見出し画像

なぜ田舎にやってきた(移住した)のか?その2

40代に入るちょい前に、新しい会社の立ち上げに参加したところまでを前回に書きましたが、周囲にも恵まれて、それなりに仕事もうまくいってました。

若いころは趣味に時間を割くこともせず、仕事も楽しみながらできていたと思いますが、少しづつ余裕もできてくるとクルマ(旧車いじり)、自転車(ロードバイク)、スポーツ(とくにゴルフ)とか楽しくなってくるわけです。

そして「先では千葉とかに引越して自転車やゴルフを楽しみたいなー」とか思いはじめます。
おまけに子どもの頃から「山の中のおじいちゃん家」に行っていたので田舎への耐性はついていたから地方に対するアレルギーもなかったからだと思います。

そんなことを思い描きながら、転機は2019年に訪れました。
ずっと現場が好きで、束ねる立場になっても現場にこだわりをもっていたんですが、第一四半期のはじまる前にバックオフィス中心で見てほしい、ということになるわけです。
それなりに実績は残しているつもりだったんですが、そんなもんなんです。
ただバックオフィスのことも兼任ではやっていたので、役割がかなり減るわけです。
つまりヒマになっちまったんです。
これは実にこたえました。
音楽アーティストと共に何か作りあげるというのは、会社員ながらも属人性を伴う仕事という自負もありましたから。
それをある意味「否定」された訳です。それも50代に入ろうかという時に。

そんな感じで夏を迎える直前に実父が兵庫県の自分の生まれ育った家(今わたしが住んでる家)で亡くなりました。

亡父はこの田舎町で生まれ育ち、20代なかばまでこの農村で祖父と農業をやってましたが、祖父はこの町の将来性の不確かさを懸念して大阪での就職をすすめたそうです
なので父の生活は大阪が中心になって、結婚、わたしと妹が誕生して、まとまったお休みがとれると4〜5時間かけて車で遊びに行く、そんなスタイルでした。父の定年とともにこの田舎での生活は色濃くなっていき、在来工法の古民家をコツコツ直しながらおかんと共にある意味「悠々自適」に楽しそうに暮らしていました。

急死でした。ガンも2度患いましたが、定期検診の甲斐もあり、いずれも早期発見によるサバイバーでした。でもあっけなく心筋梗塞で逝きました。

それからしばらくツキイチで東京から豊岡に掃除をしに通いました。頑張っても2日間くらいしかいれないので風通して、掃除して、草刈りしてを半年ほどやってました。

そして2020年になって、あの未曾有のパンデミックが訪れるのです。亡くなる人も多数いましたが、大きく人生が変わった人はたくさんいるかと思います。そういう意味では、わたしもわたしの家族も翻弄されたり、悩んだりさせられました。

2019年〜2020年のいろんなことは、「自分自身に何か変化をつけたい」と思わせるには充分な要素でした。コロナが蔓延する直前に会社を退職する気持ちはほぼ固まりました。そして起こったロックダウン。急激な世界的な感染。仕事はもちろん右肩下がり。みんなそうですよね。
さすがにあの状態で「辞める」という言葉は口にできなくなりました。

そこからはとにかく業績の回復に努めるしかなかったですからね。
そして、2022年になって沈静化も進み、会社の業績もほぼビフォーコロナに戻りつつある秋ごろ、やっと退職の意向を会社に話し「1年後」の退職タイミングのお許しを得ました。創業メンバーでしたので(社長ではありません。執行役員で退職しました)わたしだけが把握できているお客様なども多数いました。その引き継ぎに一年の期間を設定することになったのです。

この辞意の表明と、亡父の故郷に住もうという決意は同じタイミングでした。
きっかけは人に言うと「そんなことなの?」と言われるかもです。

「田舎の家を維持したい。家族が楽しいと思える場所を残しておきたい」がきっかけでした。

そして、兵庫と京都にまたがるこの場所のことを調べ、北近畿のことに興味をもち、自身の子どもの頃のあの田舎のワクワク感を引き継いだりできないものか?なんて考えるようになりました。

もともとわたしもカミさんも大阪の人間です。仕事もひと段落したら関西に戻るつもりはもともとあったんです。

カミさんには早い段階から相談してきましたが「子どもたち(長女と長男)もほぼ独立してくれたし、会社辞めて豊岡に住んで、あそこの町に寄り添ってオモロい街になるようなことしたいねん。まだあの町の実体見えてないからまず住んでみる。知り合いも一人もおらんから半年から一年くらいは動き出しに時間かかるけどかめへんかな?」って聞くと、「いいんちゃう?あなたの人生、悔いないようにだけしなよ」って軽ーく(笑)そして、
「せやけど、ウチら(子どもら)は東京におるで」と。もちろんそのつもりでした。
でもね、心底救われた気分でした。かるーく背中押された気がして。

わたしは豊岡市の但東町という町に魅力を感じて、そこにチャンスがあると思って行くわけです。たまたまそこにルーツがあった、というだけてす。

きっかけは「家」でしたが、この「消滅集落」に住む人たちを知ったり見たりしてると、なにかオモロいことを一緒にできそうな予感がしたんです。

当てははずれてるかもしれません。
ただ、何もチャレンジせずに諦めるのはもったいない、と考えるようになりました。

そりゃあしんどいこともあります。それはどこだって同じ。
ワクワクを感じる瞬間が毎日一回でもあったらそこの生活に合ってると思うんです。

「まだなにも成し遂げていないうちから何言うてはるねん」とお思いかもしれません。

でもね、飽きないんですよ、田舎が。刺激的でね。ちょっとした気持ちの持ちようで楽しくなりますよ、ど田舎(^ ^)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?