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日本とは思えない暑い日が来るたびに思う事 

日本とは思えない暑い日が来るたびに思う事



平成初期、駿台の夏期講習を受けていた。


自分が繰り返し使った参考書の著書であり大物古文教師であった高橋正治師の授業を受けていた。

「先進国が特定の緯度に集中するのは、気候が人の知的活動に丁度いいから、暑すぎもなく、寒すぎもなく、四季もはっきりしていてその移り変わりをみて死生観が育まれ哲学も生まれる・・」

高橋正治師

こんな趣旨の事を話していた。今の感覚だとちょっと。。という感じで反証可能な例もあるだろうが、当時は漠然と共感していた。

その発言内容はともかく今の東京の暑さで知的活動はなかなか厳しい。もちろん空調が効いているので昔とは違うが
この炎天下通勤通学して知的活動にプラスに働くとは思えない。

バブルの時首都を仙台に移そうという話もあったそうだが、その方が良かったかもしれない。

日射病という言葉はあったが、熱中症という言葉はなく、気温が熱すぎて死人が出る国があるという話は、ゴールデンタイムのテレビ世界ビックリニュース的な番組で凄い国があるものだと幼心に思った記憶がある。

まさか日本がそんなビックリ国入りするとは全く思わなかった。

夏に活動できたからこそ、90年代初期までは恋愛も、青春も華やいだ気がする。今の活動限界超えた暑さでは屋内でじっとするしかない。

昭和40年代が舞台らしいドラえもんは、スネ夫以外クーラーのある家は無かったし、1980年代半ばまでは扇風機で何とかなった気がする
古い日本映画みても職場に扇風機で、みんな仕事しているしな。

台風も、台湾、沖縄はすごいらしいと小学生の社会で習った気がするが、令和の今、既に本州自体が当時の台湾、沖縄ぐらいかと。

だいたい昭和の早朝は涼しく集まってラジオ体操ができたくらいだった。
「涼しい午前中に夏休みの宿題をやりなさい」とは昭和の先生の常套句。

夜は夕涼みで花火。

今では早朝だろうが深夜だろうが暗い中熱風である。
クーラーがなくても生きていけた昭和の記憶

30度超えれば真夏日とニュースになってた。


合掌

May the Force be with you.