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当事者が語る学生運動

 早稲田大学での学生運動の最中の1972(昭和47)年、早稲田大学第一文学部2 年生の川口大三郎君が革マル派による内ゲバで殺された事件を描いた映画「ゲバル トの杜 彼は早稲田で死んだ」が上映中だ。
 1970(昭和45)年に早大をやめて、その内ゲバ殺人を直接目にしたり耳にしたわ けではないが、そこに至るまでの運動に深く関わった当事者が匿名を条件に重い口 を開いてくれた。
 「川口君はある種、ノンポリだったと思う。そういう連中まで捕まえてああいうことをや ってはいけない。あの事件は追い込まれた革マル派の性格を如実に表している」。
 「革マル派は組織論を重視し、少数精鋭でもいいから、組織第一で闘い、革命につ なげていきたいとしていた。一方、中核派は世の中を変えるために大衆運動を重視し ていた。同じ革共同でもそういう違いがあった」。  「ただあの頃は、いつ殺人事件が起きてもおかしくないような緊張感があった。彼( 川口君)が殺されたのと同じようなケースは他にもあった。俺たちだって殺されかけた んです」。
 そして、その当事者は自分の体験を時系列で説明し始めた。1969年4月、大学本部を占拠中に全共闘と革マル派との戦いが勃発して、5月の文学部の学生大会は全 共闘と革マル派執行部が競い合い、流会になった。
 革マル派が学友会室に逃げ込み、それを全共闘が追いかけ、外から投石、火炎瓶 で攻め立てた。機動隊が入り、革マル派10数人を理工学部のサークル部屋に連れ 込んで、他大学のセクトが来ていて「テロった」。
 それは5月下旬のことだった。
 「俺たち全共闘は”止めろ”と言った。全共闘は大衆運動を重視し、テロで相手の肉 体を痛めつけるような理論武装をしていなかった。しかし、セクトは日頃のうらみつら みからやってしまった。そこで機動隊が入った」。  (全共闘とは新左翼諸党派やノンーセクトの学生が各大学に作った闘争組織のこと で全国のおよそ500大学にあったという)

狭山の山中でリンチに遭う
 その後、何日か経って、革マル派が全国動員をかけて襲ってくるという情報が入っ て来たので、どう対応するかということで早大全共闘の会議を開いた。革マル派を早 大で迎え撃つか、逃げるかの結論が出なかった。
 それぞれのセクトで対応を決めてから1時間後に再び集まろうとしたが、各セクトはみんな逃げてしまって再び集まるこ とはなかった。
 最終的に残ったのは早大反戦連合の7人だった。本部バリケードを死 守することにした。しかし、一日中意見を戦わせていたので疲れてしまって、不覚にも 、見張り番も含めてみんな寝てしまった。
 そこに革マル派が襲ってきた。証言者はいう「拉致されました。15号館の地下でリンチされた。7人は(リンチの後)次々にホロ付のトラックに乗せられて、都内各地で一人ずつ捨てられて、ある者は上野公園に、私は狭山の山の中に連れていかれ、リンチされた」。
 「全身打撲だった。ほふく前進して山道まで出て、工事現場にパンを入れているおば ちゃんに拾われた。アジトに電話をしてもらい、生きていると伝えてもらった。本川越駅まで送ってもらい、西武新宿駅に着くと仲間が来ていて、高田馬場の病院に入院し た」。
 その証言者が大学に戻ったのは7月だった。その後、早大総長選があり、これを闘い、翌年の70年安保闘争に備えた。70年安保闘争をカンパニア闘争として取り組み 、その秋に大学をやめた。

大衆運動の60年安保、学生運動の70年安保
 あの頃の学生運動の流れについても説明してくれた。
 1964~65(昭和39~40)年の慶応大学での学費闘争が全共闘運動のそもそも の始まりだったという。65~66年早大学費・学館闘争も全学連共闘会議が主導した。小野田襄二(中核派の学対部長、67年中核を脱退)という人がいて1968(昭和43)年に「遠くまで行くんだ」という雑誌を出して「新しい学生運動をしよう」と訴えた。
 それでその影響を受け て、68年秋に早大反戦連合が結成され、69年4月の早大本部占拠を闘い、早大全 共闘に発展した。
 60年安保は国民大衆にまで広がりを見せたが、70年安保は学生運動であって「常 に有象無象の10数派による主導権争いがあった」という。そして「日常的に主導権争 いの内ゲバがあった」という。
 結局、70年安保は「6月(23日)の(日米安保条約の自動延長という)安保闘争の 目標に向かって運動をしていたが、そこに行きつく前に先が見えてしまった。運動も広がらず、息も絶え絶えになってしまった。でも6月にはデモが出来、早稲田からは5000~6000人が 参加したんです」と話す。

70年安保闘争(資料)

上っ面だけ平和な今の日本
 学生運動も「大衆運動として合意形成を重視し、多数派を形成して社会を変えていくことだったと今は思っています」。
 「先鋭的にやるのも一つの戦術だと思いますが、勝てません。向こうには自衛隊が いるんだから。中国とかとの支援を受けて内乱とかでやろうにもできない。もっと貧困 とか格差とか出てきたら違うかもしれないが、今、日本は上っ面だけだけど平和。政 治はリアリズム。勝てなかったら政治に取り組む意味はない」。
 「やることに意義があるというのは理解できるが、敗北の苦しさは敗北した者しかわ からない。若い人が言うことです」。
 その学生運動の当事者だった方はここまで語ってくれたが、普段は昔の話はしない という。
 「しかし、日本社会は当時よりも格段に劣化している。殺し合いは不毛だが、 大衆運動としての学生運動は必要だと思う」。
 「無関心を装ってこの時代を生きるのは無責任であり、後世の人々に糾弾されることになることは確かかもしれない」。

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