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今日、旅に出る君へ。



皆さんこんにちは。

久しぶりの投稿ですね。
今日は私の大好きな人が旅に出るということで心を込めて、一通のファンレターを書かせていただきます。


今日、旅に出る君へ。



私が初めて彼を見たのは、ミュージックステーションの先輩のバックでずぶ濡れになりながら踊っているのを見た時でした。

2005年8月19日。

ごくせん2を見てから赤西仁くんが好きだった私は、いつものように推しを拝もうとテレビの前でスタンバイしていました。オラオラな衣装にイカつい楽曲。「あぁ、今日も仁くんかっこいい!!」なんて思っていた矢先に、一人のJr.に目がいきました。

えっ、今映った人、結構可愛い顔してなかった?」なんて、まるでマセガキのような言葉を口走ってしまった私。

その日、バックについていたのはA.B.C-Zの前身であるA.B.C.とKis-My-Ft2。グループ名は知っていたけれど、如何せん顔と名前が一致していない。気になった私は、持っていたアイドル雑誌を漁り、顔と名前を特定していきました。


北山宏光、当時19歳。

当時小学生だった私は、まだ" ザ少年倶楽部 "という番組があることを知らず、ジャニーズJr.である彼を見る手段といえば、親に買ってもらったアイドル雑誌か、先輩のバックにJr.がついていることが前提の音楽番組しかありませんでした(当時Jr.だったKATーTUNも同様)。

今のようにネットが充実していなかった時代なので、気になったからといって過去を調べたり、動画を見漁ったり、おすすめの曲やステージを教えてもらうことも出来ません。あの頃は、皆どうやって推しを見つけて、どうやってオタクをしていたんだろう?と思う程、ジャニーズJr.に関しての知識が全くありませんでした。

そのためなのか、クラスの女子達も既にデビューしていた山下智久くんや、デビュー前でも知名度があった亀梨和也くん、赤西仁くんのファンが多かったように思います。結成したばかりだったKis-My-Ft2のことは、ほとんど誰も知りませんでした。

かくいう私もそのうちの一人。所謂ミーハーで顔ファン。彼のことが気になっていたものの、その時の旬のアイドルを追いかける日々を送っていました(勿論Kitty GYM期も全力で追いかけました(笑)。)




いくつか季節が通り過ぎたある日、いつものように何気なくアイドル雑誌を見ていると、ふと彼の誕生日に目がいきました。

9月17日。

「えっ、9月17日!?」ととても驚きました。そして、何故もっと早く目に入らなかったのだろうかと不思議にも思いました(名前と顔を一致させた時は、その言葉通り、名前と顔しか見ていなかった)。

何故なら、私の誕生日も9月17日なのです。同じ誕生日を見落としていたとは。母親に「みっくん9月17日生まれなんだって!!」と、笑顔で報告したことを覚えています(笑)。

きっかけが単純だといえば単純ですが、そんな些細なきっかけで私の中の彼は" 気になるアイドル "から" 好きなアイドル "へと、徐々に変わっていきました。

しかし、上記でも言いましたが、当時はネットが布教していない時代。アイドルを追いかけるのも一苦労です。




何から始めればいいか分からなかった私は、持つべきものは友だ!ということで、クラスの女子の中でも他とは違う、所謂ミーハーや顔ファンではないガチのジャニヲタの子に色々教えてもらい、まずは" ザ少年倶楽部 "を毎週見ることにしました。

当時の放送時間である水曜日20時〜のチャンネル権は兄と弟にあったので、私は金曜日18時〜の再放送回を楽しみに待つことに。

来たる金曜日18時。




・・・なんだこれは。歌やダンスは勿論のこと、コントに近い寸劇までしている。特技を披露する場面もあれば、ゲストとのトークを楽しんだり。まさにエンターテインメント。中学生になっていた私はこんな世界があるのかと衝撃を受けました。

