Pさんの目がテン! Vol.9 ヴァージニア・ウルフ「E.M.フォースターの小説」について 1(Pさん)

 再三、ヴァージニア・ウルフの話になって申し訳ないとは思うが、まだ読み終えていないのと、やはり、この膨大な量の作家に言及している本が、ふつうに読んでいてもある種の転轍機として機能するように思え、ウルフを軸足にすえながら他の作家に足を伸ばせそうな気がするので、しばしガマンして頂きたい。
 今、「転轍機」と言ったが、少しカッコつけて言ったことは否めない。なんとなく、今考えていることとか、単に述べなきゃならない、単線的な説明みたいなものを、物体にたとえて言うと、実質は伴っていなくとも、なんとなく言っていることに広がりが生まれるような、良いこと言った感が漂ってくるものである。
 この『病むことについて』が、いったいどういうくくりで、どういう順番で集められたものか、もうすぐ四分の三に差し掛かろうとするけれども、さっぱりわからない。「病むことについて」自体は、その名の通りだが、前半には、伝記作家とは何か、とか、書評家とは、など、小説以外の書かれるものについて、めぐっているような構成にも思えるけれども、その間に唐突に「わが父レズリー・スティーヴン」という、父親への思い出みたいなのが挟まり、「なぜですか?」はとある新興の雑誌へのハッパみたいなもの、「女性にとっての職業」は、「自分ひとりの部屋」と同じテーマ系の、女性が自活するのは、まして書くことでそれをするのはどれだけ大変かという話、ときて、何度も辿るけれども、いまいち流れがつかめない。でこういう場合、完全に年代順であるばあい、流れにまとまりがないのはわかるけれども、それも違うようで、年代もバラバラである。
 編者のあとがきでも読んでみたら、何かわかるかもしれない。
 一番、小説家というものによく触れているのが、「E.M.フォースターの小説」というもので、これはよくウルフの小説観がわかる。
 E.M.フォースターという小説家は、たしかウルフに近い所に位置する作家で、同時期に活躍していた作家として覚えている。
 ふつうの小説家の話は、ほぼイギリス小説に終始する。トルストイについては割とよく触れるが、ドストエフスキーにはあまり触れている所を見ない。それよりもイプセンについてよく触れる。あとは本当に古今東西のイギリスの小説についてが、少なくともいくつかのエッセイを読んでいてわかる範囲の、ウルフが触れている作家の大部分である。
 ドイツ文学についても、今世界の作家に与えている影響を考えると意外に思えるくらい、触れていない。
 それで、この「E.M.フォースターの小説」についてだが、文字通りE.M.フォースターという作家の小説について触れている。冒頭は、自分と同時代の作家だから、その人の小説の価値とか、やっていること、なにをなそうとしているのかの全体を見渡せるわけではないので、語りにくくはあるが、という但し書きからはじまる。
 ウルフはやはり、この今までの文学の堆積というか、歴史がどう流れて来たのかということに関して、独特の感覚を持っている。
 それから話は、フォースターの現実把握力、写実的であることとその時の風俗、新技術などを鋭敏にとらえ、風刺的に描くという能力、その能力と、ロマン派風の、と言えばいいのか? 小説のドラマ的昇華、作家が読み手に与えたいであろうメッセージ性、このそれぞれがまるで別人のように彼一人の体の中にうごいていて、まるで衝突しているか、二重人格者のようにコロコロ変わると、いう風に続く。
 以上のところまでを、僕は、パスポート申請の受付の長い長い待合いの間に読んだ。(続く)

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