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第四章 交通・安全

◀第三章 住宅・保険・食事    第五章 お金・仕事▶

旅先で出会った悪い人・良い人?

2019年秋、コーネル大学研究室時代の仲間が、トルコで教授になって国際会議を開くということで、初めてトルコのイスタンブールを訪問しました。ドーハを経由してイスタンブール・サビハ空港に到着しました。空港はイスタンブール近郊でアジア側に位置し、イスタンブール市内までバスでの移動でした。アジアとヨーロッパの境界であるボスポラス海峡に架かる橋を渡った時には、この旅の一つの目的を達成でき感無量でした。夕方ホテル近くのトルコ風ファーストフード店でトルコ料理を満喫し、この旅が順調に進んでいることに満足していました。次の日の学会は13時から開始されるので、朝からこの旅のもう一つの目的であるバザールを見に行くことにしました。朝8時ごろホテルを出ましたが、ホテルを出たところの交差点で事件が起こりました。交差点を行き交う中、一人の男性が靴磨きのブラシを落としました。私の同行者は、「落ちましたよ。」と言って拾いあげ、渡しました。その後、その人は私の同行者に「靴を磨いてあげましょう。」と言い、その同行者も調子に乗って靴を磨いてもらいました。その男性は靴磨きの最中、機嫌よく「日本人か?東京は知っている。」などと喋ってきました。しかし、終わった途端その男が靴磨きの金額をかなり高額に請求してきました。そこで“しまった!”と、だまされたことに気づきました。トルコのお金は無いと言って、1ドル紙幣を渡しましたが、換金できないからと言ってトルコのお金をくれと受け入れませんでした。どうにか 1 ドルを与えて事なきを得ました。その後のバザールに行く最中の満員電車の中、すべての人が私たちを騙すためにバスに乗っているのではないかと疑心暗鬼になってしまい、まともな観光ができませんでした。その後も、街を歩いている時など、靴磨きの人間が私たちを見つけると、近寄ってきてすれ違いざまブラシを落とすので、毎回私たちは馬鹿にされている気がして不愉快な気持ちを持ちながら3日間を過ごしました。

次に2014年に学生と学会に参加しアメリカ・オーランドに行った時の話です。オーランドと言えばディズニーワールドがある街です。私たちは男二人でディズニーランドに行く気にはなれず、オーランドのダウンタウンに観光に行くことにしました。バスを乗り継ぎようやく到着しました。ちょっとした公園があったので散策しながら道端を歩いていると、IHOPE(アメリカ全土にある有名なホットケーキ屋さん)の若い男の店員が私たちとすれ違いました。すれ違って数メートル離れたところでその若者が、「君たち向こうに行くのかい?向こうは非常に危険なところだから君たちのような観光している人は行かない方が良いよ。私はそこに住んでいるけど、親切心から言っている。私の言うことを信じて戻ったほうがいい。」と言われました。こう言われるともう先に行くことはできず、その若者と話をしながら公園の中心地に戻り、「観光ならあそこからバスに乗って行った方が良いよ」とアドバイスされました。私たちはそのアドバイスに従いバスに乗りました。教えてもらった場所は、安全なところでしたが、その場所に行くバスは、実は先程危ないといわれた地域を通りました。どんなところなんだろうとバスの中から見てみると確かに相当物騒な感じがしていました。さらに、私たちがあのアドバイスを聞いておいて良かったと思ったのは、バス停での出来事でした。ある男女がバスに乗り込んできました。男は松葉杖をしていたので、多分、松葉杖で歩けないからバスにただで乗せてくれ、女性も私も付き添いだから無料でということを言って、乗り込んですぐにバスの後部座席に行ってしまいました。バスのドライバーが前方の運転席から大きな声でそれは認められないと言って怒鳴っていました。その忠告を聞かないのでドライバーは運転席を立ち、後部座席まで来て、無賃乗車の人々と言い争いをしています。私は心の中で、「やばい、運転手はピストルで撃たれる」と思いました。私は流れ弾が来たら当たらないように身を固めていました。その後、無賃乗車の人々はバスを降りていきました。何事もなく済みましたが、これが私が海外で一番身の危険を感じた経験です。そのバスの中で思いましたが、バスの運転手はこのような荒れた地域を運転するのに命懸けなんだろうなと感じました。世界を旅すると日本で見られるより幅広い良い人・悪い人、つまり非常に親切な人、関わってはかなりまずい人に出会います。皆さんも気を付けてください。

