【無料公開】〈薪運び〉

皆様こんばんは!
今日は丸一日中、薪運びをしていましたので、何も出来ませんでした。明日も続きます。5立米の薪を毎年全て1人で運ぶのですが、割とすごいと思います。この時代に何を非効率なことを…と思われるかもしれませんが、真冬の薪ストーブの暖かさ、北海道の木を燃料にしている豊かさには換えられず、また、「現代では見えにくくなっている、暮らしに必要なものを調達することの大変さ」を、断片的にですが、体験できること、一冬に必要な燃料の量を「目で」確かめられる事は、貴重だと思っています。また、こういう重労働をしていると、人間、生きていくには、本当は、かなり「身体を使う」事が分かります。また、それらは途方もなく時間がかかるので、正直、働いている暇などありません。
例えば、鳥や動物は、エサを取ったり巣を作ったり、生きていくためだけに一日中動き回っています。人間だけが、そういう事をお金を払って誰かにやってもらって、自分は動かない。で、お金を得るために仕事をする、何だか構造がおかしくて、私は笑えてきます。「おかしい(変だ)」と「可笑しい」が、同じ発音というのは、何か意味があるのかもしれません。

「健康のために運動が必要だ」というのも、本当に「おかしな」話で、生きていくために、本来は相当体を動かすので、運動なんてする必要がない。でも、生きるための労働を誰かに肩代わりしてもらっているので、「運動が必要だ」なんて言われるようになる。もっというと、「レジャー」というのも、そうした「生きるための肉体労働」から解放されたために生まれた欲求なのだなぁということを、ひしひしと感じます。何故ならば、こうして薪運びをしたり、夏の間、葛採りをしたりしていると、「山に行きたい」「遊びに行きたい」「旅行に行きたい」などという欲求は微塵も出てこないからです。ですから、生きるための肉体労働とは、「労働」なのか「レジャー」なのか、もはや分かりません。例えば、真夏、自転車で葛を運ぶのは、なかなか大変ですが、身体は、とても楽しくて、喜んでいるなぁ、と感じます。固定観念に囚われた心と、あるがままに正直な身体は、別のことを考えている。

本当は、山から木を切り出すところの方がもっと重労働ですが、そこはプロにお任せなので、私も、あまり偉そうなことは言えませんが、でも、葛布も然りですね。
どのくらいの量で、どのくらいの労力をかければ、どのくらいの布が織れるのか?
そのことを「体感として」知っていることは、重要だと思います。

今日はこんな話ですが、皆様、今日も一日お疲れ様でした!

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