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#1_9 アイドルと青春(『かすてら大青春祭』から見えた儚さの正体)

※本記事はマーケティングにはほぼ関わらない、ただのライブレポと考察になっています。ごめんなさい。

※本記事の写真はすべてPop'n'Roll 編集部のこちらの記事からいただいております。

序章

地下アイドル業界で「勢い」をつけるためには様々な要因があるように思われるが、多くの場合何かしらのメインステージ争奪戦に優勝することと言っても差し支えないだろう。
大型夏フェスの優勝グループは、TIF2022メインステージ争奪戦で優勝し先日記事にした「タイトル未定」、そして超NATSUZOME2022メインステージ争奪戦で優勝した「かすみ草とステラ」である。

この勢いままに2022年10月3日(月)にワンマンライブがO-EASTであったということで、食前舌語もそのライブに参加したのである。

まず結論から申し上げると

今回のライブはコンセプトライブとなっており、1曲目からアンコール終了まで、各メンバーが「大青春祭」という学園祭に参加する学生役を演じ、学園祭の準備・当日・後夜祭の中で心を動かしていく群像劇、という形でステージが進んだ。
ワンマンライブ・コンセプトライブに関する記事については下記に書いておりますので、併せてご確認いただきたい。

コンセプトライブに必要なこと

コンセプトライブとは、「あるコンセプト・演出をもとに一貫性を持たせるライブ」を指すことが多く、今回であれば「学園祭」という一貫性がある。
このコンセプトライブに必要なことは主に3点であると考えており、今回はその3点を中心に確認したい。

①コンセプトは事前に伝えるべし。
②当日のライブの前後も空間を作るべし。
③ライブの最初の数曲で世界観を作るべし。

コンセプトライブの注目点

①コンセプトは事前に伝えるべし。

まずはこの動画を見てほしい。

ライブ10日前からライブを実施しており、
10-4日前:各メンバーの所信表明
3-1日前:2メンバーずつの設定共有
という形で毎日コンセプトライブに沿った動画が公開されていた。

ワンマンライブ、コンセプトライブについて、一番重要なことは「当日までにワクワク感を醸成する」ことである。
このワクワク感は、ただ日にちが来るのを待つのではなく、運営・メンバーが各種SNSでの発信を通じてその場所がどんな楽しみを提供してくれるのかを小出しに提供していくことで作られる。
またこの時期がおそらく初速を除いて最も発券が進む時期のため、興行的にも重要な時期である。

ここで必要になることは「存在感を維持し続ける」ことである。
ファンも毎日ワンマンのことだけを考えてるわけではないので、どれだけ印象を持たせても数日すれば忘れてしまうのである。
そのために有効なのは「毎日配信」や「毎日投稿」のように間を空けずに続けることである。

今回はコンセプトライブということで世界観を伝えていたが、通常のワンマンでも各曲ごとに対バンよりこだわるところはあるはずであり、ダンス動画と合わせて解説してもいい。
カウントダウンなども合わせて、インタビュー記事を載せてもいい。
ただ、無理のない範囲で毎日やることが重要なのである。

②当日のライブの前後も空間を作るべし。

①については前日まで、の設計であり、②については当日のライブ前後である。
下記の写真を見てほしい。

アイドルファンなら一度は行ったことがあるO-EASTの3階である。
まず、会場の入り口にはゲートが設置されており、さながら学園祭の入り口である。
また階段も各メンバーのポスターや等身大パネル、そして3階には美術部の写真・写真部の写真(それも購入可能)など、学園祭らしい、そしてきちんと前日までの動画の世界観ママの世界が広がっていたのである。

アイドルファンはワンマンライブの前後で何をしているだろうか。
大体のファンが対バンと同様に仲のいい人と話しているだけである。
それは、別にいつでもできるわけで、ワンマンの特別感はもちろん生まれない。

だが、このイベントはライブの始まりから終わりだけでなく、ライブハウスに入ってから出るまで、さらに長い期間の体験を設計できているのである。

この手法は実はかすみ草とステラのこの前の周年ライブでも、ライブが始まる前にメンバーの校内放送が流れていたり、過去にも簡易的ではあるが「ライブが始まるまでの待ち時間を楽しませる、世界観を作る」取り組みがあった。

近いものであれば
・真っ白なキャンバスの河口湖ライブで、地域連携をして「河口湖についてから帰るまで」の体験設計(コラボ電車、地元店舗のコラボ商品など)
・Appare!の日比谷野音ライブで、始まるまで地下アイドル含め様々なグループからのビデオメッセージ(特別館の醸成)
なども挙げられ、この一年のワンマンライブのレベルの高さの背景として“ライブだけでなく、その前後の体験設計を挙げることができると考える。

③ライブの最初の数曲で世界観を作るべし。

最後のセトリにも記載されているが、コンセプトライブの肝は最初の数曲でいかに世界観と特別感をステージ上で表現できるかである。(①②はそのための布石なのである。)

SEでメンバーが入ってきたのち、暗転の中フォーメーションに移るが、そこフォーメーションは間違いなく『春風』であった。
誰しもが渡辺萌菜の歌い出しを期待していたが、それは裏切られた。
突然ステージ端に移動した渡辺萌菜にスポットライトが当たり、「写真部の渡辺萌菜」と自己紹介があった。
この違和感は、コンセプトライブの始まりを告げるものであり、このステージ上、いやこの会場全てが架空の学園祭の世界であるという舞台設定と世界観をストレートに観客に共有できているのである。

