坂口恭平の個展を見に行った(Pさん)

 崩れる本棚のPさんと申します。
 僕は前から、作家が何枚書いたというその量において凄いという作家を無条件に尊敬してしまうというフシがあります。そのはじまりはやっぱり、星新一だったような気がする。生涯に千一作書いたという、今にしてみれば多少作られた記録であるような響きがなくもないこの記録にいたく感心し、少年にありがちの自己同一化をして、自分もそんな勢いで小説を書くぞ、という気持ちが沸き上がってきたのを思い出す。
 それかといって、星新一の本はそれから読んだのはほんの数冊で、読むことからして尊敬する作家に追随するという気があるのか甚だ怪しい。一冊通して読んだのは「ようこそ地球さん」だった。一番有名な最初期の作品集「ボッコちゃん」と同時期に出ていて、いわばB面のような感じだった。
 その一冊を読んで、心のどこかで「もう十分」と思っていたのだろうか。そうかもしれない。
 時代が下ってつい最近で書く枚数が凄いというので驚いたのは小島信夫だった。こちらは、印象に残っている、何枚書いた、という具体的な数字は覚えていないけれども、文章を彫琢して整ったものにしようという意思が全くない、書いたら読み返さない、ひたすら突き進んでいくという文章を感じたこと、これは星新一の場合とは違って今の自分との間で感じ方に隔たりを感じず、今に至るまであの凄みは体感として文体として残っている。
 それから今日、第三の書きまくる作家として、坂口恭平という本業は建築家の人の絵画の展示兼ミュージシャンとして歌を歌っているライブをしているのを見に行って、これもまた影響を受けた。
 坂口恭平は建築家だとは言ってもごらんの通り何だかわからない活動家のようなもので、自分の周りにコミュニティーみたいのを作ったり、最近では料理本を出していたりする。僕の周りにいる人は、ほとんどがこの坂口恭平という人を怪しがっている、自分もなんというか、手放しに尊敬しているといえばそれほどでもないかもしれないし、数多ある著作の中でも読み通したのは「幻年時代」しかなかった気がする。それでもその「幻年時代」にはやはり、小島信夫的な、こまかい所にはこだわらないけれども何か邁進する力みたいのはこもっている、凄い文章だった。
 この作品がベケットを参照しているとあとで知ったからさもありなんと思った。
 坂口恭平の書く量が最も多かった時期が凄かった。一日三十枚書いていたという。
 今日、そういう人の声を聞いて改めて、少し見習おうかと思った。三十枚は無理かもしれない。五枚から十枚。出来るのかどうかわからないけど、少し早い来年の目標みたいのにしようと思う。
 この原稿もその延長で書いている。
 その個展兼ライブがあったのは虎ノ門と新橋の間くらいにあるスタジオだった。キャンバスが、額もなく壁に貼られてあった。後でツイッターで本人が言っていたが、触ってもいいものだったという。前の展示ではあえて触ってもらっていたという。ここからしても、ふつうのアーティストではない。何かドラスティックなことをする人は多いけれども、そういう嫌みな感じはしなかった。
 絵は抽象画に見えた。これもツイッターで誰かが言っていたが、既成の画家でたとえるとピカソとベーコンを合わせたようだと。確かに。特にベーコンが近くて、それも自分好みだった。
 ベーコンも、また、制作のペースとか量が尋常じゃなかったという話がある。それを聞いて、やっぱりベーコンもまた尊敬してしまうし、今まで見ていた絵がどこかしら違った風に見えてくる気がする。
 しかしこんな風な事前情報じみた外部の情報ばかりを頼りに物を見ているのもよくない。それでも何かしらの指針にはなる。何であろうと、ウソでもいいから、自分を鼓舞するものが必要になるときもある。
 以上。

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