バスは長距離移動が必須です

私が感じた人種差別

私は海外生活において人種差別を感じたことはありません。ただし、私は英語が得意ではないので、英語が話せないということで差別的な態度や発言をされたことはあるような気がします。自分の英語ができていないからだと自身で反省してしまい、あまり差別だと感じていないのかもしれません。
 
私が感じた人種差別というか、人種差別の痕跡は、公共のバスに乗ったときに度々感じました。皆さんも昔、アメリカには人種差別があったことは知っていると思います。アフリカ系の人たちが差別されていました。当時は使うトイレやレストランも区別されていました。バスにおいては、アフリカ系の人はバスの後部に乗るように言われていました。この悪しき習慣がまだ残っていることが、バスに乗ったときに感じられました。特に長距離バスのような場合、後部にアフリカ系の人たちが乗っていることが明確にわかります。彼らは、本当に静かに乗っているので明らかにちょっと変わった雰囲気です。私が見たアフリカ系の人たちは、非常に静かにしていました。どちらかというと気配を消したいというような雰囲気で公共の場に出ているような感じでした。映画で見るような陽気な雰囲気はほとんど見たことがありません。長い歴史の中での習慣なのでしょうか。
 
先入観を持たせてはいけませんが、日常の生活の中では、人種、生活習慣、好みのもので一緒の人たちが集まり、その仲間で生活しています。日本の単一民族でも同様ですね。人々がいろいろと複雑な人間関係で生活しているように見えて、何かしらのグループに属して生活をしています。それは自分を守るためには必要です。皆さんもどこかのグループに所属すると思いますが、その時は他のグループを悪く思わずに、お互いに距離を持って生活していきましょう。海外で感じるのは、この距離の取り方が日本社会で生きていくときの私たちが感じる他人との距離感とは明らかに違ってきます。この距離の取り方は、歴史や現在の社会的状況などの複雑さの中でできているものなので、対応には注意しましょう。海外の人は、人と気さくに話すということをよく耳にするかと思います。確かに、あるところまでは気さくに話をしますが、ではすべてを受け止めているのかというと、どこからか自分自身のことと考え、壁を作ってきます。このさじ加減は世界で一定ではなく様々ですので、その時々で人との距離を考えて、どのように接するべきなのかを考えていかないといけません。


運転免許の取得

アメリカでの生活では車が必要であるということは、これまで説明してきました。車を運転するためには、海外でも当然運転免許証が必要です。日本の運転免許証を国際免許証に書き換えて、海外で運転することも可能です。私がアメリカで住んでいたニューヨーク州では1年間でしたら国際免許証で運転ができます。その後はニューヨーク州で運転免許証を取得する必要があります。私の友人で、1年間の留学でしたがこの運転免許証の取得にチャレンジしましたが、免許の実技試験で不合格になり、結局、国際免許証で通すことを決めた人がいます。日本では普通に運転をしていたので、技術というより緊張感と海外での運転に関する考え方の違い等が影響したのだと思います。
 
さて、私は日本にいるときから運転免許証を持っていなかったので、ニューヨーク州の運転免許証の取得にチャレンジしました。日本と大きく違うのは、日本であれば自動車教習所に通うのですが、アメリカではそれがありません。あるのかもしれませんが、それに通わずに免許が取れます。始めに通称DMV(Department of Motor Vehicles)において、自動車運転に関するペーパー試験を受けます。現在は、DMVに行かなくてもインターネットで受けられるかもしれませんが、私がニューヨーク州にいたころはDMVの窓口で受けました。ペーパー試験の過去問がネットを探せば見つけられるのでそれを一生懸命勉強しました。当然、英語の問題です。英語が苦手な場合、大きな町に行けば日本語での試験問題もあり、それでペーパー試験の合格を勝ち取ったという話を聞きましたが、当時私は、自動車で大きな町まで行くことができなかったので英語の試験にトライしなければなりませんでした。幸運なことにペーパーテストは1日数回受けられ、私は幸運にも1回でペーパー試験を合格することができました。この段階で写真を撮って、視力検査を受けて問題なければ、仮免許証(Learner Permit)が交付されます。ここまでで支払った金額は50ドル(約5500円)ぐらいです。次の段階は実技試験ですが、その日には行いません。仮免許証が交付されたので、自動車の運転の練習をします。この場合、助手席に運転免許証を持ている人に乗ってもらうと路上で運転んの実技練習ができます。私は自動車を全く運転したことが無かったので、友人を見つけては大きな駐車場まで車で連れて行ってもらい、そこでその車を私が運転して練習を繰り返しました。慣れてくるとほとんど車が走らない路上で、さらに慣れてくるとそれなりの交通量があるところでと技術を上げていきました。この段階で実技試験の予約を取って、実技試験の準備を始めます。実技試験は助手席にDMVの試験官が乗った形で路上で行われます。路上試験を行うルートはいくつかありますが、路上試験を受けた人に聞いてみるとおおよそのルートと課題がわかります。その試験用のルートを用いて練習することもありました。噂によると同様のことを考える人が多く、試験用のルートで練習していると、パトカーに注意されるということがあるそうです。試験当日は、運転免許証を持っている人に車を運転してもらって試験場所に行き、そこで 15 分ごとに試験が行われます。試験を受ける車が縦列駐車しているので、それにつながって駐車して、試験の順番を待ちます。

