うまそうなバタ(Pさん)

 あまりにも熱心に名探偵コナンを見ているものだから、何年か掛けて自分こそがあのコナン君であるという確信に包まれた男が、自宅で綿飴を作っていた。真夏のことだから、正直、ポロシャツが汗だくだった。自室のキッチンであっても、そのポロシャツを脱いで上裸で作るという発想は、その男にはなかった。上裸になれば多少は息苦しさがマシになる筈だし、厚手のタオル等で体中を掻き毟るように拭くことも、容易になる筈だった。その発想もその男にはなかった。ただ綿飴を自宅で作って自分の手で食べてみたいという一つの信念に、邁進することしか考えていなかった。ただ、それがゆくゆくは屋台で売りに出そうとかいう殊勝な考えもなかったことは、自分がコナン君に差し変わるということに全く目的がないのと同様だった。第一、この綿飴製造機はワンルームのアパートに入れることは出来たけれども組み立てて外に出すことは出来なかった。玄関もベランダの窓もこの巨大な機械を出すにはもう一歩足りなかった。足の部分がスプートニクの玉の部分から出ている、まるで綿飴製造機の足のように飛び出している放射状の足のようにあちこちに飛び出すように出ているために、多少傾けて斜めにすれば、良い角度になったときに外に出せるのではないかという希望を、あと一歩のところで絶対にくじかれるのだった。彼の言葉を借りるなら、「なんか真中の下にある嫌な部分が絶対に当たるから外には出せない」のである。綿飴製造機のレンタル業者を頼る以外に、予算を抑えるいい方法を考えあぐねていた甥っ子の文化祭の際に、貸そうとして結局頓挫した理由はそこにあった。甥っ子はもう二度と彼の居室のインターホンを押すことはなかった。
 ともあれ、腕が疲れるほど回していた割り箸のまわりに、ようやく綿飴らしきものが纏わりついてきたところだった。もうすぐ、綿飴が完成する。ザラメを投入する腕も早まる。汗が機械の中に落ちて、ドーナツの縁のようなところに弾き飛ばされる。見れば見るほど不思議だった。このドーナツの内部のような空間に、もうもうと甘ったるい風が吹きすさんでいて、なにか粒子加速器のようなものを思わせるにも拘らず、その空洞の中ではなにも回っていないのである。レイザーラモンHGのギャグを思い出す。「余りに高速に腰を動かしているから、逆にゆっくり動かしているように見える」。映像のフレームレート、映画でいえばフィルムのコマ割りの速度と、腰を動かす周期が一致するか、わずかに遅れたり早まったりした場合に、腰の動きが、一致していた場合には止まって、わずかに早まっている場合にはゆっくり動いているように、わずかに遅れている場合には逆再生しているように見えるという、誰もが直観的に知っているけれども頭の中で明文化することのない現象を実際にやってみせるのだから、面白かった。ただ、彼は自分がレイザーラモンHGであるとは思っていなかった。綿菓子製造機の内部を、高速に回転する何かがいる、という妄想に駆られたことは何度もあった。線状に飛び散るザラメの軌跡が、よりそういう風に見えそうになった。まるで、手塚治虫とか、そのあたりの漫画家が使っていた、省略的な描写を思わせた。現在でいえば、「ちびくろサンボ」のクライマックスシーンで、父親が「バタじゃわい」という直前の、何匹ものタイガーが互いのしっぽを噛み合ってぐるぐる同じ木の周りを回っているシーンだといえば、わかりやすいだろうか。タイガーが、高速回転した結果、バターに変化して、くだんの名ゼリフ「バタじゃわい」が生まれたのである。
 そんなことを考えているうちに、今度は自分がこの綿飴製造機の中を高速回転して、「うまそうなバタ」に変化するさまを思い浮かべて楽しくなり、数年後に孤独死した。

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