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歌詞を考える ASKA「イイ天気」(アルバム Breath of Bless)

梅雨の晴れ間の午後。
なんとこの曲が似合う時間帯なんでしょうか。

今回もASKAのアルバム「Breath of Bless」より、「イイ天気」の歌詞について書いていこうと思います。

■一気に曲の世界に引き込まれるイントロが、早くもイイ

いきなり歌詞ではない部分から入ってしまって恐縮ですが、ここは触れずにいられませんでした。
久しぶりにギターで作曲したというこの曲は、イントロからそのギターの音色が優しく奏でられています。
伝わるイメージは、穏やかで緩やかな一日の始まり。
なんて幸せになるイントロなんでしょう。
今回のアルバムの中でもこの曲は「どうしたの?」については特に大好きなイントロで、聴くだけで幸せになれます。

■自然体の二人が見えてくるイイ感じで力の抜けた歌詞

どんな日?こんな日さ たわいもない朝の会話
寝起きの僕の頭の中は まだ空っぽさ

もう、冒頭のこの2行で、この曲の世界がすべて語られていますよね。
何でしょう、この幸せな空間。
無防備な二人の朝の情景。
こんなありのままの自分を見せあえる二人の仲に、こちらまで幸せを分けてもらっているような気持ちになります。
きっと、寝起きの僕には寝ぐせもついてますよ、でもそんな寝ぐせもきっといとおしく感じられているのでしょう。

君には見えると言う 僕の背中の羽が
きっと産まれた時には あっただろうね

僕の背中の羽というのは何を指しているんでしょうか?
これという正解が明確に浮かばないのですが、僕としてはここも二人のたわいもない会話の一つかなと思っています。
「きっとずっと一緒にいる人」と、お互いに感じているのでしょう、そのため特別な人として見ている相手への愛情表現みたいなものではないかと。

「羽」を天使の形容とも取れますので、そう考えると「産まれた時」=「赤ちゃん」には羽はついていたのかもしれませんね。

■ふたりに爽やかな夏が近づいている

夏休みの日記みたいに
青い空と白い雲で イイ天気

小説など物語を読んでいると、時折主人公の心境を天気とリンクさせたりする表現方法もありますが、この2行はそれに近いのかなと感じています。
実際の天気のここにある通り、絵に描いたような快晴なんでしょうけど、二人の心の中もどこまでも遠く抜けた夏空のように何物にも阻まれない、無敵な空なのかもしれません。

ねぇ夏が覗いてるよ 立ってるよ
ガラス窓を通り抜け

太陽が道をつくって
日差しという名の道をつくって

すぐそばまで迫っている夏。その表現として、窓のそばに立つ夏が、覗いているという表現を使っています。
夏が近づいているものですから、ガラス窓を通り抜けて日差しが入り込んできているのですが、それを太陽が道を作るという表現にするのも、ASKAらしいですね。
なお、この日差しは「僕のwonderful world」ではリボンと形容されていて、ASKAの比喩のテクニックに今更ながらヒシヒシと感じてしまってる僕です。

■歌詞だけで読むととても恥ずかしくなる言葉が、メロディーに乗るとすんなり入ってくる不思議

2番では、この曲がラブソングであることを、これでもかというほど感じてしまいます。

君は僕の未来を 見ていてくれるからさ
心の中の小枝に つぼみが膨らむ

生きるうえで、理解者の存在はとても大切なものです。
この曲の主人公のように、歩もうとする未来を共に見て、信じてくれる存在は何ものにも代えがい特別なものとなるはずです。
未来に確証などあるはずもなく、視点の持ち方次第では不安や恐怖ばかりが目立つこともあります。
前述のようにその未来を一緒に信じてくれる存在が、勇気となってまだ裸のままの小枝につぼみが膨らむのかもしれません。

言葉って不思議だね
口にしても文字にしても温度になる

ここで「温度」という言葉を使っているのも、「つぼみ」に繋がっているような気がしています。
互いに信じあっている人の言葉のぬくもりが、冬を耐え抜いた小枝につぼみをつけさせ、そして花咲かせる。
抱きしめたり、触れあったり、そういうものじゃなくて、言葉が欲しい時があります。
探ったり感じたりするのではなく、受けとめられるものとして言葉が欲しい時があります。
きっと、ここではそういった「言葉」を指しているんだと感じるのです。

