見出し画像

フィリピン音楽と僕 11 - コラソン・アキノ没後13年

2009年8月1日、フィリピン民主化の母として国民から慕われたコラソン・アキノ氏が亡くなった。今年は彼女の13年目のdeath anniversaryだ。数え年で考える日本だとちょっと違うのかもしれないけど、13は国や地域によって縁起の良い数字とされたり悪いとされたりする数字だ。フィリピンではどちらかといえば縁起の悪い数字として考えられている「13」年目にかつての政敵フェルディナンド・マルコスの息子が大統領の座に就いたのはなにかあると思う人もいるかもしれない。

葬儀の模様を記録したDVDとCD

画像1
Salamat President Cory (a tribute to the Mother of Philippine Democracy) DVD

2009年8月1日に亡くなったコラソンアキノ氏を悼み、同8月5日にマニラで行われた追悼ミサの模様を収録したDVDだ。
マニラ大聖堂でのミサから墓地へ運ばれるところまでの模様とゆかりのある人物へのインタビューなどで構成されている。
資料的な価値もあるDVDだけど、印象的なのが大聖堂で行われたミサのシーンだ。
カトリックの儀式に沿って聖職者によるミサが行われた後、フィリピンを代表する人気アーティストが聖堂内で彼女が生前好んでいた曲やエドサ革命に因んだ曲を披露している。
DVDに収録されているのはエドサ革命のテーマソングとも言える2曲だけど、実際には15曲が歌われている。
音楽だけを集めたCD版も発売されている。

追悼ミサで歌われた15曲を収録したライブCD

収録内容(楽曲とアーティスト)は以下の通り
1. The lord's prayer - Erik Santos
2. Your heart today - Dulce
3. Sa 'yo lamang - Piolo Pascual
4. Hindi kita Malilimutan - Zsa Zsa Padilla
5. Bayan Ko - Lea Salonga
6. The prayer - Martin Nievera & Regine Velasquez
7. Pangako - Ogie Alcasid
8. I have fallen in love (with the same woman three times) - Jose Mari Chan
9. The impossible dream - Jed Madela
10. Magkaisa - Sarah Geronimo
11. Handog ng pilipino sa mundo - Apo Hiking Society, Lea Salonga, Regine Velasquez, Ogie Alcasid, Martin Nievera, Sarah Geronimo, Piolo Pascual, Jed Madela and Jose Mari Chan

Bonus Tracks:
12. Somewhere - Kuh Ledesma
13. Sa ugoy ng duyan - Christian Bautista
14. Heal our land - Jamie Rivera
15. You raise me up - Rhap Salazar

この中で革命当時すでにデビューしていたアーティストはJose Mari Chan、Dulce、Kuh Ledesma、Zsa Zsa Padilla、Martin Nievera、Lea Salonga、の6人とボーカルグループApo Hiking Society、他は革命後にデビューしたアーティストだ。中にはSarah GeronimoやRhap Salazarら革命後に生まれた若手も登場している。

収録されているのはスタジオ録音ではなく全て2009年8月5日に行われたマニラ大聖堂でのライブ音源だ。

要人の葬儀で延々と繰り広げられるポップ音楽

マニラ大聖堂

特にコラソンアキノが熱烈な音楽ファンだったわけでもなさそうで、歌われた楽曲の中で直接彼女と関わりがあるとすれば、8曲目に収録された「I have fallen in love (with the same woman three times)」くらいだろうか。この曲は夫のベニグノ・アキノJr.が彼女を想って作った詩にJose Mari Chanがメロディを付けたものだ。他はフィリピンでヒットしたポップソングや、中には6曲目のThe Prayer、15曲目のYou Raise Me Upなど洋楽ヒットも含む。

教会のような宗教的な建物で宗教的な儀式が行われる時、世俗のポップソングが披露されるのがどのくらい一般的な事なのか僕はよくわかっていないのだけれど、儀式は儀式としてつつがなく執り行われ、それが終わった後でどこか場所を変えて、故人を偲ぶ形で有志が集まり所縁のある音楽を聴く、という方がよくあると思っていたので、1時間以上にわたり聖堂内で延々と繰り広げられるポップアーティストたちのライブパフォーマンスは驚きだったし新鮮だった。

フィリピンではポップ音楽はいわゆる若者文化でもカジュアルなシチュエーションでのみ楽しまれるものでもなく、フォーマルな場面で披露するにはそれなりの勿体を付けなければならないものでもない。
フィリピンの人たちにとっては、ポップ音楽は人生の最も大切な瞬間もぴったりとそばにいなくてはならない空気や水のような存在なのだろう。
それも、マニアやコレクターが追い求める、滅多に聴くことのできない土着の伝統音楽や、エスニックなサウンドではなく、時の流れに沿って現れては消える流行り物のポップ音楽、テレビやラジオで毎日のように見聴きできるようなどこにでもある類の音楽だ。
前の記事で書いたマルコスJr.の就任式典で女優・歌手のトニ・ゴンザーガが国家を歌ったのもいかにフィリピンでは社会や政治とポップ音楽(ポップアーティスト)が近いものかを物語っているように思う。

映画の話:敵を知り己を知れば百戦危うからず

敵を知り己を知れば百戦危うからず
これを怠ったがために無謀な戦争に突入し、歴史的な大敗を喫した我らが(笑)日本なので、この諺の意味は重々ご承知とは思うが、敢えて屋上屋を重ねさせてもらうと・・・

