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パティ大いに語る

 【スピリチュアル・ビートルズ】ジョージ・ハリスンそしてエリック・クラプトン。その伝説的なミュージシャン2人の元妻、元モデルで写真家のパティ・ボイドが来日している。パティの写真展が行われているタワーレコード渋谷店8階Space HACHIKAIで2023年6月3日(土)、トークショーが行われた。
 ジョージとの出会うきっかけとなるビートルズの映画『ハード・デイズ・ナイト』(1964)にパティがどうして出演するようになったのかをまず語った。聞き手はブロードキャスターのピーター・バラカン。
 63年秋、パティはポテトチップスのテレビCMに出演した。監督はリチャード・レスターだった。翌年春、あるオーディションに行くと、ほかのモデルたちがたくさんいて、お互いに写真を見せあっていた。
 そこに再びレスターがいた。写真を見せて帰ると連絡があったー「これは秘密だがビートルズが映画を撮る。それに出演しないか」と。パティは「私はモデルであって俳優ではないし、出来ません」と答えたという。
 だが、先方からは「「女子高生の恰好をして、セリフは一言だけ」と言われて、それなら出来るかもしれないと思うようになりました」とパティは語った。レスターこそがそのビートルズ映画の監督となるのである。
  映画出演が決まると、パティは秘密ではあったが当時のボーイフレンドにそのことを伝えると彼は言った。「絶対(君は)ポール(・マッカートニー)に惚れるよ」。ところがアプローチをしてきたのはジョージだった。
 「いきなり「結婚してくれないか」と言われました。強いリバプール訛りだったので、私は分からないフリをしました。その日の撮影が終わると「一緒に食事に行かない?」というのです。私はボーイフレンドと一緒だけどいい?といったら、ジョージに断られました」。

パティ・ボイドさんとジョージ・ハリスン

 「60年代初め頃から、上流階級の女の子たちが労働者階級の男の子たちと仲良くなる現象が出てきました」とパティは回想した。「がんじがらめの階級制度の中で、いろいろな階級の人たちが交わるようになったのです」。
 「それはほとんど革命的といっていいものでした」。
 そんな60年代真っただ中、66年1月21日、パティとジョージは結婚する。ところが、ビートルズは大きな転機を迎えることになるのである。彼らの兄貴分でマネージャーだったブライアン・エプスタインが急死。時を同じくして、彼らは精神世界の探求に乗り出していくのである。
 そのきっかけを作ったのはパティだった。ビートルズがオーストラリア公演の最中、超越瞑想の指導者マハリシがセミナーを開くとの告知を新聞で目にしたのだ。帰宅したジョージは興味津々だった。そして、偶然にもポールからも連絡があって、マハリシが北ウェールズのバンガーでセミナーを開くというので、みんなで聞きに行くことになったという。
 マハリシに会いに行っている最中にブライアンが亡くなったとの知らせが入って来た。パティは語った。「みんなものすごいショックを受けました。よかったらインドに来ないかとマハリシは言いました。メディアがいないところで悲しむことが出来るし、瞑想についてもっと教えられると」。

パティ・ボイドとピーター・バラカン

 時代は進む。エリックが書いた「いとしのレイラ」をパティが初めて聞いたのはいつですか、という話になった。その歌はエリックが親友の妻であるパティに夢中になってしまったどうしようもない気持ちを歌った作品だ。
 パティは言った。「たぶんマイアミだったと思いますが、情熱的でとてもクールな曲(passionate and so cool)でした。途中で自分のことを歌っていると気がついて慌ててしまいました。内心困ったなと思ったのです」。
 そこから4年間、ジョージとの生活が続くが、二人の生活はますます難しくなっていったという。「エリックは私(パティ)にヘロインを見せながら、もし(僕のアプローチをパティに)断わられたら、これをやる(吸う)よと言いました」とパティは語る。
 そのおよそ4年間は、そんなエリックと会うことはなかったとパティは言った。そして74年、パティはジョージと事実上別れる。同年のジョージの『ダーク・ホース』はそんなプライベートが影を落としたアルバムだ。
 収録された「バイ・バイ・ラブ」はエヴァリー・ブラザースのカバーだが、ジョージは歌詞を変えたー「さようなら、幸せな日々よ、こんにちは、孤独よ」「僕は祝おう、あの娘と”Clapper”の幸せを」。

「パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ」(シンコーミュージック・エンタテイメント)

 パティがジョージと正式に離婚したのは77年。その2年後にエリックと結婚した。結婚式にはジョージも駆けつけた。しかし、エリックとの結婚生活は困難を極めたようだ。それは彼のアルコール依存症と女癖の悪さが主な理由だった。約10年間の結婚生活の後、89年に2人は離婚した。
 会場からパティがエリックとジョージの曲で一番好きなのは?という質問が寄せられた。パティが選んだエリックの作品は「ワンダフル・トゥナイト」だった。「私がパーティに出かける前に、何を着ようかしらとか、髪をどうしようかとか迷っているのをエリックが書いたのです」。
 「夜も更ける頃、彼女は何を着て行こうか迷っている/メイクアップを施して、長いブロンドの髪を梳かす/それから彼女は僕に訊くんだ、「どうかしら?」/僕は答える、「今夜はとっても素敵だよ」」
 ジョージの曲でパティが選んだのは意外にも「イズント・イット・ア・ピティ」だった。タイトルは「残念だ」という意味。パティは「何が残念なのかって聞いたことはないけれど、私はこの歌が大好きです」と言った。
 大作『オール・シングス・マスト・パス』に収録されている一曲だ。面白いのは、ジョージがパティのことを歌ったとされている「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」といった代表曲ではなかったことでした。

パティ・ボイド写真展の会場入り口






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