日本訳詩家協会コンサート
「伝えたいっていう気持ち一心で日本語にしてきたんです」とシンガー・ソングライターで日本訳詩家協会会長の加藤登紀子さんは2023年9月17日(日)に「銀座ブロッサム」(東京都中央区銀座2-15-6)で行われた同協会60周年記念コンサートで言った。
今から60年前、ちょうどエディット・ピアフが亡くなった年に日本訳詩家協会は西條八十さんによって創建された。
記念コンサートはまず出演者がステージに勢ぞろいして「サンライズ サンセット」(訳詞:加藤登紀子)を歌うことでスタートした。
まず登場したのはボニー・ジャックス。今や3人組となったグループが披露したのは「月光値千金(Get Out and Get Under the Moon)」(訳詞:榎本健一・法島貞)と「ルイジアナ ママ」(訳詞:漣健児)。
音楽評論家で作詞家の湯川れい子さんは、いかにして西洋の音楽が日本に入って来たのか。そしてそれが日本で受け入れられるのには歌詞を日本語にする必要があったことなどを語ってくれた。
ここからは日本訳詩家協会の会員の歌によるポピュラーソング集。
川出祥代さんによる「見果てぬ夢(The Impossible Dream)」(訳詞:永田文夫)、松岡けいこさんによる「エターナリー」(訳詞:山川啓介)、吉永修子さんの「知りたくないの(I really don't wamnto to know)」(訳詞:なかにし礼)、高木満寿美さんの「ケサラ」(訳詞:岩谷時子)、佐竹律香さんの「ラストワルツ」(訳詞:松島由佳)、「マイウェイ(Comme d'habitude)」(訳詞:岩谷時子)が続いた。
そして会長代行でシャンソン評論家の大野修平さんが登場した。アダモの「雪が降る」はアダモが若い頃に書いた詩で安井かずみさんが日本語訳をつけた。「安井さんはフランス語の5音、7音を、日本語でも「ゆ・き・が・ふ・る」と5音、「あ・な・た・は・こ・な・い」と7音になるように訳詞をつけました。それを聞いたアダモは日本の人は7音に慣れているから日本で広まったのだろうって言っていました」(大野さん)。
また「すみれの花咲く頃」については「日本のシャンソンは宝塚のレビューから始まったと言っても間違いありません」と大野さんは語った。
Kayaさんによる「メケメケ」(訳詞:美輪明宏)、小宮ワタルさんによる「雪が降る」(訳詞:安井かずみ)、貝山幸子さんの「恋心」(永田文夫)といさらい香奈子さんの「ラボエーム」(訳詞:なかにし礼)、風かおるさんの「すみれの花咲く頃」(訳詞:白井織造)が披露された。
ピーターが越路吹雪メドレーを熱唱
第一部の最後はピーターこと池畑慎之介さん。歌うは越路吹雪メドレーー「サン・トワ・マミー」「ラストダンスは私に」「夢の中に君がいる」「ろくでなし」「愛の讃歌」(訳詞:岩谷時子)だった。
第二部はクミコさんから。まずは「時は過ぎてゆく」(訳詞:古賀力)。2曲目に選んだのは「幽霊」(訳詞:高野圭吾)。クミコさんは「いつもは一番最後にやる曲なんですけど加藤登紀子さんがやれっていうんです。ですから2曲目にやります」といって歌った。
加藤登紀子さんは回想した。「20歳の時、一回目のシャンソン・コンクールに落ちました。次の年に優勝するのだけど、その間の一年、銀巴里で店がお休みの昼間に練習をさせてもらいました。それから「ひとり寝の子守唄」になるのだけど、3年間銀巴里で歌いました」。
「なぜシャンソンだったのか?あの頃、映画と言えばアラン・ドロン。文学といえばサルトル、ボーボワール。音楽はアダモ、マティアス。やっぱり先端を行っていたのはフランスだった。いつも私の心を占領したフランスの文化は戦後の文化を引っ張ってきたと思います」。
「アメリカは商業主義の先端にあって光が当たっていた。フランスの場合には光だけでなく影もあった。光と影。でも世界のスターになるためにはアメリカで成功する必要があって、あのエディット・ピアフでさえもアメリカでは(フランス語でなく)英語で歌ったのです」。
ここからは日本訳詩家協会の理事の歌声が披露された。水織ゆみさんの「ジェザベル」(訳詞:水織ゆみ)、高野ピエールさんの「アマポーラ」(訳詞:島サチコ)、タマーラさんの「わたしの罪」(訳詞:タマーラ、ひたちこうじ)、奥野秀樹さんの「灰色の途」(訳詞:奥野秀樹)、深江ゆかさんの「愛しかない時」(訳詞:深江ゆか)。
もともとは子守唄だった「百万本のバラ」
次に登場したのは俳優としても活躍している渡辺えりさん。最初に「エルクンバンチェロ」(訳詞:渡辺えり)を歌った。次は「ロコへのバラード」(訳詞:渡辺えり)。「ロコって男の気狂いのこと、女の気狂いはロカ。要するの「気狂いへのバラード」です」って渡辺えりさん。
トリは加藤登紀子さん。ジブリ作品「紅の豚」のジーン役の声を担当した登紀子さん。そこで歌った「さくらんぼの実る頃」(訳詞:加藤登紀子)を披露した。続いてはフォーク・シンガーの元祖ともいえるピート・シーガーで有名な「花はどこへ行った」(訳詞:加藤登紀子)。
「マレーネ・デートリッヒが戦争に関わった国々をみんな歩いてこの歌を歌ったということが心に残りました」と加藤さんは語った。
そして次に歌われたのは「百万本のバラ」。もともとはラトビアで子守歌とした誕生した歌が、ジョージア(旧グルジア)のピロスマニという貧しい画家の恋の歌として旧ソ連、そして世界へと広まっていった。
フィナーレは出演者、ゲストがステージに揃って「唯ひとたびの」(訳詞:加藤登紀子)を熱唱して約3時間のライブが終了した。
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