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学びを深めるための情報との付き合い方

坂田大輔
経済学部・経済統計、統計制度論

大学での学びということについて考えてみると、自分が大学に入った頃と比べて大きく変わった点がいくつかある。学びにおける統計データ※の入手のし易さは、その一つだと思われる。今では信じられないかもしれないが、20年程度前は、容量が1.4メガバイトしかないフロッピーディスクが(流石に姿を消しつつあったが)まだ普通に利用されており、数十メガ程度のデータを扱うことですら苦労した。インターネットを通じた統計データの提供は始まりつつあったものの、十分に整備されておらず、紙の統計書を見なければならないということも多かった。(※本稿では、統計データについて、行政機関などが作成するいわゆる公的統計データを念頭に書いているが、統計データには、公的統計だけでなく、民間組織が作成する統計データもある。そういったものの中にもインターネットを通じて入手できるデータは数多くある。)

そうした状況はそれから10年程度で大きく様変わりした。少なくとも収集した情報を集計等によってまとめた統計表レベルの統計データであれば、インターネットを通じて非常に容易に入手できるようになり、統計データの利活用は、現在の大学での学びにおいても非常に重要なものとなった、はずであった。残念ながら、昔と比べて遥かに容易に自らの手で入手できるようになったにも関わらず、大学で学ぶ際に統計データを自身で探して利用するということが十分に広まったとまでは言えないだろう。

確かに、魔法の様なインターネットの検索サービスによってキーワードから探すことが出来る情報と比べると、必要とする統計データをデータベース内から探すという行為は、ややとっつきにくいものであるかもしれない。統計データを探す際には、まず、自分がどのようなデータを必要としているかをしっかりと把握する必要がある。次にそれに基づいて統計データを探していくわけだが、それに該当するものが存在するかどうかも分からない中で、丹念に統計データのありかを探っていくという行為は、昔と比べて容易になったとはいえ、(統計データに触れた経験が少ないうちは特に)楽なものではない。

しかし、インターネット検索で見つかる情報は、多かれ少なかれ他者が何らかの意図によってまとめた情報であるから、当然の事ながら他者の思考が反映されたものである。無論、そうしたものから学べる事も多いが、自分で統計データを取得し、その内容を理解してまとめるという作業は、基本的には教科書という正解のあった高校までの学習とは異なり、自らの手で探究するということが特に重要となる大学の学びにおいては、是非とも時間をかけて挑戦してもらいたいものである。

なお、データを探す際のおすすめの方法の一つに、関連の在りそうな名称の調査で実際に使われた調査票のサンプルを確認するというものがある(公的統計であれば、調査票のサンプルがインターネット上で公開されていることが多い)。知りたい事柄が調査票に含まれていたならば、その調査の結果に基づく統計表に自分が知りたい情報が恐らく含まれているだろう(ただし、例えば、各歳ごとの値が必要だったが、5歳刻みでのデータしか公表されていないといったように、自分が必要とする区分での集計がなされているとは限らない)。また、調査票からどのような情報をどの様に調査しているかを知ることで、統計データに対する理解も深めることも出来るのである。

さて、ここまでは私の専門に合わせて統計データに話を限定してきたが、大学での学びにおいて重要な情報は、なにも統計データだけではない、書物や音声・映像記録といったものから得られるものも当然重要であるし、講義を聴講する事で得られる情報は大学での学びにあたって主要なものである。そして、同様にこうした座学以外での体験もまた重要な情報である。ここでは、体験から得られる情報についての私の経験を述べておきたい。
 
私は、学部学生の時代には開発経済学を学ぶゼミに所属しており、研究対象としてインドに関心を持っていた。その後、大学院に進み、経済統計に研究の焦点を移した後もインドの統計制度を研究対象としたことから、これまでに何度かインドを訪れる機会があった。そうしたインドでの体験の中でも特に印象的であった出来事の一つに、農村での貧困者に対する雇用保証という観点から実施されていた公共事業の現場での体験がある。私はそこで鍬を振って土を掘り起こす作業を体験させて頂いた(なお、その時へっぴり腰な姿は、「神大の先生」の私のページで見ることが出来る)。ほんの数分にも満たない僅かな時間ではあったが、高い気温の中で作業をするということ、鍬の重さに振り回される感覚、硬い土とそこから腕に伝わる反動などは、開発経済学の教科書などを通じて、理解していると思っていた労働の過酷さが単なる思い込みの産物であったと思い知ることとなった。

ただし、書物などから得た知識だけを重視することは危険だが、体験から得られることだけを重視する事もまた危険である。そして、そうした学習と体験の双方から得られた知見を、自身の中でまとめ、消化するには時間がかかる。学習と体験の融合という学びが大学以外では出来ないというわけでは決してないが、(コロナ禍もあり、制約の多い時代ではあるが)大学生活という比較的まとまった時間の中で是非とも行って貰いたい学び方である。

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。