いかにも、私が彼を初めて見た時の楽曲のような" 青天の霹靂 "で、そこからの私の人生はいつもキスマイと一緒でした。




2007年、ミュージックステーションでKis-My-Me-Mineを披露。テレビの前で正座して、母親に「デビューしてないのにすごくない!?ねぇすごくない!?」と言い大興奮した。

2008年、えびきす単独コンサートの開催。行けなかったけれど、少クラでの独占映像を見て感動してめちゃくちゃ泣いた。

2009年、プレゾン2009。初の単独コンサートの開催。初めて推しが実在しているとわかり、生きていて良かったと思った。

2010年、少年たち。「FIRE BEAT」と「祈り」のドワンゴ配信。デビュー前にも関わらずオリジナル曲の配信だなんて、絶対にこの人達はデビュー出来る!着いていく!と信じた。

そして、2011年、デビュー。毎年毎年" 好き "が更新されていくこの恋にも似た気持ちを、皆が花へと変えてくれた大事な大事な年。信じて良かったと心から思った。


デビュー後も、冠番組やバラエティ番組での活躍、楽曲、CM、コンサートなど数え切れない程の思い出を一緒につくってくれました。



振り返れば振り返る程、本当に楽しい日々でした。

当時流行っていたmixi を通じて沢山のお友達をつくったり、新曲を何回もリピートして覚えてお友達と踊ったり、遠出なんてほとんどしたことのない中坊が迷いながら神戸ワールド国際記念ホールまで会いに行ったり、後輩のデビューに自分のことのように本気で悔し涙を流したり、創った衣装をダッフィーのぬいぐるみに着せて飾ったり・・・。

私の青春に色を加えてくれたのは間違いなくKis-My-Ft2であり、北山宏光くんでした。




彼は、知れば知るほど魅力がある人です。誰よりも熱い気持ちを持っていて、誰よりも真面目で、それでいて自分にとても厳しい。

「キスマイの為なら嫌われ役になってもいい」と本気で言える程、キスマイを第一に考え、行動していた人だと思います。私は、彼がステージやテレビで手を抜いた所を一度たりとも見たことがありません

それほどこのアイドルというお仕事に本気で、真摯に向き合ってくれていたんだと思います。だからこそ、時には辛いことや悲しいことも沢山あったでしょう。

大丈夫、大丈夫、と自分を鼓舞する人だから。弱さを見せることが極端に苦手な人だから。どんな時にも笑顔を見せてくれる人だから。

そんな素敵な人と共に青春を過ごせたこと、沢山の思い出をつくれたこと、傍で応援出来たことを心から誇りに思いますし、好きになって良かったと心から胸を張って言えます。

あの時、見つけて良かったと、心からそう思います。



北山宏光くん。
21年間、そこに居てくれて、アイドルで居てくれて、キスマイで居てくれて、ありがとう。出会ってくれて、好きにならせてくれて、ありがとう。


私達ファンからの願いはただ一つ。これからはグループの一員の北山宏光ではなくて、世界でたった一人の北山宏光として、人生を楽しんでください。

笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣いて、怒りたい時に怒って、休みたい時に休んで、食べたい時に食べたいものを食べて、行きたい時に行きたい所へ行ってください。

北山くんがキスマイに居て無理をしていたとは思っていません。だって、北山くんの「皆が大好きだ」って想いはちゃんと伝わっているから。でも、皆の為に頑張りすぎてしまう北山くんだから、自分の為だけに頑張る人生を歩んでほしい、ただそれだけです。


そしてまたいつか、皆で笑顔でこの素晴らしい思い出達を振り返られるような、そんな楽しい未来がくることを祈っています。皆と素敵なお友達になれることを、祈っています。





今まで本当に本当にお疲れ様でした。
私達北山担は、キスマイ担は、とっても幸せでした。

これからも " 北山くんの " 青空に虹が咲くように
いつまでも、ずっと君を大好きだ




Good-bye, Thank you

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