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「何を歌おうか?ポップ?R&B?それともラブソング?」 - Harana(ハラナ)のこと

これは僕が初めてミンダナオ島にある町を訪れたとき、そこの若者と一緒に行ったカラオケ喫茶?食堂?で尋ねられた言葉。
ふーん、そういうジャンル分け、というか認識なんだ?
最後にラブソングがくるのが印象的だったので今でも覚えている。
多分フィリピンの人はロマンティックなラブソングを一つのジャンルとして考えるほど好きなんだろうな、面白いな。と思っていた。

ところで今、僕は19世紀〜20世紀半ばくらいまでフィリピンの街で歌われていた「Harana」と呼ばれる曲をよく聴いてる。
これは、まだまだより深く聴いていない段階での印象と知識だけれど、音楽的には南米やスペインの影響を色濃く受けているもので、ボーカルに一本のアコースティックギターと、時々簡単な打楽器やバイオリン、管楽器のような伴奏が入る至ってシンプル。
歌詞の内容は、セレナーデ、courtship song、いわゆる求愛の歌となっていて、全編現地語だ。タガログ語で歌われるのが殆どだけれど、歌われる地方によってイロカノ語やパンパンガ語でも歌われるらしい。
Haranaはその音楽を指す(ジャンル)言葉としても使われるけど、男性が思いを寄せる女性に求愛するという「リチュアル」を指す意味でも使われる。
たいていHaranaが行われるのは夜だ。夜に思いを告白する男性が、ギターなどを伴奏する友人(時にはプロの伴奏弾きを従えることも)と共に女性の家へ行き、窓の下でHaranaを歌う。女性が彼の求愛を受け入れれば、彼女は窓を開け、家に招き入れるという具合だ。
なんだか三文芝居のような感じもするけど、このリチュアルが1960年代まで大真面目に行われていて、60代、70代のフィリピンの田舎の人に聞けば、夫と結婚する(付き合う)きっかけはHaranaだった、夫にセレナーデされたという人は少なくはない。
リチュアルとしてのHaranaは今ではほとんど行われていないけれど、その衰退した経緯などは、近い将来Haranaをメインの題材として書く時に詳述しようと思っている。

Haranaは、広くリスナーに聴かれることを目的とするポップ音楽とは一線を画する。ポピュラリティの獲得が存在理由という意味では、ある地域の人々に共有(ポピュラライズされる)される民族音楽や、信者の間で共有される宗教音楽とも違うと言える。もっともっとプリミティブな音楽なのだ。
歌詞の内容は、特別なものではなくて、ポピュラー音楽でも使われる恋の歌だけど、女性が男性に求愛する(Haranaをする)時だけ、その二人にとってだけ、その歌は意味を持つ。
相手が自分にとっていかに素晴らしい存在なのかを滔々と語り、自分の思いがいかに誠実なものなのかも滔々と語る、という、聴いているとこちらが赤面してしまうような「クサイ」内容のものがほとんど(笑。
もちろん、Haranaでよく歌われる楽曲、ポピュラリティを獲得した楽曲はあるが、あくまでもその曲が活躍?するのは二人の間においてだけなのだ。
だから、Haranaの曲をみんなで大合唱というのは基本的にはありえない。

ちょっとHaranaの話題が長すぎた(汗ので、本題に戻しにかかろう。

このHaranaと同時期にフィリピンでポピュラリティを獲得したのがKundiman(クンディマン)だ。
音楽的にはHaranaの2拍子に対し、Kundimanは3拍子が多い。KundimanはHaranaよりやや大掛かりな編成で行われるが、どちらも南米・スペインの影響を色濃く受けているので、一聴してこれはHarana、これはKundimanとサウンドで聴き分けるのはなかなか難しい。
僕が感じる最も大きな違いは、歌詞の内容だ。
Haranaは特定の相手に対する愛を表現した、極個人的でintimateな内容であるのに対し、Kundimanは生まれ育った土地や、母国、地域への思いなど広く共有される愛をテーマにしているものが多い。これは、長いスペインの植民地支配とその後アメリカがスペインにとって代わろうとしていた混乱の時期に、フィリピン人としてのアイデンティティを語る歌とそれを多くの国民が共有することを必要とされていたということもあったろうし、ラジオや映画、レコードなどの普及が、ポップ音楽(ポピュラリティを獲得するための音楽)としての性格を持っていたKundimanには追い風となったと思われる。
このように、個人(二人の間)で生き続けるHaranaとは違い、Kundimanは当時の主要な流行歌としてフィリピン全土に広まっていった。
これが、今のフィリピンの流行歌であるOPM(オリジナルピリピーノミュージック)のラブソングに繋がっているのだと思う。
実際、Kundimanの女王と呼ばれたSylvia La Torreも、メディアのインタビューの中で、Kundimanは民族音楽・伝統音楽のように言われるけれど、今で言うOPM、ラブソングなのよ。と語っている。
Haranistaと呼ばれる高齢のHaranaの楽器演奏者も、Kundimanはラブソングで、Haranaとは違うと明確に語っている。

やっとのことで閑話休題(笑

僕がミンダナオ島の青年から言われた、「何を歌おうか?ポップ?R&B?それともラブソング?」のラブソングも、Kundiman〜OPMへの流れの中で盛んに歌われているラブソングを指すものと思う。
けれども、フィリピン・ミンダナオ島の田舎とて、世間一般に言われているポップ音楽の大まかなジャンル分けはできている。レコード(CD)ショップでもロックのコーナー、OPM、ポップス、R&Bなどと一般的なジャンル毎に整理して売られているし、あえて「ラブソング」を引き合いに出すこともないと思う。しかも僕は外国人だ。
どうしてそこそこ現代風のオシャレをし、流行りのガジェットを持ち、ファストフード店で友達とだべるような若者が、わざわざ「ラブソング」なのか。
日本だってポップスの中の「ラブソング」は大人気だし、カラオケとかでも盛んに歌われていると思う(僕は実はカラオケ苦手で、数年に一回くらいのペースで、それも連れに誘われた時くらいしか行かないのだけど)けれど、それでも「ラブソングを歌おう」と言葉にされることはほとんど(全く?)ないのではないか。
僕はミンダナオ島の若者があえて「ラブソング」を言い出した背景には、Haranaの影響があるんじゃないか?と思っている。彼のご両親の世代はプロポーズとしてHaranaの儀式と歌があったことは容易に想像できるし、彼自身もHaranaのことは知識としては知っている。そして、今のOPMの中にも、タイトルに「Harana」と付けたラブソングが時々リリースされている。
やり方は変わっていくけど、二人だけの愛の告白の瞬間という、流行や時代の流れに左右されることなくいつまでも人が繰り返すリチュアルを、たとえ一時期とはいえ、Haranaという具体的な形で音楽に乗せて表していた歴史を持つフィリピンの人にとって「ラブソング」とは既存のジャンル分けを超えた強烈な意味を持っているように思ってしまう。


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