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【#2000字のドラマ】きょうの音

白い線となった太陽の光が窓から降りそそぐ昼下がり。
ミサキは壁際でゴロンと横になって、目を閉じる。
数秒後に「ふぁ~」と、あくびが出る。


家の中では洗濯機が、ゴーゴーと動いている。
お父さんのシゲルは、静かにギシギシと歩いている。
網戸の向こうで小鳥が、チュンチュンと鳴いている。


毎日、響いているはずの音。
休日はこの音たちが重なりあって、子守唄になる。


平日もこんな風に心穏やかに、聞くことができたらいいのに。
明日からは、学校という喧騒の中で、この音たちはかき消されてしまう。


「まあ、またがんばるかぁ」と心の中で呟く。
再びあくびをして、短い夢の世界へ落ちていく。



ミサキは高校2年生。
毎朝、お気に入りの赤い自転車を飛ばして、地元の高校まで通っている。
成績は、可もなく不可もなく。部活は、帰宅部。
週に3日くらい、家の近くの本屋さんでアルバイトをしている。
趣味は、推理小説を読むことくらい。
黒縁メガネにポニーテールという装いは、
決してお洒落ではなく、横着なミサキが楽をしているだけだ。
メガネはかけるだけ、ポニーテールはさっと結ぶだけ。


夢の世界から、現実へ戻ってきたミサキは、
進路指導が間近に迫っていることを思い出した。


「あ~、どうしよう~」
シゲルが「どうした?」と聞いてくる。
「進路!もう、就職で良いかな~」
ミサキには、やりたいこととか、夢とか、そういうものは全くないのだ。
「そうか。いいんじゃないか」


「お父さんはさー、なんで高校卒業した後、フリーターになったの?」
「フリーターじゃないよ。夢を追ってたんだ。ドリーマーだ。」
ガクッ。お父さんは、可愛い。


シゲルには、幼い頃からの夢があった。
それは、プロのドラマーになること。
小学生のとき、ドラムを奏でる人を見て、そのカッコよさに憧れた。
それからのシゲルの人生は、ドラム一筋だった。
だが、アマチュアバンドで楽曲制作をしたところで、その夢に終わりを告げた。
当時、交際していた彼女(ミサキの母)が妊娠したのだ。
ドラムのステッキから、金槌に持ち替えて、大工になった。



「ドラム、諦めるの辛かった?」
「まあな、バンドメンバーからは猛反対されたしなあ。
 でも、辞めるって決めた日から、今まで、後悔とかはしたことないなあ。
 可愛いミサキがいてくれてるからなあ」
シゲルは照れているようだ。
お父さんは、カッコいい。



何とも憂鬱な学校が始まる月曜日。
教室の隅で、推理小説を机の上に置いたまま、進路希望シートと睨めっこ。
今は本を読める心の余裕がない。
就職か、進学かも決められていないのは、
相当まずいということが、頭の中でぐるぐると巡っている。


「よお。まだ悩んでるのかよ」
隣の席のシュンが話しかけてくる。
「あ、おはよ。悩んでるっていうか、諦めてるっていうか、絶望してるっていうか…」
「ミサキらしいな」なぜか爽やかに笑っている。


シュンは、軽音楽部でドラムを叩いている。
スタイリッシュな短髪黒髪で、ブレザーが良く似合う。そして、モテる、らしい。
シゲルが高校の軽音楽部にドラムを寄付したことがきっかけで、
ミサキとシュンは話すようになった。
奥手なミサキにとって、気軽に話せる男子はシュンだけだった。


「シュンは決まったの?進路」
「おう、俺は大学行くよ。んで、市役所の職員になる」
「意外~。なんで市役所なの?」
「人のためになれそうだからさ~。
 市役所って、生活の基盤っていうか、大切な気がするから。
 まずは、勉強頑張ろうって感じ」
「シュンもドリーマーなのか…」
「ん?ドリーマー?俺は、ドラマーだよ」また爽やかな笑顔だ。


「ミサキはさ、本とか、そっち系が良いんじゃないの?」
「え?ただの趣味だよ」
「俺、ミサキの文章好きだよ」
「文章?」
「作文コンクールで入賞してたじゃん。あれ、良かった。
 なんか…癒された!」


シュンの言葉に、ミサキは心がドンと動いた気がした。
「え…う、うれしい。なんか、今、うれしい!」
体の奥が、熱い。自分の綴った言葉が、誰かに届いた。それだけなのに。


ガラガラッ。


教室のドアが横にスライドして、先生がずかずかと入ってきた。
「先生、いつもより気合入れて、ドア開けたね」
「そうかあ?いつもあんな感じじゃね?」


窓の外からは、体育の授業で使う笛がピーッと鳴る音や、
生徒たちの笑い声、朝の風がサーッと流れていく音まで、聞こえてくる。
いつもと違う。音が、聞こえる。
閉ざされていた部屋から、自由な新しい世界に出たような感覚。


「私が…変わったのかも」
「え?何が?」


「ううん、私、まだ進路は決められないけど、ちゃんと考えてみる」
「おう、いいね」また笑っている。


「シュンって、お父さんみたい」
「何だよ、急に」今度は、ちょっと照れている。
「…それ、褒め言葉として受け取っておくからな!」


窓の外の方を向いて、目を閉じる。
やっぱり、違う。今日は、きっと忘れられない日になる。

#2000字のドラマ

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