Pさんの目がテン! Vol.42 幸徳秋水『基督抹殺論』を読む

 偉いもので、こんな素人勉強を続けていても面白い発見があるものだ。
 幸徳秋水の『基督抹殺論』を読んでいる。幸徳秋水は、まだ背景を知らないけれども、死刑の獄中で最後の書物、この『基督抹殺論』を書き、その中でこんなことを書いている。
 原文は読みづらいので自分なりの読み下し? を書く。曰く、キリスト教は、まさにそれが敵とする「進化論」に従う形で、形成されたものだ。
 現在の四つの福音書は、キリストがまさに生まれてそれから処刑された当たりの時代から、四百年も隔たって書かれた。キリストが死んでから百年後あたりに、キリスト教は風靡した。その時、あらゆる地域にあらゆる聖典があふれていた。現在確認できるだけでも百何篇。ということは、当時その何倍も異本があったことだろう。そして、その異本と、現在ある福音書四篇、それを区別するいかなる基準も見つけられなかった。
 この四つの福音書、それを組み合わせた聖書というものは、これらの異本を並べて、各地域で教会を建て、その中でどれを本当の聖典にするのかこねくり回し、統一し、いらないものは異本として弾いて抹消し、さらに全国大会でも行われるかのごとく、世界中で一つ共通する聖書を作り出そうとして生まれたものだ。これこそ、進化論の自然淘汰でなくて何であろうか。
 といったもの。この論が、幸徳秋水のオリジナルなのかどうかは知らない。幸徳秋水も、獄中の、誰も尊敬する師に確認することが出来ず、どんな資料も手元にないおぼろげなところから、これを書いているとは言っているが、この書がある一定量の研究の総合であることは、端々から察せられる。とはいえ、このキリスト教の痛点をどんどん刺していく様は、勇壮というか、蛮行というか、とにかく何かが吹き荒れているような勢いを感じる。
 ところが、もしかしたら、まさにキリスト教というのは、結局のところ、殺されるために作られたのではないか? という暴論も、浮かばないではない。

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