浮かれすぎ事件(Pさん)

 昨日で、93日間続けた連続更新記録が途絶えた。原因は、浮かれすぎである。今日から六連休をもらった。この職場にいて、病欠以外でここまで大きな連休はなかった。仕事から帰るときの解放感といったらなかった。祭りをするぞ! と言って鯛の刺身とシャンパンを買って帰り、家についたらディスコソングを掛けて、オリジナルの歌詞を勝手に作り出して踊りながら飲み食いして、気がついたら日付を越していたというわけだった。
 子供が目の前で射殺されたのを信じられずに脳髄をかき集める親のように、「もしか、カウントがズレてたりしないか?」と思って、数文字書いて更新してみたのだが、表示されるのは「○○日更新」ではなく、「五十何週連続更新おめでとう」であった……
 今後、毎日更新を続けるのか、どれだけショボい内容だとしてもけっこう大変なので、考えるところではあるが、こうして習慣のように書いてしまうのもあり、とりあえず今日は更新することにする。

 例の古本屋が閉店セールをしていて、実際に閉まるんだというのを目にしてしまうと、感慨深いとともに、仕方がないかと諦める気持ちも沸いてくるのだが、客がかつてないほど入っていて、この客が常に入っていたとしたら、潰れることもなかったのだろうかと、考えてしまう。
 しかし、特にこういう古本屋というのは、客の入りが全てではなく、全体の循環の問題というのもありそうで、仕入れとか在庫の面で、梗塞のようなことが起こっていたのではないか、とも想像する。
 古本屋だから当たり前のことでもあるかもしれないが、一昔前か、ふた昔前の文化が扱われる。それが、その時代からしか、鉱泉のように、いい文化が沸き上がらないのだとしたら、そのうち枯れることもあるだろう。
 永遠にそれにかじり付いていればいい、という親世代のものなんてないし、そういう発想をしていると、きっと新しいものは起こらない。
 それで言うと、今回のコロナ騒ぎは、ふだん踏ん張れるはずのエネルギーを、たふん向こう何年かは、どんどん消費させてしまうたぐいのものだろう。古いものを維持するだけでも精一杯の時代に、新しいものを、というのは酷な話だ。
 しかし、そうしないわけにはいかない。

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