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さらば!シンコー旧本社ビル

 日本の洋楽専門誌の先駆けといえばミュージック・ライフ。ビートルズへの直撃取材など音楽ファンが楽しみにしていたその雑誌を発行していたのがシンコーミュージック・エンタテイメント(旧・新興楽譜出版社)だ。
 2024年、同社は創立92年となる。本社ビルが東京都千代田区神田小川町から、近所ではあるが錦町に移転したのを機に訪ねた。
 同社の神田小川町の旧本社ビルの入り口を入ると熱狂する観客たちの写真と、エレベーター脇のビートルズの大きな写真が出迎えてくれる。
 ビートルズ最後のツアーとなった1966年の北米公演の際の8月23日(ニューヨーク、シェイ・スタジアム)と同28日(ロサンゼルス、ドジャー・スタジアム)での写真。撮影したのは長谷部宏さん。

 


 「ミュージック・ライフ」の星加ルミ子編集長(当時)が日本のメディアとしてビートルズに初の単独取材をしたのは1965年6月15日のことだった。同行したのは長谷部カメラマンだ。
 「ビートルズは世界的なスーパースターでした。とっつき悪いのではないかと思っていましたが、実にフレンドリーで気取りがなく、私は胸をなでおろしました。特別な才能を持った気取りのない普通の男の子というのが彼らの第一印象でした」と星加さんは回想した。
 歴史的会見を終えてホテルに戻って、日本に電報を打った。
 たった一言「BANZAI!」と。
 ビートルズの情報に飢えていたファンたちは大歓迎だった。ビートルズとの会見の模様を伝えた65年8月号は飛ぶように売れ、いつもならば5万部くらいのところを大きく上回る25万部を売り切ったのだった。

「ミュージックライフ」1965年8月号


 1966年6~7月には最初で最後の日本公演。それが終わると北米ツアーにビートルズは出たが、これに星加さんたちは同行を許された。
 この際に撮影された写真が取り壊される本社ビルの入り口にあるのだ。
 星加さんたちは67年9月にはスタジオでレコーディング中のビートルズ4人を取材する。ちょうど「Fool on the hill」制作中だった。
 その後もビートルズの4人だけでなく、ベイシティローラーズ、クイーンなどなど人気アーティストたちを取材、記事にしてきた。
 ミュージックライフはその後、紙媒体としては休刊し、ウェブに舞台を移している。ヘヴィメタル専門誌「BURRN!」や「Young Guitar」などを引き続き発行しており、ファンたちの熱い支持を集めている。

「ミュージックライフ」75年6月号


 洋楽情報の「発信基地」だったシンコーミュージックの本社は1983年に立て替えられて神田小川町のビルの姿になった。そしてそのビルも移転したのだから感慨深く思っている人も少なくないだろう。

 旧本社ビル入り口
 旧本社ビル入り口


 
 旧本社ビルのエントランスの奥には通称“FOUR HEADS”と呼ばれる頭像も展示されていたが、それらも引っ越した。
 実際にビートルズの4人と対面しながら作られた唯一の彫刻作品で、デヴィッド・ウイン氏によって1964年にパリで作られたもの。

ビートルズの頭像「Four Heads」


 当時12 体作られたが、リンゴの所有していた1体は火事で焼失したため、残っているのは世界で11 体。この頭像は86年、故草野昌一会長が、会社のシンボルとして購入したもので、元の所有者はビートルズのマネージャー・ブライアン・エプスタインだった。
 草野さんは星加さん入社時の上司で、漣健児(さざなみけんじ)のペンネームで洋楽の日本語詞を手がけていたことでも知られていた。
 その頭像の製作過程の写真がポール・マッカートニー自身の撮影により数多く残されており、それらは7月から日本でも開催される「ポール・マッカートニー写真展1963- 64 ~ Eyes of the Storm ~」で公開される。

 シンコーミュージックの引っ越し先は:〒101-4191 東京都千代田区神田錦町1-14。連休明けから実質的に稼働開始している。
 



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