マクロはミクロの集合体〜スシロー醤油舐め事件について思うこと〜

最近、スシローで醤油さしを舐めた高校生が炎上していますね。「スシローペロペロ事件」なんて呼び方をする人もいるらしいですけど。岐阜県の高校生が起こした事件で、どこかに投稿したのかな?炎上して、一時スシローの時価総額は170億円暴落したらしいです。調べてみたら、2022年の10月あたりの方が株価もっと低かったやろ、と言いたくならないわけではないですが。

さすがにスシローの運営会社も黙っていないようで、民事・刑事双方で責任を追及するとかなんとか。これはおそらくスシローだけの問題ではなくて、回転寿司業界全体の信頼に関わることなので、徹底的にやると思います。実際、他の回転寿司チェーンの株価も巻き込まれたのか、かなり落ちていますから。

私は、上記のスシローの対応は当然のものだと思っているのですが、世の中の反応はさまざまです。たとえば、「子どものしたことなのだから」とか、「バイトテロとかおでんツンツンから10年近く経ったのか」とか、「飲食店の安全のためにも徹底的に対応してほしい」とか、「未来ある若者なのだから」とか。冷蔵庫の中に入ったツイートのやつ懐かしいな。懐かしくあってたまるかって話ですが。

その中で、2月6日午前1時頃、ウーマンラッシュアワーの村本さんが次のツイートをしました。

まあ当然のことながら、数多くの反論があったのですが、このような考え方が、何を見ていて、逆に何を見ていないのか、をはっきりさせておく必要があります。

何を見ているのか

についてはわざわざいう必要もなさそうですが、加害者となった高校生とその家族です。

私はテレビを持たない生活をしているため、マスメディアにおける報道の論調は知らないのですが、ネットニュースを見る限りでは多数の記事が加害者である高校生にフォーカスを当てているっぽいので、1番メディアが見せたいものを見せられて納得して逆張りしているように思えます。彼のイメージがまさにそれなので、イメージ通りとしか言いようがありません。

何を見ていないのか

むしろ前述の「何を見ている」かよりも、こちらの方が問題だと思っています。では、彼は何を見ていないのでしょうか。

1番は明確に「会社に損害が出ていること」です。もちろんですが、今回の件で株価が下がったり、飲食関係において大事な衛生面を保証するために従前では必要なかった対策を取ったり、損害が発生している、もしくは余計なコストがかかる、という事実があります。そういった損害が明確に発生しています。

でも、それで済む話かと言われると、そういうわけでもありません。というのも、今回直接損害を受けたのは会社ですが、しかし、会社は1つの実体であるだけではなく、さまざまな社会的要因が絡み合った存在だからです。今回の場合、同業他社の株価も下がっていることから、回転寿司という業態そのものが危機に晒されたわけですし、もっというと、会社に従業員がいますので、その方々の生活が無視されています。

今回の損害で、昇給がストップするかもしれないし、それどころか人員整理で解雇されるかもしれないわけです。なので、今回の村本さんのこのツイートは、損害を受けた会社の向こう側にいる多数の個人を無視したということになります。

マクロはミクロの集合体

つまるところ、今回の村本さんのツイートは、会社の損害というマクロ的なものの損害をマクロとしてのみ見て、その向こうにある個々人の生活・人生を無視した、そして、加害者の高校生というわかりやすいミクロ的な存在に肩入れした、ただそれだけのことです。

単に「それだけのこと」が大きな問題なのです。というのも、マクロの中にいる見えにくいミクロ的存在者、つまりスシローで働いている個々人にも生活があり、たとえば今回の場合、人員整理や昇給ストップもしくは減給が行なわれた場合、その中には子育て中の人やその他諸々に事情でお金が必要な人にとっては喫緊の生活が困るという結果に陥ります。だから、そのような働いている人を切り捨てたも同然なのです。

実生活において、どうしてもわかりにくいことが多いのですし、私もよく見落としがちなところではあるのですが、ある事物を構成しているものは、顕在的なものと潜在的なものがあります。今回の村本さんのツイートは、顕在的な存在者である加害者の高校生だけを心配し、潜在的な存在者であるスシローの従業員や利用客を切り捨てた、その点で問題的なのです。

世の中に生きる人というのは、ある時点では顕在的であり、ある時点では潜在的です。加害者となった高校生は、友人間という狭い世界で顕在的になろうとしてやり方を間違えた結果、世間において、問題的な顕在的存在となってしまいました。村本さんのようないわゆる有名人と呼ばれる方々は、世間において顕在的である場面が人よりは多いのだろうと思います。しかし、社会的に顕在的な存在の背後には、数多くの潜在的な他者・存在がいます。今回のように、わかりやすい顕在的な存在だけに注目すると、おそらくまた、同じようなことが起こるのではないでしょうか。

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