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【退職エントリ】新卒入社したワークスアプリケーションズを21年5月に退職しました

はじめに

今年2021年5月にワークスアプリケーションズ(以下、ワークス)を退職しました。新卒で入社し、大手企業向け新規営業を約4年間。短い期間でしたが、ワークスで4年間は本当に本当に濃密な時間でした。途中、何回も心が折れ、何回も辞めようと思いましたが、毎日は大変に刺激的で強烈で、今振り返ってもワークスに新卒入社に入って本当に良かったなと思います。

現在私は、BlackLineという外資ITに転職しインサイドセールスの立ち上げみたいなことをしています。

退職エントリを書くかどうか迷いましたが、一つの区切りとして形として残す為に、あとは元ワークス人材としてのプライドと自負を忘れぬ様、初Note投稿します。とカッコつけてますが、半分以上は「退職エントリって、何かカッコええやん、いつか書いてみたい」という自己満ですw

おそらくこのNoteを見て下さる方は、私の知り合いか元ワークス社員、またワークスに関連していた方々かと思います。2017年4月~2021年5月までの短い期間ですが激動の期間でもあり、元ワークス社員の方々に「エモい」気持ちをお届け出来たらと思います。

では、早速。

<目次>

1.ワークスアプリケーションズという会社

2.ワークスでの前半戦(会社分割前の2019年まで)

3.ワークスでの後半戦(会社分割後の2019年以降)

4.新卒でワークスに入社し良かった点


1.ワークスアプリケーションズという会社

ワークスの事をあまり知らない方向けに、簡単に会社紹介しておきます。一言でいうと、凄く「チャレンジ好き」な会社です。

「チャレンジ好き」という雰囲気を正しく伝える為に、ワークスの事業の成り立ち/商売のエリアを簡単に簡単に紹介します。

大企業に勤めている方やIT業界にいらっしゃる方には伝わるかもしれませんが、ワークスは「ERP」というソフトウェアを自社で作り自社で直販しているITベンダーです。

はい、これだけでは言っているようで何も言ってないのでもう少し書きます。創業は1996年。同じIT業界としてDenAやサーバーエージェントと同じようなタイミングに始まった会社です。

ERPというのは、Enterprise Resource Planningの略語で「統合基幹系システム」です。一言でいうと企業活動の根本である「ヒト・モノ・カネ」のデータを一元的に管理するるでっかいITシステムです。

製造業で例えます。原材料を買ってきて、加工して、在庫管理をして、得意先に販売して、という企業活動の「モノ」の動きを全てを管理します。続いて「カネ」ですが「モノ」のが動きに連動してお金は動きますから、債権債務管理を中心にお金の入出金を管理します。並行して企業活動を正しく認識し「決算書」として数字を出せるように、”仕訳”という形でERPにデータ保管していきます。最後に「ヒト」ですが「モノ」と「カネ」を動かす為に人材はもちろん必要で、例えば常日頃の出退勤情報やら昇給昇格情報やらを人材情報もERPの中に一元的に管理していきます。

100人単位の会社であれば、上記の管理は何とかマニュアルでカバーできることもありますが、大企業は上記の管理は超大変です。毎月、数百億円もの製品を作り販売し、何万レコードの債権を回収し、数百億円もの現在料代を支払って、何千人もの従業員の情報を管理し、、と果てしないので、多くの大企業が「ヒト・モノ・カネ」を統合的に管理することに特化し開発された「ERP」というシステムを導入しています。

企業がERPシステムを導入するには、大きく分けて2つの選択肢種類あります。自社で全部オーダーメイドで作るか、ありものの「パッケージ製品」を導入するか、の2択です。そしてどちらの選択肢をと取るにせよ、少なくとも何十億円、何百億円というお金が動く代物です。

ワークスはこの「ERPパッケージ製品」を創り、提供しています。

(なお、ここまで、全然序章ですが、長いですよね、、お付き合い下さい)