ねぇ夏が覗いてるよ 立ってるよ
古い自分と戦えって

コテ・メン・ドウ そして好き
誰よりも君が好き

まさかのダジャ・・・韻を踏んできたサビの歌詞。
個人的にはちょっと笑っちゃいましたけど、なんかこういうところも、この曲の中の二人を表しているようで微笑ましいですよね。
こんなふうに「好き」という言葉をストレートに用いたラブソングって、最近はなかったんじゃないでしょうか?
「愛してる」じゃなくて「好き」で繋がっているのも、なんだか微笑ましいですね。
ふたりにとって「好き」という言葉こそが、一番マッチした温度感なのかもしれません。

■優しい表現だけど、これは一世一代のプロポーズとしても取れるCメロ

曲の冒頭で出てきた「羽」がここでまた現れます。
しかも、とても重要な要素として使用されているのです。

君に見える僕の羽は 広がってるかい?
君を乗せて君を乗せて 飛べるくらいかい?

これは、もうプロポーズみたいなものですね。
主人公の「僕」はこの先も「君」とともにあることを望んでいます。
君に見える羽で、君を乗せていく、なんとロマンチック!
主人公の中では、小枝についたつぼみの未来に、君とともにあることが組み込まれていたんだなとこの歌詞で感じ取れるのですが、そんな未来だからこそ、一番見ていてほしい「君」に見ていてくれていることが、主人公にとって何よりの幸せであり、使命なのかもしれません。

■余韻を持たせる終わり方。主人公の僕はまだ大切な言葉の温度を高めている途中なのかも

最後に、この曲は歌い始めと同じ

どんな日?こんな日さ

と歌って終わります。
また最初に戻るようなリフレイン。
この曲を何度も聴いているうちに、この曲の流れは主人公の頭の中での巡らせている考えを中心に進められているのかな、と感じた瞬間がありました。

曲が進むにつれて二人の関係性や、主人公の気持ちのなどが明確になっていき、そしてこの先の未来もともに居たいという気持ちが聴き手には伝わってきます。
でもそれらは、たわいもない朝の会話にいたる前までの主人公の想いの道筋であって、すでに主人公の中で何かしら決意している言葉を、ひょっとしたら伝えるその日になるのかもしれません。
そこを気付かれないよう、この先も続く未来のなかのなんでもない一日として捉えているかのように「こんな日さ」なんて言ってしまう・・・。
なぁーんて、ちょっと深読みしすぎな想像ですが、そういう受け取り方をしてみると、最後の

どんな日?こんな日さ

という歌詞に、この先の始まりの予感を感じずにはいられません。

どちらにしても、ここに歌い始めの歌詞を持ってくることで、この先も続いていくことを感じることができます。
そういう効果もきっとあるのでしょう。
君を乗せて飛ぶふたりの未来がずっと続いていく、そんな未来の始まり。
そういった余韻を感じながら、幸せな気持ちで曲を終えられる聴き手にも、この曲の言葉が持つ温度に、安らかなぬくもりが気づけば訪れています。

■ちょっと寄り道的な個人的感想

「イイ天気」は歌詞の始まり方から察するに、寝起きの状況から始まります。
前の曲が「百花繚乱」で、そこからこの曲が流れてくると、「百花繚乱」の曲の世界は、夢の中の出来事で、そこから目覚めた現実が「イイ天気」の世界に繋がっているようにも聞こえます。
あんな不思議な世界観の夢を見たら、頭も空っぽになっちゃいそうですね。

それと、「羽」という表現。
羽はそのまま「鳥」をイメージできると思うのですが、ASKAは時折抱きしめる様子を鳥が羽をたたむ表現で歌詞を書きます。

ゆるやかにたたみあう腕と腕 ふたり鳥のように
「no no darlin'」

たたむ腕の中で 鳥になって
「Far Away」

この鳥を用いる愛の表現が僕は大好きで、愛を温めるイメージが浮かんでくるんですよね。
そして、そこからさらにイメージを広げると、「愛」=「自由」という捉え方も見えてきて、それもやはり過去の曲の歌詞から垣間見えるんですよね。
その要素をふんだんに感じられるのが、「砂時計のくびれた場所」です。

届かない夢が欲しくなった こんなに胸が暖かい
空を追いかけてみたくなった 勇気じゃないあなたの愛で

何ものからも縛られない、解放にもにた自由が愛と同列に感じられます。
この辺りの歌詞に対する見解を、いつかASKA本人の言葉で聴けたら嬉しいな、と感じるジニーでした。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
ようやく「Breath of Bless」も折り返しまで来ました。
秋くらいまでには前曲の考察を書けるでしょうか?
頑張ります!

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