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歩くこと、そして境界線を疑うことについて【歩き旅を終えて②】

これは、東京から京都までの約500キロの歩き旅を終えたばかりの僕が、いま振り返って感じることをまとまらないままに書き連ねる連続エッセイ(というよりもはやただのつぶやき)です。

今回の旅では、東京~神奈川、神奈川~静岡、静岡~愛知、愛知~三重、三重~滋賀、滋賀~京都と6つの都府県境をまたいだ。いずれの都府県境も、実にささやかなものだった。国道上のなんてことないポイントで県が切り替わる場合が多かったように思う。ぼーっとしていて、気づけば越えていた、なんてこともあった。道は道として、淡々と続いていた。

あらためて、境界線は人間が頭のなかで作ったものにすぎないと体感した。ま、よく言われていることだ。過去にいろんな国を旅をしたときも、「境界線なんて実はないんだなぁ」くらいには僕も感じたこともあった。

一方で、歩き旅をしたことで、今回初めて得た感覚もあった。

どう表現したらよいか悩むのだが、シンプルに言えば「僕は島に暮らす人間であり、島の上をいま歩いているんだ」という感覚だった。

何を当たり前のことを、という声が聞こえてきそうだが、僕には新鮮で確かなものだった。大げさに言えば、個人的には驚くべき発見でもあった。

この旅で、山を越え、海や湖を眺め、川を渡った。

その間を縫うように道が続き、山間に町が転々と存在し、そこで人々が生活していた。僕はそれらを歩いて通過していった。もちろん、自然のなかには境界線など目にすることはなかった。いまも思い出すのは、ひたすらに続く山々の緑だ。

三重県あたりだったか、ふと僕はいま「島」の上を歩いていると気づいた。

「東京」から「京都」まで向かう――僕のしている旅はそういうことだと思っていた。しかし、それはまだ頭の地図上の旅にすぎない。境界線が存在する前提で点から点へ、いわば新幹線や飛行機の旅の感覚に近い。

三重県あたりで「島」を感じたとき、僕はこう思った。「東京と名付けられた島の中心地から、島の南東側の海岸線近くをずーっと西に向かって歩くと、京都と名付けられたとある地域にたどり着く」と。境界線の感覚はだいぶ薄まり、あるのは海に浮かぶ一つの島だけ。いま、島をひとり歩いているのだという感覚。

テレビのニュースを見ていると、あたかも日本という「国」が存在しているように感じるが、歩いて見たら、圧倒的な存在感を放っていたのは、山が並び立ち、鳥が飛び交う、ひとつの「島」でしかなかった。

僕は日本という「国」以前に、変なかたちをした「島」で生まれ、そこで大人になったのだと思った。

僕には、この新たな身体感覚を得たことが不思議であり、驚きだった。そしてなぜかうれしくもあった。

あるいは、海辺で生まれ育った人はそういう感覚がすでにあるのかもしれない。だけど、岐阜県寄りの愛知の片田舎で育ち、いまも海のない栃木県で暮らしている身からすると、意外と自分が島の上で暮らしている実感を得る機会はこれまで少なかった。

そうやっていつしか「歩き旅=島探検」になった。日本国民は、同じ島で暮らす人々になった。内閣総理大臣は、島のリーダーになった。

そうなったら、日本にまつわるあれこれが、ちょっと身近に感じられるように思えた。「国」という概念は僕にはちょっと大きすぎたのかもしれない。「島」くらいがちょうどいい(別に違うことを語っているわけでもないのだ)。

同じ島で暮らす人々には、いい時間が今日もあればいいな、と素直に思いながら歩いていた。もちろん、そんなことをいつも思えたわけではないが(ぜえぜえいいながら歩いていた時間もたくさんあった)。でもそう思えているときは、僕の頭のなかにあった境界線はふわりと消えていた気がする。

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