ここからが本題です。

何故、ワークスの創業者が約20年前にこの領域で起業したのか。この点において、私は大変ロマンを感じ、私は入社しました。

上記に二つの選択肢を書きました。オーダーメイドで作るか、「パッケージ製品」を導入するかです。20年前、大企業に導入可能な「パッケージ製品」は海外製のモノしかありませんでした。SAPかOracleです。ERPの歴史を作ったのはSAPですが、ドイツの会社でグローバル売上3兆円くらいの超ジャイアント企業です。本当に凄い会社です。そしてSAPの方々は超優秀。Oracleはアメリカの会社ですが同じく超巨大企業です。

海外製のパッケージ製品を日本企業が使う際の問題点は「そのままでは使えないこと」です。ドイツの企業がSAPを導入したら、もちろん最適化されたパッケージ製品なので殆どの場合は追加開発せずそのまま使えます。

一方、日本の商習慣は海外の商習慣からしたらイレギュラーが沢山あり、そのまま使えません。

その為、日本の大企業がERPを整備する際の選択肢は実は下記しかなく、この構図は現在も変わっていません。

1.本当に全てオーダーメイドでゼロから作る。

2.海外製のパッケージ(SAP or Oracleなど)をベースに、追加で改修工事を行い使えるモノにする。

という2つに限られます。どちらの選択肢を選ぶにせよ、とんでもない金額がかかります。海外の企業がSAPやOracleを導入しERPをそのまま「安く早く」使える一方で、日本の大企業はとっても高い金額がかかります。

こういった文脈もあり、日本のIT投資効率は先進国の中でもワーストレベルで低く、また生産性も低いという長年の産業構造があります。そしてこれらを打破すべく、経済産業省が「デジタルフォーメーション(DX)」と銘うって改革に乗り出した、という文脈もあります。

ワークスのアプローチは、3つ目の選択肢を創ることです。つまり、「日本の大企業が、そのまま使えるパッケージ製品を創ること。要は”日本発の大企業向けERP”を創ろう」という理念で始まった会社です。この事業を通して、日本の大企業の情報投資効率の向上に寄与しよう、とメッセージングです。どうです、ワクワクしません?

とっても長くなりましたが、上記の文脈で約20年前に始まった会社ですのでとっても「チャレンジ好き」という雰囲気が伝わったと思います。

まず最初に人事領域の日本発ERPパッケージの開発に乗り出し、大企業向け市場での人事領域パッケージ製品シェアでは見事SAP / Oracleを抜いて、No.1を獲得することになります。JASDAQにも上場しました。そして、本丸の「カネ」の領域と「モノ」の領域の開発が本格化してきたタイミングで、私は入社しました。


2.ワークスでの前半戦(会社分割前の2019年まで)

会社分割、については公表されている書ける範囲でかきますが、先ずは入社し約2年間の思い出を書きます。思い出を括ると2つです。(退職エントリぽくなってきましたねー!)

 ①地獄の1年目   ~ひたすらの新規開拓で大企業開拓の筋肉作り~

 ②少し花咲いた2年目前半 ~大型PJの海外会計PMO~

それでは「①地獄の1年目」に行きます。

1年目、約半年の初期研修の後「BI製品の新規営業部隊」に配属になりました。はい、not ERPです。

プラスαで、色々大人の事情も重なって今までワークスが営業対象としなかった「中小企業」の開拓、ということで、上で書いたような「大企業」でもなければ「ERP」でもない超イレギュラー部隊への初期配属でした。

※ちなみに、同期はグローバル含め700人程度で社員数急成長のタイミングで、”大企業の初期配属”という命題を身をもって知ることとなります。

結果論ですが、初期キャリアがこの部隊で本当に良かったです。

1.BI製品ということで、ERPと比べると単価は低く数千万円程度。

2.中小企業ということでリスト数(テリトリー)は圧倒的に多い。※中小企業といっても、売上100億~500億程度の会社ですが。

この2点が、初期配属の私には大変恵まれた環境でした。

同期で「大手ERP販売部隊」に配属になった花形キラキラ系部隊にいった人達は、先輩達の商談に同席し議事録を書いてダイナミックに動く大型商談を見てテンション上がってましたが、一方この部隊で私が何をしていたか、というと本当にひたすらテレアポです。但し、テレアポと言っても「とりあえず数をかける」という労働集約型でなく、1社1社完全にオーダーメイドで電話の内容を作っていました。(これが逆にきつかった、、)