ここでの注意点ですが、駐車している段階で試験を受ける人が運転席に移ってしまうと、試験官からここまで来るのに試験を受ける人が運転してきたのかということを指摘され、試験がキャンセルになるということを聞いたことがあります。試験の順番が来て試験官が乗り込む段階になって、ようやく運転免許証を持っている人が車を降り、試験を受ける人が運転席に乗ります。この時、試験官が付き添いとして車を運転してきた人の免許証を確認します。そこで、運転免許証を忘れたなどということになると、またこれが問題となって、試験はキャンセルになります。私の場合朝の試験だったので、付き添ってくれる人を見つけられずに、運転免許証を取得して1週間しかたっていない人に付き合ってもらったので、ちょっとトラブルというか、注意を受けましたがどうにか試験を受けることができました。
 
試験が始まると、試験官から指示を受けながら自動車を発進させます。日本でも同様だと思いますが、発車時の安全確認は十分に、大げさにやってきちんと確認しているということをアピールするというのが、これまでに試験を受けた方からのアドバイスでした。ミラーの位置の調節やサイドミラーの確認は指差し動作で、思いっきりオーバーアクションで行います。後ろから車が来ないかを後ろを見て確認しますが、これも通常はちらっと見る程度ですが、ここではオーバーアクションで指差し確認で行ってみました。聞いた話ですが、試験官は、ダメなところをチェックしていくので、この段階で試験官が何かに書き物をしているようなしぐさがあれば、減点されていると考えた方が良いということです。自動車を発進させた後、試験官がそこを左に曲がれ、右に曲がれというように指示してきます。試験官の指示に従って、路上駐車、Kターンなどをやらされます。一通り終わった後で元の位置まで戻ってきて、結果発表です。何とか一度で合格することができました。試験を一度で通過するもは難しいと言われていましたが、これまでの経験者の方のお話を参考にし、練習に練習を重ねた結果、努力が実を結んだのだと思います。日本でかなり自動車を運転してきた人あるあるですが、10年以上運転してきたのにアメリカの実技試験で落とされたというような話をよく聞きました。これは、運転に慣れているため、後方確認をちらっと見るだけであったり、いつの間にかいつもの癖で片手でハンドルを操作していたりすることが減点の対象になっているようです。この後は車の購入、ナンバープレートの登録といった段階に進んでいきます。


自動車の取得

運転免許証を取得できたのでマイカーを持つことが次の関門です。私は、中古を持つか、新車を持つかで悩みました。そのため、中古車購入と新車購入の両方を検討しました。まずは中古車の検討の話をします。上述したようにcraigslistなどいろいろサイトに売りたい、買いたい情報があります。それらをチェックして、売りたい相手にコンタクトして車を見せてもらうということを行います。この時のチェックポイントは、私も初めて知ったのですが、自動車を自動車整備工場などに持って行って、車体番号から事故履歴、自動車のチェックからこの先どのような修繕が必要となってくるかを50ドル程払って確認してもらうことです。日本でも行うのかもしれませんが、海外では購入した後のいろいろなトラブルを避けるために第三者の客観的な見解も必要になってくると思います。日本人の場合1年間の留学なので、安い車をあまり手間を掛けずに購入して1年後の日本に帰国するときに売る、というようなことを気軽にやっている人が多く、日本人の間で代々売り渡されているという車の話を聞きます。中古車は個人間の売り買いだけでなく、中古車を取り扱う会社もあり、そこに行って試乗もさせてもらいました。運転免許証を見せてIDを控えさせると、中古車会社の人が付き添わずに試乗できるので、購入しようと考える自動車は自動車整備工場などに持って行って意見を聞きます。中古車を検討しましたが、ちょうどアメリカの企業に就職することが決まっていたので、長く使う、故障してどうにもならないことを避けたいということを考えて、新車の購入に舵を切りました。
 
