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未知との遭遇あるいは「無知」との通報

 健全なる中高生は悉く「なおざり」という語を知らぬから、いちいち「古文単語」として意味を説明せねばならぬ。その際に吾輩は大いに嘆息して、「諸君らは超現代人でありもはや現代人とは言えぬ存在であるから知らぬのも無理はないが、なおざりの如き語は単なる現代語であって本来ならば格別の注意を以て記憶すべき語ではないのである」と説教することになり、思春期に手綱を握られているうら若き眼の中に異邦人に声をかけられたかの如き当惑の色を浮かばせることになる。そしてそういうときはきまって、「古語ではとんと見かけぬがなおざりはおざなりと殆ど同義といってよいから、古語としてなおざりを記憶せねばならぬ憐れな諸君は、おざなりの古語版がなおざりであると記憶するのも一興である。そのように理解したとて文句を垂れるのは明鏡国語辞典の編集者くらいのものである。もっとも諸君は超現代人であるから、おざなりという語とも初対面であるのだろうが……」と続けることになり、失笑を買ってしまう。

 そんな悪趣味なことを生業として糊口を凌いでいると、つい先日「なおざりは全く聞いたことないけど、おざなりやったらわかるわー」という現代人でも超現代人でもないUMAに遭遇した。UMAは「おざなりは、おざなりにしたらあかんでー、とかでよく言うけど、なおざりは全然言わんわー」などと日本語によく似た新言語を口にする。

 呆気にとられた吾輩は、「おざなりを日常の言語として使用する程度の語彙感覚を有しておるなら、なおざりもおざなりと同じような語であろうという類推は出来ぬものか」と詰問するのだが、UMAは、「えー、全然気づかんかった。てか、おざなりとなおざりて全然違うやん。似てないから、同じような意味かも、なんて思わへんってー」とあっけらかんとしている。

いったい「なおざり」と「おざなり」が似ているという感覚を持たぬ者がこの世に存在するのだろうか……こやつ、UMAかと思われたが、あるいは明鏡国語辞典の間者であり誤用公安の幹部候補生であったのかもしれぬ。やつらはどこに潜んでいるのか分かったものではないのだ。

あまりに理解不能な人種に遭遇した吾輩は、かかるうがった見方にとらわれてしまった。

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