売上100億~500億の企業群、私は200~300社程度を担当していました。それらのIT部門長や取締役に電話で面会依頼を行うのですが、もちろん「ワークスです。会いましょう」なんて言っても聞く耳持たずですから、「何故あなたに、今、ご連絡し、お会いするとどんなメリットがあるのか?」を全てwordに記し、また考えうる全ての想定問答集を作り、マネージャーの許可を経て電話を掛ける。ということを何百社と行っていました。1社かけるのにA410枚弱の想定問答集は作っていました。電話先の有価証券報告書やら中期経営計画やら、ネット上で拾えるものは全て情報を掴んで、「why you?why now? why ワークス?」の情報を作り上げていきます。そして当時は、激詰め文化でしたので、イマイチな準備だと相当に詰められるという毎日でした。

今振り返ると、現在はマーケ手法で市民権を獲得している「ABM」で、またSalesforceのインサイドセールスのような動きですね。

上記のように1社の取締役に電話をかけるために相当の準備を行い臨むものの、結局つながらない、というのが約9割でした。これが本当に心折れてましたし、暗黒時代でもありましたw

これらの経験を経て、私は図らずとも「大企業の開拓の下地作り」を形成頂いた一方で、当時はどんどんと落ち込んでいきましたw

 (もっと色々残念談は書けますが、ここで終了。)


②少し花咲いた2年目前半 ~大型PJの海外会計PMO~

そんなこんなしているうちに組織改革が起こり、本当にたまたま運よく何故か「大型プロジェクトERP提案プロジェクト」のチームに異動になり、その中で”海外会計PMO”にアサイン頂く運びになります。はい、謎です。

社内でも相当注目された副社長直下のプロジェクトで、グローバル10か国のERP総リプレイス提案。大手上場企業。私はその中の「海外会計」において、ワークス製品導入によりどのような期待効果があるか?どのような導入ステップになるのか?という、所謂アクセンチュアなどのITコンサル会社のシニアコンサルが行うようなことを、任せて頂きました。(業界用語だと、フィジビリティスタディですね)

具体的には、グローバル10か国の各国の経理部長と何度もWeb打合せを行い、現状問題の可視化/ワークス製品導入に伴う改革イメージの擦り合わせなどを、外部のシニアコンサルと共に何度も行い、何百枚ものペーパーを提出するという、大変に有難い機会に恵まれました。

当時は結構なハードワークでしたが、毎日が刺激的で一番最初に書きましたが「日本発のERPを作り、日本企業に”そのままの形で”パッケージを利用してもらう」というコンセプトを、本当に最前線で折衝でき、そして顧客からも大変に求められていたという、ワクワクポイント1000%の環境でした。

そして、それらの提案を終え、本プロジェクトは約1年弱で着地し、このチームは解散となり、私は首都圏営業に戻り、大企業向けERPパッケージ製品の首都圏営業に従事する運びとなります。

3.ワークスでの後半戦(会社分割後の2019年以降)

そんな中、まあ色々なことがあり会社が二つに分かれることになります。シェアNo.1をとっている人事向けパッケージ事業を、ベインキャピタルに約1,000億円で売却し、その売却益を基に、改めて「カネ」と「モノ」を扱うパッケージ製品の開発/販売に注力する、という趣旨で会社が二つに分かれました。以下が、ワークス社が当時発表したニュースリリースです。

※売却額1,000億円は既に他メディアで出ているので敢えて書いております。

売却先に行くか、ワークスに残るか。2つの選択肢がある中で、私はやはり「日本発のERPを創る。ERPの一番のボリュームゾーンは”カネ”と”モノ”を扱う領域の為、ワークスに残り出来ることをする」と決心し、残り2年を歩むことになります。

ここから働き方が、ガラッと変わります。

分社前は、営業組織でもグローバル含め何百人といた為、多くの階層がありました。主に仕事で接するのは営業のマネージャーで、何十何百という大組織を率いている部長格(ワークスではVPという役職でした)は雲の上の存在でした。

