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フィリピン音楽と僕

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フィリピンの音楽・パフォーマーとの出会いから、これまでの様々なハプニング、印象に残った出会い、楽曲などを書いていきます。 更新随時
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#音楽

フィリピン音楽と僕 13 - A Night To Remember : ひょっとしたらいい国かも、フィリピン...と思った瞬間

多分2回目にフィリピンに行った時と思う。 タクシー代を浮かせるために空港からダウンタウンまでジープと電車をのりついで行くことにした。 ターミナル2の近くから乗れるジープはバクラランの端っこの方に止まる。そこから駅まで炎天下を約20分徒歩だ。 肉屋や八百屋が軒を連ねる市場の前を通りながらとにかく歩いた。 ほんっとにクソ暑い!というのが正直な印象。 しかもトタン?の天蓋があるだけの屋外の市場からは肉や野菜の陽に灼けた匂いが漂ってくる。。。 食べ物以外にも夥しい数の物売りがひしめ

フィリピン音楽と僕 12 - シーンを牽引するThe Voice Kids Philippines出身のキッズたち

American Idol、X-Factorなど世界中でフランチャイズ開催されているタレント発掘番組(企画)、オランダ発祥のThe Voiceもフィリピン版が行われている。2014年からはキッズ版のThe Voice Kids Philippinesもスタートした。 フィリピンのVoice Kidsは2017年のシーズン4まで開催されたが(その後はThe Voice Teensに移行)そこに出場した子供たちが今のフィリピンのミュージックシーンを牽引している。特にシーズン1と2

フィリピン音楽と僕 11 - コラソン・アキノ没後13年

2009年8月1日、フィリピン民主化の母として国民から慕われたコラソン・アキノ氏が亡くなった。今年は彼女の13年目のdeath anniversaryだ。数え年で考える日本だとちょっと違うのかもしれないけど、13は国や地域によって縁起の良い数字とされたり悪いとされたりする数字だ。フィリピンではどちらかといえば縁起の悪い数字として考えられている「13」年目にかつての政敵フェルディナンド・マルコスの息子が大統領の座に就いたのはなにかあると思う人もいるかもしれない。 葬儀の模様を

フィリピン音楽と僕 10 - リスクテイキング

フィリピンの音楽に出会って20年ほど、今でも最初の頃のドキドキ感を失わずにいられるのにはいろんな理由があるけど、やっぱり常に新しい試み、新しい形のパフォーマンスがハイレベルを維持しながら続々出てくることにある。そんな聴くものに新鮮な感動を与えてくれる作品が生み出され続ける背景には彼らのリスクテイキングに対する姿勢があると思う。 Ryan Cayabyabが語っていた黄金時代1970年代〜80年代 フィリピンポップスに功績を残した作曲家を中心に1970年代から80年代までの

フィリピン音楽と僕 8 - さらっと答える「Because we love music」のカッコ良さに参った

2007年より以前はCD/DVDの買い付けのため、ほぼ毎月のようにマニラへ渡航していたけれど、2007年からはレコード会社から直接送ってもらえるようになったので、約3、4ヶ月に一度くらいのペースまで落とすことができた。そして、年に3回〜4回の渡航の目的は買い付けではなく、レコード会社とのミーティングにシフトしていった。 基本的にミーティングはオフィス内でしていたけれど、簡単な打ち合わせなどは社屋に併設されたStarbucksなどのカフェで行うこともある。お昼の時間帯にかかる時

フィリピン音楽と僕 7 - 優秀なパフォーマーを生み出すモールショーと商売ベタなフィリピン人

僕は他の国のことは全然詳しくないのでよくわからないが、フィリピンの特徴的な音楽プロモーションと思われるのが、「モールショー」だ。 もちろん日本でもアルバムやシングルのリリース後にツアーを組んだり、レコード店などでインストアライブを行ったりするが、規模が違う。CDが音楽を聴いたり音楽を販売する主なプラットフォームだった頃は、新作がリリースされると、メトロマニラを皮切りに全国の主だったデパート、ショッピングモールでライブを行う。新人もビッグネームもみなこのモールショーを全国津々浦

フィリピン音楽と僕 4 - フィリピンの商習慣

最初に断っておかなければならないけれど、お察しの通り僕は商売は素人だ。だから、商習慣などと大上段に構えたような記事タイトルをつけているけれど僕が経験したことを参考(反面教師?)になればと書いているだけで、フィリピンの商習慣とはこういうもの、このように対処すべき、的な記事ではありませんので悪しからず。 いつも流通が不安定 前記事で、大ヒットした2005年のNina Live!について触れた。 だいたいこのくらい(の売れ行き)じゃないか、と予想して仕入れした枚数が即座に売り切

フィリピン音楽と僕 2 - CDを売ってみよう

カバーバージョン 約二ヶ月に一度くらいのペースでマニラに渡航していた僕は、一度行くと大体2、30枚くらいのCDを買って帰っていた。 アーティストのオリジナルアルバムもあるし、コンピレーション盤(複数のアーティストの作品をあるジャンルや企画に沿って選曲したもの)もある。 ほとんどが良いカバーが収録されているものばかりだった。 フィリピンではカバーバージョンが多い。洋楽ヒットは、新旧にかかわらず、国内アーティストによって演奏(歌唱)される。ライブハウスやナイトクラブでは、客を

フィリピン音楽と僕 1 - まずは馴れ初めから

70年代にヒットしたフレディ・アギラのアナク(息子)や、80年代の女性シンガー マリーンの一連のヒット曲、日本のディスコに出演していたフィリピンバンドの演奏を別にすれば、僕とフィリピンの音楽との出会いは2000年ごろに始まった。 世の中の状況が激変する中、僕の身の回りもそれに流されるように大きく変化しているので、少しここまでの経緯を振り返ってみようと思い立ったので、ここに書き連ねてみようと思った次第。 フィリピンの音楽どころかフィリピン自体に全く興味なし 東南アジアの島国