私は自動車運転の経験が無かったので、あまり大きな自動車を運転したくないなと思っていました。日本車でいうとホンダのフィット、トヨタのヤリス、スズキのスイフトなどの小さな車です。アメリカではこのような小さな車に乗る人は少ないので、新車としてこれらの車を手に入れるのが難しかったです。友人に頼んでそれなりの大きな街に見に行ったりしました。その中からスズキのイグニスのアメリカ版のような自動車を購入しました。ナンバープレートの登録などは、苦労した思い出が無いので、多分、購入した自動車販売店が行ってくれたのではないかと思います。ニューヨーク州からカルフォルニア州に移ってきたときに、もう一度、カルフォルニア州の運転免許証を取得しなければなりませんでした。この場合、実技試験はなく、ペーパー試験とナンバープレート取得にDMVに行きました。ペーパー試験は難なく通過しました。次にナンバープレートを貰うときに自分の登録する自動車をチェックされます。そのときいかにも怖そうな係官が出てきてフードを開けろと言われました。車に詳しい人ならわかるかもしれませんが、私は分からず固まっていたところ、“ここだよ!ここ”というようにボンネットをバンバンたたいたので、私はようやく理解することできました。どうも車体番号を確認したかったようで、確認ができたらすぐにどこかに行ってしまいました。いやー怖かった。少し待つと窓口で呼ばれ、無事にカルフォルニア州の運転免許証と車のナンバープレートを受け取れました。私は何も知らず、もらったナンバープレートを付けようとしたのですが自分では付けられず、どうしようかと悩んでいました。このままニューヨーク州のナンバープレートを付けてても大丈夫だろうと思い、そのまま帰路につきました。家について、ナンバープレートの取り換えに思案しましたが、よくわからないので、翌日会社の機械部門に行って相談したところ、特別な工具が無いと取り換えができないということで、自動車整備会社に行くようにアドバイスされました。お昼の休憩時間に自動車整備会社に行って、無事交換してもらいました。外したニューヨーク州のナンバープレートを捨てるか、持って帰るかを聞かれましたが、捨てておいてと言って置いてきました。今考えると、私の初めての車の、さらにニューヨーク州のナンバープレートなので記念に保存しておくべきだったかなと思っています。目前の問題が解決すると、それにホッとして深く考えなくなるんですね。
 
最後に帰国の時に自動車を売った話をします。購入した新車を2年後に売ることにしました。購入の時とは逆に、売る立場となってネットのいろいろなサイトに広告を出しましたが、安心して売ることができるようなコンタクトが無く、中古車買い取り業者に売ることを考えました。いろいろな会社に自動車を持ち込んで、いくらで買ってもらえるかの見積もりを取りました。最終的には、日本の会社であるガリバーがロサンゼルスの中心部にあったので、そこまで行って見積もりを貰い、満足が行く金額だったので売る契約をして、一旦、自動車でアパートへ帰り、日本に帰国する直前に引き取りに来てもらいました。2年乗ったにしては、新車の時の金額と比べて大きく値段が落ちなかったので、2年間事故が無かったことを感謝し、マイカーとお別れでした。後日、私の銀行口座にお金が振り込まれたことを確認し、アメリカでいろいろあった自動車の運転の苦労話は幕を閉じました。


独特な交通ルール

アメリカで自動車を運転して気が付いた独特なルールや紳士協定をいくつか紹介します。まず一つは、赤信号でも右折OKです。日本で言うと、赤信号でも左折OKです。このルールに気が付いたのは、友人の車に乗せてもらった時です。日本の場合、赤信号では、絶対に信号を無視することができません。しかし、アメリカでは、場合によってはOKです。それが右折の場合です(日本で言うと赤の交差点での左折)。アメリカの場合右折した車線に危険が無ければ、自己責任で行けます。私はこのルールが非常に嫌でした。結構、交通量の多い交差点でもこのルールがあるために、タイミングを崩すと事故になってしまうような場合でも、同様に右折しようとする後続車からプレッシャーを受けることがあるからです。慣れないときには、後続車が私を追い越して、交差点を右折していったというような屈辱を受けたこともありました。

アメリカ赤信号での交差点のルール(図の走行車線は日本式。日本では絶対にやってはダメです!)

