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加藤登紀子ほろ酔い!

 加藤登紀子さんの「ほろ酔いコンサート」の季節がやって来た。そして2023年12月27日(水)の千秋楽は登紀子さん80歳の誕生日。
 有楽町の「ヒューリックホール東京」で行われた名物コンサート。
 登紀子さんは「今年のほろ酔いコンサートはラブソングでスタートです」と話しての本編最初は「灰色の季節」だった。
 「愛さずにはいられない」が続いた。少なからぬ観客が待っていただろう登紀子さんが中森明菜さんに書いた「難破船」も披露された。
 「愛のくらし」などの歌唱の後、バンドメンバーたちから「Happy Birthday」がお祝いに歌われた。すると登紀子さんは「なんだか私のコンサートにはあるまじき雰囲気だなって。恐れ入ります」。
 するともう一回、ギターの告井延隆さんのリードで「Happy Birthday」。登紀子さんは、ファンの方が年齢の数のゆで卵を”ネックレス”にしてくれたという話を披露。「でも40の時に断ったんです。首が折れちゃう」。

ステージ上の加藤登紀子さん(トキコ・プランニング提供)


 続いて「美しき20歳」。登紀子さんは「20歳の時に、家族の決まりごとを破り捨てること、夜12時までに家に帰らない・・・」って決めたと話した。「でも夜12時に帰らないって大変なんです・・・私の母が80になった時、自覚しないといけないって言って母を出かけさせなかったんです。でもあれはよくなかったって言われました」。
 ここで「私の新しいボーイフレンドを紹介します」との登紀子さんの声でタブレット純さんが前年に引き続いて登場した。
 「バラの花を100万本贈ろうって思ったんですけど、その10万本の一の10本しかないんです」とタブ純さんがいうと、登紀子さんは「あなたといると、乙女の気持ちになるんですよ」。
 するとタブ純さんは「この前、散歩していると後ろから来た人に「どけ、ババア」って言われました」。でも心は乙女。
 タブ純さんがここで「有楽町で逢いましょう」を歌った。
 さらに2人のデュエットで「灰色の瞳」。素晴らしいハーモニーで長谷川きよしさんの名曲を歌い上げた。「結婚して一年くらい歌手をやめていたことがあったんですが、その時に長谷川きよしさんと再会して、この歌を歌ったという思い出があります」と登紀子さんは振り返った。

加藤登紀子・長谷川きよし「灰色の瞳/黒の舟唄」


 「そして二人の子どもが出来た後に中島みゆきさんと出会ったんです。運命の出会いでした」と登紀子さんが言うと、タブ純さんは突如、「少しだけ物まねをさせてください。芸人やってるんです」。
 大沢悠里から田中角栄までの物まねを披露した。
 そして歌に戻り、登紀子さんが中島みゆきさんに提供を受けたヒット曲「この空を飛べたら」を二人で歌った。
 ここでタブ純さんがステージを去った。
 来年に歌手生活60周年になる登紀子さんはギターを手にデビュー曲「赤い風船」を口ずさんだ。さらに「これも私の恋人に悲しいから嫌いだっていわれたんです」といって「ひとり寝の子守唄」を演奏した。
 「あなたのいく朝」を歌った後、登紀子さんはアフガニスタンで医療活動などに従事した故中村哲医師の話をした。

中村哲医師

 「ほろ酔いコンサートの真っ最中でしたが、ペシャワール会(パキスタンでの医療活動に取り組む医師の中村哲さんを支援するために作られた非政府組織)の人が衛星電話をしちゃったんです」。
 「私もクリスマスなので何気なく「メリークリスマス」って言ったら、電話の向こうでしばらく何の言葉もなく沈黙が続いて、哲さんが口を開いて「ぼくクリスチャンなんです」って」。
 「その時、あの人は今一人きりでイスラムの人たちとクリスマスを迎えているんだなって」思ったのだという。
 「どんな人でも、どんな宗教でも、どんな生活習慣でも、人を比較しない・・・正義があるとしたら命を救うということだけ。それが中村哲さんから頂いた大切なメッセージなのだと思っています」。
 ここで前年に作った「果てなき大地の上に」。
 「コロナで緊急事態になった時、作った曲です。哲さんのような人をどうやって応援できるのかなって思ったんです。一番大変なところで命をかけて人を救おうとしている人たちを」。
 登紀子さんは「この手に抱きしめたい」を歌った。
 ここで第1部が終了した。

