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実践的学問に出会う場所

廣津 昌和
理学部・無機化学、錯体化学、有機金属化学

 大学に限らず、入学したての頃は誰もが新鮮な気持ちで授業を受ける。しかし、大学では学びのかたちが高校までとは大きく変わる。一番大きな変化は、学びたい科目を自分で選べることであろう。いろいろと悩んだ末に学部・学科を選び、大学を選んで入学した学生にとって、この変化に戸惑うことが多いのではないだろうか。もちろん必修の科目もあるが、授業が行われる教室に行っても指定された席はない。自由に選べる範囲がこれまでとは格段に広がっている。

 自由に選べるとなると、人はいろいろなことを考え始める。良いことだと思う。自由と言えば、夏休みの宿題の定番になっている「自由研究」を思い出す人もいるだろう。子供にとって、時には大人にとっても悩みの種かもしれないが、自分で考えることを始めるきっかけになる。私は夏休みこそ自由に過ごしたかったので、あまり手間をかけない方法ばかり考えていた。その一つが「カビの研究」だ。棚の上、押し入れの中、冷蔵庫など、家のいたるところにパン切れを置き、カビが生えるまで観察した。昆虫や動物と違い、毎日エサをやらなくてよいので労力は少ない。ただし、カビが生えないと終わらないし、ネズミに食べられると元も子もないので、多少の小細工は必要だった。最終的にすべてのパン切れにカビが生え、無事に宿題を終えた。生え始めたカビの繁殖力に心底驚いたが、家族は嫌がったに違いない。少し話がそれたが、「自由」と言われると、動機はともかく、いろいろなことを考えるものである。

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 現在の大学では履修登録の電子システムが整っており、非常に便利だ。スマートフォンを片手に授業科目の内容を調べつつ、「自分は何を学びたいのか」を考えることになる。私が大学に入学した頃は先輩だけが頼りで、伝わってくる情報量も少なく、不安だらけのスタートだったように思う。履修科目を選ぶ際に、定番科目や推奨科目を知ることはもちろん大切である。しかし、せっかく自由に選べるのだから、専門分野以外にも目を向けて、興味の幅を広げることを勧めたい。私の場合、2単位だけのプログラミングの授業が今でも役に立っているし、高校の時はサボっていた生物の授業も大学では楽しめた。

 私の専門は「化学」なので、そちらに話を移そう。カビの増殖や生き物の生命活動、街中を走っている車の動きも、基本となるのは化学反応である。大学では、その化学反応をフラスコの中で調べる「実験科目」がたくさん用意されている。実験が始まり、白衣を着るようになると、いよいよ本格的に始まったという気分になる。実験を進める上ではチームワークも大切だ。事前に意見交換をすることで、思わぬミスを未然に防ぐことができるし、実験の効率も上がる。実験はフラスコを洗って片付ければ終了ではなく、一つの課題を終えるごとにレポートの提出を求められる。最近はレポートを書くのが苦手な学生が多い。そのような学生には、あまり間違いなど気にせずに、「自分の考えを人に伝える訓練」だと思って取り組んでほしい。私が大学生の時、提出した実験レポートの一つで、データの解釈の仕方に問題があった。期限内に無事に提出できたので、安心して次の実験を進めていたのだが、実験の最中に担当教員がそのレポートを持って訪ねてきた。そのようなことは初めてだったので驚いたが、その場で問題点を丁寧に説明してくださった。わざわざ訪ねてきた理由は定かではないが、私は「自分の考え」が伝わっていたことに妙に安心した。大学のレポートは必ずしも正解を求めているのではない。どのように考え、結論を導いたのかを、的確に伝えることを心がけると良いだろう。

 化学の分野では研究室に配属されると、卒業研究は日々実験である。実験に失敗はつきもので、無駄とも思えるデータが積みあがっていく。答えが分かっていないので、うまくいかなくても当然であるし、それ自体が最先端を歩んでいる証しでもある。気分が滅入ることもあるだろうが、そんな時は担当教員や周りの仲間と議論してみよう。それぞれのデータには意味があり、やるべき課題がたくさんあることに気が付く。「正解のない課題」に取り組むことは大学の学びの特徴であり、大学はそういった「実践の場」を提供している。初めてカビの繁殖を見たときのように、新鮮な驚きに再び出会うこともあるだろう。実践的学問を通して、自分で考え、それを伝える力を養おう。


廣津 昌和
理学部・無機化学、錯体化学、有機金属化学

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。