何者かになりたい、という病

何者かになりたい。
色んな選択肢が見える。
自分はどれを選んでもいいんだ。

そのなかで、自分が何者かになれるものを、選ばないといけない。

こういう風に思考してしまうことは、実は病なんじゃないかと思ったりする。

というのも、私はこういう風に考えてしまうと、未来ばかりみて、現実を蔑ろにしてしまい、現実に地に足ついたことが出来なくなってしまうことが多いからだ。

・色んな選択肢が見えすぎる
・"自由"に選んでいいよという名の「自由に最良のものを選べ」

でも、最良のものがどれかを判断する基準が、"ない"、"わからない"。

最良のものをぐるぐる探し求め、自分が「何者か」になるために必要か/必要でないかというものさしをあてて、
次の行動を慎重に選ぶようになる。

病だ。これは時代の病だ。


こんなふうに、いつまでも「何者かである特別な自分」を求めていくくせに、未来が見通せない中、何を基準に行動や進路を決めたらいいのかが分からない。

病だ。


選択肢をいくらでも広げていけることで、
選択肢を狭めて何かを決めることの「怖さ」は際立ち、選択肢を知るために、何度もネットの中をグルグル巡る。

でも、人間は全ての情報を網羅することは不可能だし、それをやろうとしたら、一日中インターネットの前に張り付いて、サーチしてなきゃいけない。

まして、情報が凄い勢いで増えていく中、選択肢をどんどん増やしていっても、「こういう者にもなれるな…(空想)」と分かるだけで、

どんどん地に足ついた現実で出来ることから遊離していってしまい、結局現実では何も進めてないということになりかねない。


さて、
こんな世の中の状況からくる「何者かになりたい病」に、どう対処したら良いのだろうか。

一番の問題は、「何者かになりたい」ことそれ自体ではない。

「何者かになりたい」と探すたびに、選択肢が爆速で増えていくのに、
その中からどれを選択するのがいいのかの基準が自分の中で明確にないことだ。

基準がなければ、
「前はいいと思ってたけど、今思い返すと違うわ」とか、
「いい所もあるし、でも嫌なところもあるわ…どうしよう」

となり、まさに、

!!キリがないから!!


だから解決策は、

①まず、選択肢が無限にあることは、この世の中のインターネット時代に当たり前なことと認めよう。

②そして、
・その全てに成ることはできないこと
・全ての選択肢を知ることは不可能なこと
を認めよう

③自分の中で、「どう生きたいのか」と「自分が自分らしくあれる環境」を明確にし、それをフィルターにして、(数多くの)選択肢を一度濾そう

それを繰り返そう。


さぁ、まずは、
「どう生きたいのか」と「自分が自分らしくあれる環境」は何かから、明確にしよう。

全てはそこからだ。

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