分社すると、営業組織の若手は基本売却先の会社に異動。営業の部長格以上はワークスにてもう一度奮起する、という構図でしたから、何十何百の営業組織を率いて、人事シェアNo.1に貢献してきたレジェンド級の部長格が、なんと半数以上いるのです。はい、相当ラッキー環境です。

そんな「ほぼ部長格」の営業組織に、数少ない若手の一人ですから、毎日が学びしかなく、そして毎回の商談で部長達の圧倒的パフォーマンスで驚かされるばかりの2年間でした。(詐欺師のような場のコントロール、相手をファンにさせるトークの引き出しなども目の当たりにしました)

一方で、分社や業績不振や創業者牧野さんの退任などに端を発し色々な問題も起きてくる時期でもありました。私が1年くらいかけて通い、2億円程度のERP提案で受注間近の企業も、業績不振がきっかけで失注した経験もあります。正直会社の”意義”みたいなものを考える時期もありました。

ただ、一つ。このワークスアプリケーションズが成し遂げようとしていた「日本発のERPを創り、パッケージそのままで使える製品を提供する。それらを通して日本企業の情報投資効率を向上させる」という理念は本当に揺らぎなく、そして私はそれが達成されるべき、と心の底から思うようになりました。「ワークス、ここにあり」と改めて認知を広める必要がありました。

その為に、マーケティング部門に兼務させてもらいマーケティングオートメーションの導入に携わり、営業プロセス改革に従事したり、社長直下の半年程のタスクフォースチームに営業としてアサイン頂き今後の営業戦略を練ったりと、色々なことをしました。

色々やった結果、「新規受注こそが、”ワークスここにあり”という狼煙に繋がる」という結論に自分としては至り、新規受注という結果にコミットするラスト1年を過ごすことになります。

結果、トヨタ子会社からの新規受注を頂き、見事社長賞の授与も頂きました。

以下がそのプレスリリースです。

 4.新卒でワークスに入社し良かった点

ここまで、徒然なる駄文長文失礼致しました。

ワークスに新卒で入社し、良かった点を挙げれば本当に沢山のことが挙げられます。

1.喧々諤々と提案方針について議論しぶつかり合い、背中を合わせられる同僚/先輩/後輩と出会えたこと。

2.分社後2年間は、高いレベルでの案件状況共有、今後の営業方針の言語化が強烈に求められる2年間だった為、シンプルに鍛えられた。

3.大企業のCxOを相手に、多くのプレゼン機会を経験できたこと。

4.大企業向けの高額法人営業のイロハを知れたこと。(未だ未だひよっこですが)

本当に色々とあり、夫々にその時々のオフィスでの場面が目に浮かんできますが、一番ワークスに入って良かったことは自分の「ワクワクポイント」をしれたことです。

ワークスで一番ワクワクした瞬間はやはり「日本発のERPを創る、ということに直接的に自分が接せられている時」でした。その時は本当に大変楽しく激しく働いていました。イメージは、情熱大陸で語れる熱量を持って、他人からフォーカス貰えるような仕事をしている時です。

深層心理でいうと昔から変わらず「目立ちたい」というモノかもしれませんが、働くにあたって上記が自分にとって重要なんだな、と4年間を通して感じました。

そして4年間走り抜けた結果、もう少し小さくEarly Stageのワクワク企業で仕事がしたい、と思うようになりました。


21年5月からは、ワークスを退職しBlackLineという米国系のITベンチャーの日本法人立ち上げに従事しています。

BlackLineのワクワクポイント2つで

1.今までIT化できていない領域を初めてシステム化しSaaS提供している点

2.アメリカではNASDAQ上場しているが日本市場ではまだまだ無名であり、これから垂直立ち上げを行う点

どうです、ワクワクしません?

ということで、ワークス4年間の退職エントリでした。

最後に、ワークスアプリケーションズという会社に心より感謝申し上げると共に、同社の今後の更なるご健勝をお祈り申し上げております。いつまでも大応援団です。

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