ジーナとデートリッヒ
 休憩の後、第2部がスタート。数曲続き、その中にはマレーナ・デートリッヒの「リリー・マルレーン」があった。
 「戦争放送が全く売れていなかったこのレコード(「リリー・マルレーン」)をかけたんです。それが戦場に届きました。兵士たちがこの歌をキャッチして、この歌の間だけは戦争をしなかったといいます」。
 宮崎駿監督の「紅の豚」でジーナの声をやった時に監督に「ジーナってマレーナ・デ―トリッヒだと思って」というと「それは想像にお任せします」という監督からの返事だったという。
 そして12月27日は登紀子さんの誕生日であるとともにマレーナの誕生日でもあるのだという。
 「私が「紅の豚」をやっている時、5月ですね、マレーネは91歳でこの世を去りました。遠い遠い人なのにどこか近いような気がします」。
 登紀子さんの話はさらに、2023年10月に訪れたジョージアの話になった。「貧しい画家ニコ・ピロスマニの故郷であるジョージアに行きました。4年前から計画していたんです。「百万本のバラ」の詩人はソ連時代に酷く迫害されましたが、ラトビアで生まれた子守唄を大きな愛の物語にしました」。
 「ジョージアで出会った人に(「百万本のバラ」の辿った歴史・運命の)話をすると「だからあなたは歌っているんだね」と抱きしめてくれることがありました」と登紀子さんは語った。

首都トビリシのピロスマニ通り。 画家ニノ・ピロスマニが住んだ家があることから名づけられた。裕福なエリアとはいえない。
ジョージアの古都ムツヘタで歌う加藤登紀子


 ここでピアノの鬼武みゆきさんが作曲した「雨音」にのせて、登紀子さんが朗読をした。そして歌に戻り「今あなたに歌いたい」。
 ジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作「Imagine」を登紀子さんと告井さんが歌詞を歌い、かつ朗読した。
 そして代表曲「百万本のバラ」。ソ連でアーラ・プガチョフという人気歌手が歌い大ヒットした。女優にかなわぬ恋をした貧しい画家ニコ・ピロスマニがたくさんの赤いバラを贈るという歌。
 もともとはラトビアの子守唄「マーラが与えた人生」だった。ラブソングとして生まれ変わったその歌に日本語詞をつけたのが登紀子さんだった。
 続いて「知床旅情」。「森繁さんが60周年の時に歌って、その10年後に私が歌い始めました。同じ満州で戦争を乗り越えて同じころに引き揚げてきて、もしかしたら同じ引き揚げ船で会っていたかもしれない、そんな運命を感じました」と言って歌った。
 少ししんみりした後、アンコールは賑やかな「乾杯」。タブ純さんもステージに戻ってみんなで声を合わせた。
 そして「酒は大関」が歌われた。タブ純さんは電飾をつけた「たけちゃんマンみたいな恰好」で登紀子さんと並んで乾杯した。タブ純さんは「衣装は沢田研二さんの「TOKIO」のもの」と言って、その曲を少し歌った。
 最後は石原裕次郎さんに提供した「我が人生に悔いなし」。登紀子さんとタブ純さんの二人が喉を披露してジ・エンドかと思いきや、2回目のアンコールに応えてもう一度。そして「Never give up tomorrow」の熱唱で、およそ3時間の今年のほろ酔いコンサートの千秋楽は幕を閉じた。

ステージでの加藤登紀子さん(トキコ・プランニング提供)





 


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