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便利を求めて暮らしから排除したものが「レジャー」となって残っているものは、人間がどうしても手放せないものである事が、往々にして結構ある気がしています

少し前から慣らし焚きという名の下にストーブに火を入れています。家の中で焚き火が出来ることを幸せに思います。薪ストーブライフは今年で10年目になります。

薪ストーブで暖をとるようになってから、風邪をひかなくなりました。薪で調理したものはいつまでも冷めないし本当に美味しいし、薪で沸かした風呂は人間も冷めない(身体が芯から温まる)。火は単に暖や食のためだけでなく、人間にとって必要なのではないかと思う。
昨今のキャンプブームで焚き火もブームみたいですが、便利を求めて暮らしから排除したものが「レジャー」となって残っているものは、人間がどうしても手放せないものである事が、往々にして結構ある気がしています。
スポーツや山登りはもちろんのこと(その起こりの歴史的背景は別として、これらは現代の暮らしで多くの人が手放した「肉体労働」が転嫁されていると私は思っています)、手織りや手紡ぎも、そのひとつではないか、とも感じています。

なので、工芸もいずれレジャーとなって完全なる「楽しみ」として残っていくと私は予想しています。その方が、多分、技術・技巧的にも素晴らしいものが多くなるでしょう。何故なら、経済的・時間的制約なく、それが本当に好きで楽しい人だけが心ゆくまで取り組むからです。このことは、芸術や工芸において、現代人が大昔のものを超えられない要素の一つであるとも私は考えています。
「昔の人は苦労して大変な思いをしてやってきた」は、現代人が抱きたい幻想、または、そのようにして語り継ぎたい人々の意図が入り込んだ「ある一面」がクローズアップされているだけであって、実際は、苦しみながらも楽しくてやりたくてやっていたのだと思います。人間、基本的には苦しくて危険で大変な事が大好きでやりたいのです。


2024.3.4 修正 (音声配信へのリンク削除)

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