また3曲目からは机と椅子を用いたパフォーマンスになっており、もちろん対バンのパフォーマンスとも異なる、その世界観を明確に提示してきたのである。
おそらく初動での世界観共有はできているものの、このタイミングあたりで会場のほぼ全ての人がこの世界観の中にどっぷり入り込んだと考える。

セトリの妙

大道具で場面転換を魅せる

ステージは進み、「文化祭前日」のフェーズから「文化祭当日」のフェーズに移る。
ここで起こったのが、後ろの大道具の転換であった。
具体的には背景の大道具4つの絵柄が学校だったものが回転され、背景のクリスマスと夏祭りに変わったのである(季節感はバラバラであるが…笑)

ワンマンライブでの世界観の変更としては
・照明の色温度を変える
・服装を変える
・一度MCを入れる
などのターニングポイントを作るのであるが、まさか大道具を変えるとは。
もちろん演劇ではそのような魅せ方は良くある話であるが、それをステージ上で、それもアイドルライブで再現させたことは賞賛に値する。

『カタルシスダンス』でもたらした世界観の完成

この曲はかすみ草とステラの中でも全く世界観の異なる、良くも悪くも流れをぶち壊す1曲である。
ただ、この曲を鈴森はるなのソロダンスという、違う捉え方で文化祭の出し物と捉えたことで、世界観の延長線でありながら、さらに挑戦を続ける彼女たちの姿をうまく魅せてくれたといえる。

アンコールではなく、後夜祭とした点

おそらくライブにおいて一番だらける瞬間は「本編→アンコール」までの時間である。
仕切る人がいないと始まらないし、拍手はどんどん早くなるし、もはやただの既定路線でしかないし。

ただ、このライブでは本編を文化祭当日まで、とした上で、アンコールを後夜祭と定義したのである。
後夜祭だからこその少し締まりのない、ただ弾ける曲が続くことも納得ができ、だからこそ最後の緊張感の解放にもつながるのである。

このライブはライブの前後での体験設計も素晴らしいが、各曲への解釈も素晴らしい。

全体を見直してみるとわかること

ここで、今回のセトリとその演出を改めて見てみよう。

ここで着目したいことは「これが一連の流れで行われず、各場面変換があったこと」である。
最初にあげた白キャンのワンマンライブの記事にも書いたが、人間の集中力は長くて90分と言われている。
その中で2時間近いワンマンライブは人間の特性上かならず気持ちが切れるのである。
ただ、このライブは全長は2時間程度であったが、前日までで1時間ほどにまとまっており、そこで世界観はそのままに流れを一度切ることで、観客の集中力を継続させたと言える。

また当日に位置する4曲は、かすみ草とステラの中でも少し世界観の異なる曲であり、改めて曲への理解が素晴らしいと言える。

改めて考える「青春とは何か?」

青春とは、自分の世界が広がる前の世界である。

私たちが青春と呼んだ時期はどんな世界だっただろうか。
小中高と公立の自分にとって、幼稚園の世界は家だった、小学校で通学路という新しい世界が増え、中学校では小学校が2つ合わさるため、知る世界が増えた。高校では様々な中学校から生徒が来るため、今までに知り得なかった広さで世界が広がった。大学であれば、もうそれは日本全国になり、高校までただ知っている場所でしかなかった渋谷や新宿も行動範囲に入った。

青春とは、限られた世界であってもそれが全てだと考え、その中で最高だと叫び、輝き続けることだと思う。

※『氷菓』で有名な古典部シリーズも、作者の米澤穂信さんはこの一連の流れを「折木という主人公の行動範囲・世界の拡張」と捉えていたことがある。出典が見つからなかった…。たぶん『米澤穂信と古典部』というムックに記載されていた気がする。

その中で存在した『正夢の少女』

その中で、この世界観を〆たのは『正夢の少女』である。

有岡ちひろの歌い出し「あの夏の思い出だって 君と超えてく気がした」という一言から始まる、この学園祭についての決算である。

私たちも学園祭の特別感があるからこそ、その翌日の喪失感も大きなものである。
その中で、学園祭の終わりとこの曲の歌詞をリンクさせ、たしかにこの学園祭・ワンマンライブら終わりだったとしてもかすみ草とステラは続いて行くというメッセージにも受け取れる。

夢から覚めた世界で
君と旅をするんだ
傷ついてしまうその時は
始まりを思い出して
君が広げる世界は
間違っても大丈夫
いつか今日も大人になって
思い出に変わるのかな

この曲の中にはさらに儚さを歌い上げる。
もちろん背中を押してくれるのに、ただそれはもしかしたら今なだけであり、大人になってしまったら思い出として懐古されるだけの存在になってしまうのかもしれない。

これから見える景色は
どんな結末だろう
奇跡が過ぎてくその時は
また夢を見続けよう

もちろん歌詞には違う意味もあるが、個人的にコンセプトライブの「学園祭」に照らし合わせると、さらにこの歌詞が力強く、思いのこもるものになる。
ただ、それはあのO-EASTを埋められたかすみ草とステラの更なる成長を確かめるように、私は感じられた。

アイドルはなぜ儚く、なぜ青春なのか

同じくアイドルも年齢の関係でいつかは辞める日が来るだろう。
それは後から見れば儚いものだし、思い出になってしまう。

ただ、だからこそ儚さをまとうアイドルはその一瞬を努力するし、本当に小さなアイドルという世界の中で輝き続けるのである。
そしていつか、新たな一歩として知らない世界へ飛び込んでいくのである。

221113追記

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