映画(Pさん)
今日は、「ワイルド・アット・ハート」を見た。
前に、冒頭部分だけ見て、放置していた。
今日、最後まで見たけれども、何とも驚くべき映画だった。
白眉は、やっぱり、メタルバンドが演奏して、ヒロインが絡んだもめごとになったときに、主人公が割って入って、殴って解決して、そのマイクを奪い去ってエルビス・プレスリーを歌って、「ピーキャー」騒がれたところだった。
何せ、その「ピーキャー」音は、まるでポン出しのように、機械的に出されるのである。
これだけでは伝わらないだろうか。
メタルバンドが、演奏している、現代に近いライブハウスで、主人公がエルビス・プレスリーを歌って、それを、本来は敵の仲間であったはずのバンドメンバーが、演奏しているのである。エルビス・プレスリーの歌声に合わせて、さも「往年」の「名曲」であるかのように、周りの客が「ピー」あるいは「キャー」と声を上げるのであるが、それはサンプラーから出された声なのだ。しかも、サンプラーであることが、わかるように、「ピピピピー」という、サンプラーの連打までされる。これが、いかに自然に見せるかを志向した映画において、いかにありえない事態なのか、わかるだろうか。
最後の方でも、半ばそういった違和感のある演出がされていて、まあ万事がその調子といえばいえるのかもしれないが、それにしても凄かった。
母親が顔を口紅で真っ赤に塗りたくるシーンなど。
この前後に、「ツイン・ピークス」が撮られていて、この後にマルホランドドライブなどが撮られている。
金ローもやっていたので、「美女と野獣」も見た。
普段なら、ディズニー映画など見ない。
なんだか、今現在、ディズニーチャンネルでやっている、ミッキーなどが出ている毎日放送する系の安いアニメと、質的に似通っていたので、そんなものかと驚いた。
説明とか因果なしに解決するというのは、ある程度は予期してはいたが、それにしてもこれほどのものか、と驚いた。悪い奴が倒されれば、それは正当化されるのである。名の知れない市民が、30メートルほどもあるお城の、さらに奈落の底みたいなところまで落下したとしても、悪い奴であれば、それが救われる必要がないのである。家具でボコ殴りにされ、尻の衣服に火をつけられようと、それは煽り立てられた市民の側の罪なのである。
「ワイルド・アット・ハート」の一場面にも、父親が倒れていて、ガソリンをまかれて火を付けられる場面があった。そのゆえに、主人公、ヒロインがタバコに火をつけるたびに、マッチのドアップが画面に表示される。
映画の因果関係とは、面白いものだ。
金井美恵子の「柔らかい土をふんで、」の続きを読んだけれども、挫折して、放ってしまった。読み続けられない。
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