと、何度も思ったことがある。もし母ではなく、違う人に育てられていたら私は今頃こんなに苦しまずに済んだだろうか?とも考える。
母に育てられた22年間を、できるものならすべてリセットしてしまいたいと心底願う夜が明けると、翌朝は罪悪感に涙を堪えながら家を出る。毎日それの繰り返し。


親のこと嫌いなんてとんでもない!衣食住、何不自由ない恵まれた生活させてもらったくせに!って言う人、絶対いるよね。わかってます。うちの親自身もそう(嫌いって言ったんかい)。私のことをよく知っている人ほど、そう言うでしょう。

でも、これだけは言わせてください。私も軽々しく、嫌いなんて言葉を親に向けて使っていません。

親の存在がどうしてもわずらわしい。
でも人生かけて産んで育ててくれて、決して余っているわけではないお金をつぎ込んでくれて。
やっぱり母は私を愛してくれたんだよね。
いやでもしんどいよね。
なにこの状況?
っていう無限ループを何年もして、
もうこのままじゃ私が死んじゃう、と思って絞り出した言葉が、嫌い、だから。

恩とか情とか、綺麗事は忘れなければやってられなかった。嫌いなものは嫌いと言えなければ、精神衛生上本当によくなかった。


勿論、最初から母のことが嫌いだったわけではなく、
幼い頃は、どこの誰よりも母が好きだった。
小さい子は誰だってママ大好きだろうが、私はかなり母に執着する子ども時代を過ごした。

幼少期を思い出して、「母のことが大好きなのに大嫌いだ」という狭間で揺れ、苦しんだ時期も長かった。
だけど、「大好きなのに」という接頭辞をつけることは自分への免罪符になっているような気がして、やめた。嫌いなものを嫌いというなら、逃げようとするなら、それなりの覚悟を持たなくてはならないはずだ。


世間では、「おかあさん」と「家庭」は神格化されているように思う。
おふくろの味、おかあさんのぬくもり、♪あったかい我が家が待っている〜 とかなんとか。

それも、なにも間違っていない。
私にもそういう記憶はある。

ただ、忘れてはいけないのは、家庭は家族水入らずの温かい場所であると同時に、世界中のどこよりも閉鎖的な場所であるということ。

家庭内でなにがあっても、どんな異常事態が起きていたとしても、外野からは見えない。

もっと恐ろしいのは、誰しもみんな、「自分が育った家庭」ひとつしか知らないので、他と比較することができず、なかなか自分の家庭がおかしいことに気づけないこと。

私自身、自分の母はとても正しく良い母親だと20年近く信じて生きてきた。今でも、悪い親、間違った親だとは思いたくない。
ただ、娘をこんなにも苦しめる母にはやはり違和感が拭いきれない。


今回、このnoteに書いたのはほんの表面的な部分のみである。

間違いなく人生で最も感謝するべき人に、あれこれ思い巡らせてしまうのは、本当に楽ではない。

相当な、感情のエネルギーと時間をこの問題に費やしてきてしまった。

ただ、そうして母を責める私を非難することもやく、また決して母を悪人扱いするわけでもなく、どちらの味方にもならずとも、

ただ下を向いてしまった顎にそっと手を差し出すように、気分の切り替えスイッチを押してくれるのが、

冒頭に引用した宇多田ヒカルの歌なのだ。


僕の親がいつからああなのか
知らないけど
(大丈夫、大丈夫)
君と僕はこれからも成長するよ
(大丈夫、大丈夫)


#親子関係 #母娘関係 #宇多田ヒカル

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