二つ目のルールは、交差点での目での合図で譲り合うということです。日本でも信号のない交差点は数多くありますが、アメリカでは日本ほどありません。交差点では、始めに交差点にある停止位置に入ったものが優先して、交差点を進めるというルールになっています。
 
日本では、交差点の入り口の路上にSTOPの標識があったり、停止線が書いてあったりしますが、アメリカの場合、図のようにSTOPと書いてある標識が掲げられています。時々、木の枝葉などが邪魔して見難く、気が付いて急にブレーキを踏むということもありました。アメリカ人は、自己主張が強いので交差点でも強引に交差点を通過するというイメージかもしれませんが、意外と、公共の場では、皆さん優先権を守っています。しかし、何かが有ってはいけないので、私はそれでも自分に優先権が来てもそっと交差点に車を入れて、どこからも追突されないように十分に注意していました。

アメリカでのSTOPサインの例

三つ目は皆さんもご存知の自動車を駐車するときにバックして駐車する(日本人風)か前進して駐車する(アメリカ風)かです。アメリカでは、バックして駐車しているのをほとんど見ません。やっていたら奇妙がられるかもしれません。日本のように駐車の場所に停止用の石などが無いので、アメリカ人があれをやったら、他の車に追突する、お店に突っ込んでしまうようなことを起こしてしまうと思います。一方で、縦列駐車は得意ではないかと思います。アメリカやヨーロッパの都会によく見られますが、自動車の駐車は路上駐車が多く、よくもここまで詰めて駐車ができるなというようなものも見られます。どうしても必要な場合には、精密にやってのけるというのは、どこの人でも同じなんですね。

街中での路上縦列駐車

次は私の体験でなく、ヨーロッパからアメリカの大学に滞在していた方の話です。日本でも、アメリカでも同じだと思いますが、自動車を運転しているときに、警察のパトカーに停止させられることがあると思います。アメリカの場合、停車させられたら、自動車のハンドルに両手を出して、警察官の指示に従うということになっています。その方は、自動車を停止させられてカッと来たのか、自動車を降りて、何で私が停車させられるのかと言ったら、警察がその方に拳銃を向けたというような話です。アメリカでは運転手が拳銃を持っている可能性があるので、ルール破りのことをすると、拳銃が向けられます。この方はすぐに両手を上げ、完敗状態の態度を取ったそうです。警察に止められても冷静にという教訓ですね。車の停車と言えば、アメリカにはスクールバスという黄色のバスがあります。このバスがのろのろ走っているからと言って、追い越したり、停車しているときに変な行動をしたらかなりの確率でつかまります。スクールバスをみたら、行動を慎むことが必要です。私は一度も会ったことがありませんが、注意すべきアメリカでのあるあるです。

スクールバスの停車場面

最後に歩行者側からの体験談を一つ、皆さんご存知のように日本では車は左側を走行し、アメリカでは右側を走行します。道路を横断するときに、右見て、左見て、また右見て、安全なら横断ですが、アメリカでは、左見て、右見て、左見て横断になります。この見る順番は、道路を渡るときに自分に近い側の車線から見ており、これは長く生活してくるとどうしてもそうなってきます。日本で長く生活してきた人がアメリカで生活する、あるいはアメリカで長く生活してきた人が日本で生活するときには、この習慣を修正する必要が出てきます。つまり、元のところの習慣で車が来るかどうかを確認しているので、自分に近い側の車線に車が来ているかどうか確認できていないからです。アメリカから帰ってきたとき、左から見る習慣が抜けず、自分の最初にわたる車線をあまり見ずにわたり始めてしまって、危うく自動車にひかれそうになりました。皆さんも気を付けてください。

◀第三章 住宅・保険・食事    第五章 お金・仕事▶

松本 太
工学部・電気自動車専用リチウムイオン電池、燃料電池