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ASKA 「虹の花」の歌詞を考える(アルバム「Breath of Bless」8曲目)

ASKAのアルバム「Breath of Bless」の収録曲の歌詞を考えるシリーズも、ついに8曲目までやってきました。
ようやく折り返し地点というところですね。

今回考える歌詞は「虹の花」です。
2018年に配信シングル6ヶ月連続リリースを行った際の、1番最初にリリースされた曲です。
とてもポップなメロディーにどんな歌詞が載せられているのでしょうか?

■「心に花の咲く方へ」に通じた「浪漫」を感じる歌詞

空を飛べないことは仕方ない
だから僕らには 飛行機がある

立ち向かっても儚く散ってしまう
けれど心には剣がある

否定から始まる歌詞なのですが、なんだろう、そこまで悲観的なイメージに聞こえないんですよね。
たぶん、空を飛べないことを本気で悲しむ人はいないでしょうし、だれもが何かしらの挫折を味わっている人も多いと思います。
歌詞に続く「飛行機がある」という言葉にあるように、僕ら人類は手の届かない憧れを叶えるために、代わりとなる方法を知識で補ってきました。
それこそ、心にある剣で何度も立ち向かっていき、実現したはずです。

ちょっと大きなことを言うと、人類の歴史ってこういった夢を叶えるために挑戦を繰り返してきた積み重ねだったと感じます。
それを「進化」という言葉でも表現できると思いますが、僕はここに「浪漫」という言葉も当てはまるのではないかと、この曲を聴いて感じました。

過去の作品「心に花の咲く方へ」にもこんな歌詞があります。

いつかは音のないジェット機が空を飛ぶ
その時その時代に浪漫がある 

最初、「虹の花」を聴いたときに、この「心に花の咲く方へ」の歌詞を思い出しました。
ここに「浪漫」という言葉が使用されています。
人は未知のものに対して、恐怖と好奇心というふたつの感情をもつ生き物だと思っています。
「浪漫」には好奇心が根底にあるものだと思うのですが、好奇心がある限り、できない事に対して悲観的な感情は持たなくてもいいんだと思います。
ジェット機だって、最初からこの世にあったものではなく、空を飛びたいという気持ちが形となったわけですし、そこに至るまでには数多くの挫折もあったことでしょう。

そうやって歴史の中で、「浪漫」は「進化」と密接につながっていることを、僕たちは知っているのです。

■見えるものがすべてではない、見えないものへどこまで想いを寄せられるか

老人がこの地上で語る
若いころに日々の頷こう

未来を思うことは、過去を知ることでもあると僕は考えています。
そしてこの歌詞にもそういった想いが込められているように感じます。

先ほど、歴史との中で「浪漫」は「進化」につながっていることを僕たちは知っているということを書きましたが、そういうのは年を重ねてきた方々の過去の体験談から知らぬ間に知っていったという場面も多いと思います。

このように自分の経験していないことを聞くなどして得た知識って、とても大切で、目に見えるものだけがすべてではないという考え方にもつながっていくように思います。

それはサビの歌詞でも表現されていて、

海の彼方に 虹の花が咲く島があるのは本当さ
コップですくった海の水に 命があるのは本当さ

見たこともないもの、見えないものを否定するのではなく、「本当さ」と受け入れてみることの大切さを改めて感じることのできる歌詞だと思います。

■命や魂はどこからきて、どこへ行くのか、そんなスケールで歌われている曲だったのか

2番になると、少し場面が変わります。
出だしから、身もだえするような表現方法が出てきますね。

浮かんだ雲のふるいにかけられて
下りてくるような 光の色で

これは、いわゆる光芒(薄明光線や天使の梯子とも呼ぶ)のことだと思いますが、雲の切れ間から差し込むこの自然現象を、「雲のふるいにかける」という表現を用いることで、選ばれた光の色という特別感を感じられます。

光芒については、旧約聖書においてヤコブが天使が上り下りをする情景をみたとされていて、やはり何か特別なものを感じます。
旧約聖書にある通り、天使が上り下りをするための梯子として受け止めるのであれば、「僕らの見えない国境線」というのはこの世と天界とを分ける色としても受け止められます。

天使が上り下りを繰り返すイメージを浮かべていくと、僕は「フランダースの犬」の有名なあのシーンに行き着きます。

ネロとパトラッシュが、憧れの絵の前で永い眠りにつくシーン。
亡くなったネロとパトラッシュは、空から舞い降りる天使に連れられて、空へと還っていく。

天に送り返すような魂を僕らは皆持っている

この歌詞からも、おそらくASKAが光芒に対して同様のイメージを持っているのではないかなと感じられます。
僕らの肉体を入れものとしてみたときに、そこに入ってくるのが魂という見方もできますが、送り返す魂には、その肉体で生きてきたことで刻まれた意思や使命のようなものも刻まれているのではないかと思います。
そして、やがてその魂が、再び新しい誰かとして下りてくる。
すると、そこに刻まれていた意思や使命もバトンのように託されていくのかもしれません。
知らなくても知っている事、無意識に行っていることは、そういった魂の中に刻まれたデータがそうさせているのかもしれませんね。
そう捉えてみると、

駄目になっても笑うことを僕らは いつの日か知っている

という歌詞の響き方も、少し違ってくるようにも感じます。
そして、ひょっとしたらここがASKAの一番言いたかったことではないかなとも感じています。

■人に与えられた最大の能力って「ソウゾウ」することなのかもしれない

Cメロではこんな歌詞が綴られています。

君に見える 僕に見える
ステキなことって

瞼閉じてみても
見える きっと見える

瞼閉じてみても見えるというのは、やはり見えないものを見るということだと思うのですが、冒頭の歌詞を引用すると、空は飛べなくても人類が、それでも空を飛ぶことへのあこがれを持ち続けてきたから、飛行機にたどり着いたのだと思います。
そこには「想像」があって、そして「創造」につながっていったのだと思います。

未来や過去、宇宙や深海、概念や思想。
形にはしづらかったり、目で見るには限界があるものは多々あります。
だけど、そこに想像を加えることで見えないものが見えてくるようになる。
見えないものが見えたとき、それは形を伴ってくるものもあるでしょう。
こうやって、古の人たちは未来へとバトンを渡してきたわけです。

こういった「想像」・「創造」の力って、人間に与えられた最大の能力に感じられてなりません。


見えないものを悲観するのではなく、そこに想像を加えることでポジテイブなイメージが広がる。
やっぱりこれは「浪漫」だと思うのです。

そして、ASKAほど「浪漫」を上手に歌にできる人はいない、改めてそうも感じます。

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