映画KatipsとMaid in Malacanang

2022年8月3日からフィリピンでは二つの映画が同時上映される。
一つはマルコス独裁政権時代(1980年代)に何があったのか、を描いたKatips (タイトルはKatipunan(カティプーナン)というスペインの植民地支配からの独立を目指した秘密組織に由来する)。
もう一つはマルコスがエドサ革命で失脚するまさにその頃をマルコス家の視点から描いたMaid In Malacanangだ。

Katipsは2016年にマルコスを想起させる強権的指導者のドゥテルテ氏が選挙で大統領に就任した時に作られた舞台ミュージカルの映画化(2019年)で、これまで日本でもフィリピン近現代の「正史」として幾度も語られてきた内容だ。
方やMaid In Malacanangはマルコス家、ロムアルデス家(イメルダ夫人の実家)の視点から描かれたマルコス政権の総括だ。

内容的にお馴染みなのはKatipsだろう。
フィリピンの市民革命やコラソンアキノ大統領の名前をほんの少しでも耳にしたことのある人なら、うんうん、そうだよね。。。となるハズ。
逆にマルコス側から見た革命(マルコス側はどう言うふうに自身の失脚や革命を捉えていたか)はあまり語られてこなかった。

僕はここでどちらが正しいのかという自分の意見を言うつもりも、どちらかへ先導するつもりもない。

日本ではこれまでほとんどのメディアや個人のSNSで語られてきたのは、Katipsを中心に据えた投稿で、異なる意見のガチンコ対決がフィリピンらしくて素敵!という意味を匂わせる書き込みでもどちらかと言えば(明らかに?)今回の選挙で負けてしまったリベラル勢シンパの人の投稿が多い。

それ自体が間違っているとは決して思わないのだけれど、やっぱり僕が気になるのは
「うんうん、やっぱりそうだよね。。。」
というこれまでの言説を仲間内で再確認するような空気が流れているように思う点だ。
(いや、僕だってKatipsが描こうとしていることの方が本当のことだと思うんだけど)
けれども、それが正しいか正しくないかではなく、(たとえ正しくとも)自分たちの賛同できる意見ばかりに寄り添って、マルコス側の意見をみる価値のない嘘っぱちとしてオミットしようとする姿勢だ。
嘘なら嘘なりに、間違っているのなら間違ったなりに、反対する意見の持ち主がどのように歴史を捉えているのか、どのように歴史を「流布」しようとしているのかを軽んじることは却って危険なことじゃないか?と思うのだ。
(フィリピンではMaid In Malacanangは大企業や資産家・影響力のある人物をスポンサーに立て、各地の学校で無料上映するというあからさまな洗脳・プロパガンダが行われようとしているので、そのことに対する抗議は十分に納得できる)

だからこそ(日本も・フィリピンの現在のリベラルも)負けたんだろう?
日本はかつて、米兵など仕事中(任務中)にチューインガムをかみながら、夜は女の子とダンスに明け暮れるへなちょこだとして見向きもしなかった。
フィリピンの知識層はマルコス陣営の言説を根も葉もない陰謀論・プロパガンダとして自分たちの正しさをアピールすることに躍起になっていた。
結果どうなったか?
なぜチューインガムをかみながら盛り場で女の子を物色するへなちょこ米兵があんなに強いのか?
なぜ根も葉もない言説を撒き散らすマルコス勢がダブルスコア以上の差で選挙に勝ったのか?
これを知るには、「うんうん、そうだよね」と自分に耳障りのいい映像をリプレイしているばかりではなく、「敵を知る」ということも必要なのではないか?と思うわけだ。

自分が正しいと思うことだけを信じていれば必ず勝てる!と意気込んでいた、(ちょっと言葉は悪いが)図に乗っていた日本とフィリピンのリベラルがコテンパンにやられた背景には(いい悪いは別にして)共通した欠陥があるのではないか?

そう言う意味で、僕は、フィリピンの歴史や政治に関心のある人には、Maid In Malacanangをじっくりと見てほしいと思う。
Katips系のストーリーはどこでも簡単に手に入れられたり見ることができるけど、Made In…のようなストーリー(視点)は、マルコスJr.が政権を取った今が一番見れる(今しかない)ような気がするから。

敵を知り己を知れば百戦危うからず
この言葉、裏を返せば、敵のことを軽んじていると百戦どころか目の前の一戦に勝つこともおぼつかないということを示唆しているような気がする。

フィリピンにも当てはまるCNNの検証

ちなみに、CNNがとても興味深い内容の動画をYoutubeにアップした。
米国のみならず世界的な右傾化についての検証記事だ。
要約すると、
アメリカでは支持基盤である移民が増え続け民主党がどんどん優位になると考えられていたが、実は移民が保守党(共和党)支持に変わっている。なぜかというと、民主党が環境や銃規制や中絶、人権(差別)といったwoke層(目覚めた・意識の高い)都会の知的な人々の問題意識に同一化してしまっているからで、世界的な右傾化も、結局思想や立場の問題ではなく、多数派の関心は経済=自分の生活にあるのにリベラルはその期待に答えられず、保守がその不満をオーガナイズすることに成功している
(これは僕の要約ではなく、信頼できる知識人がtwitterで動画をシェアしながら投稿したものですが、鍵垢なので名前は伏せておきます)

なんだか今のフィリピンにもそっくり当てはまるような気がしている。
僕が以前noteで書いた記事「マルコスの頃は貧しかったけど、とにかく飯は食えた。」に酷似しているのでちょっと驚いたのだけれど、やはりこの傾向は世界的なものなのだろう。

今回は音楽の話から話題の映画・フィリピンの社会の話まで長々と書いてしまったけれど、コラソンアキノ氏の命日には色々と思いを巡らせてしまう「ピン中(フィリピン中毒・笑)」故にご勘弁を・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?