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小遊三一門の熱い想いが詰まった落語会

三遊亭小遊三一門の「雀が二羽と馬一頭」第1回
4月14日 深川江戸資料館 小劇場
小遊三一門である圓雀師匠と遊雀師匠と遊馬師匠の三人が企画された自主公演。このメンバーでの三人会は今までなかったように思う。
ツイッターを拝見すると、この会の牽引役は、三人の中では一番上の兄弟子にあたる圓雀師匠のようだ。三人の芸名から「雀が二羽と馬一頭」と命名されたようで、今後は年二回開催予定と表明されている。
そして、第一回のゲストは、なんと小遊三師匠を招聘。個性豊かで人気者の兄弟弟子たちが集合したうえに、師匠まで登場という豪華な一門会。これは行かねばとお邪魔してきた。

三遊亭遊かり「あくび指南」
開口一番は、一門の二ツ目の遊かりさん。大師匠をはじめ、師匠の兄弟弟子まで揃っている落語会なので、かなり緊張されているようだ。挨拶早々に、袖で師匠方が腕組みしながら聴いている、凄く演りづらいと告白。会場も納得の笑い。
本編は、一昨日聴いたばかりの噺。時間が限られているためか、先日よりかなり凝縮されていて、かえってテンポよく進んで良かったと思う。寄席サイズで演じる長所、なるほど思う。

三遊亭遊雀「浮世床 かくし芸・夢」
登場するなり、会の名前「雀が二羽と馬一頭」の由来を説明し、先ほどのは牛一頭、これで会場大盛り上がり。遊雀師匠だからこそ出来る弟子イジリ。遊かりさんの演りづらいという話を受けて、お小言は後で、とお返し。
ご自身も小遊三師匠がゲストの会なので、緊張して会場入りしたら、楽屋が妙に明るくて拍子抜け。遊かりさんのおっぱいの話で楽屋が盛り上がっていた。明るい一門らしさを感じさせる楽屋話。
観客に対して、客席でゆったりとお寛ぎください。寄席でも落語会でも、ゆったり寛ぐのが何より。前のめりになりがちなマニアにとっては、少し耳が痛い話。
男性の憩いの場所と言えば床屋。髭剃り前に、蒸しタオルを顔に載せてもらう瞬間は、何とも言えない至福のひととき。これがたまに、タオルが異常に熱いときがある。遊雀師匠はそんな状況を、身体全体を使って実演。客の苦悶の表情や床屋の慌てる様子が可笑しく、爆笑を呼ぶ。マクラでよく聞く床屋の小噺が、遊雀師匠の手に掛かると爆笑の一編になる。遊雀師匠もこの定番の小噺が大好きらしい。
もうひとつ、腰障子に屋号の海老が描かれている海老床という床屋の小噺。この海老が生きているようだ、いや死んでいるという論争。ダジャレで下げる小噺。遊雀師匠にとって、この小噺のウケがいまいちで、お気に召さなかったよう。これからも挑戦し続けます、というコメントで笑い声を挽回。
弟子としてまず先陣を切り、その出番に合わせたような軽くて短めかつ瞬発力があって、寄席でよく聴く演目で会場を暖めた。師匠の露払い役という役割りを、見事に果たした遊雀師匠。
半ちゃんの夢の中の色っぽい話は、何度も聴いていて知ってるはずなのに、リアルな話のように引き込まれる不思議。色っぽい話が似合う遊雀師匠の語りの凄さ。
若い衆たちが、暇だなあ、あくびの稽古でもするかと、この日も前の噺をぶっ込み遊雀師匠らしさをみせた一席だった。

三遊亭小遊三「替り目」
弟子たちが企画した三人会にゲストで呼ばれ、本当に嬉しそうな表情で登場。まずは、この会をよろしくお願いいたしますと、頭を下げる。こんな師匠の表情を見ると、この会の開催すること自体が、充分な師匠孝行になっていることが伝わってくる。
地域落語会などのマクラでは、笑点ネタや笑点メンバーのネタを話されることが多いが、この日は一切触れなかった。また、笑点におけるご自身の下ネタ悪者キャラも封印されたようだ。耳の肥えた三人のご贔屓さんたちを前にして、落ち着いた本寸法の高座を披露されて、小遊三師匠のタレントではない落語家としての魅力を伝えてくれたように感じた。
落語家という商売は楽そうに見えますが、実際は・・・という話から始まり、酒飲みのイメージが強い商売だが、実際も落語家はよく飲む、という定番のマクラから本編へ。
主人公は終始、酒に酔っているが、その酔っ払い加減が中程度で、丁度良い。べろべろでなく上機嫌な様子で、俥夫をからかうのも嫌味が無い。なので、女房も心から嫌がっていたり怒ったりしている訳ではないことも伝わってくる。微笑ましい夫婦なのだ。そんな夫婦の会話には、細かいクスグリが散りばめられ、ところどころで思わず吹き出してしまう。
弟子の三人会だからこそ、見せてくれた小遊三師匠の表情。しみじみと心暖まる一席だった。

仲入り

三遊亭遊馬「粗忽の使者」
三人の中では一番下の弟弟子にあたる。三人の中でも、遊馬師匠は外連味のない本寸法で本格派な芸風だと思っている。マクラでは、粗忽者の小噺。ということは、粗忽者の噺かと期待が高まる。
兄弟子の圓雀師匠もかなりの粗忽と、まずは身内イジリ。兄弟子をイジれるのも、仲の良さの証し。マクラも短くすっと本編へ入るところも、遊馬師匠の格好の良さ。
本編は、主役の杉平柾目正の家来の地武太治部右衛門の粗忽ぶりが爆発する、爆笑の高座。真面目に真剣にボケると、可笑しさが倍増するという見本のような一席。治部右衛門のきりっと侍然とした態度が可笑しさを呼んでいる。
その相手役、赤井御門守の家老の田中三太夫や出入りの江戸っ子の職人留っこも良い味を出してる。この三人のキャラや身分や立場がデフォルメされていて、見事に描き別けられている。
治部右衛門の細かい粗忽ぶりも可笑しいが、圧巻は若侍に扮した留っこが職人気質丸出しで治部右衛門の尻を閻魔で捻り上げる場面だ。高座で尻を出しているのではないが、遊馬師匠が見せる二人の仕草と表情が見事なので、この場面がリアルに再現されている。
この場面は、普段は威張っている侍を、身分が下の職人が揶揄う痛快さが根底にある。その痛快さは、治部右衛門と留っこの身分の違いを言葉使いや仕草などで明確に伝えてくれることによって際立ってくる。この点、遊馬師匠のデフォルメされた身分を表す表現が見事なので、十分にその痛快さを味わうことができたのだ。

三遊亭圓雀「愛宕山」
まず、この会を立ち上げた主旨を説明。現在は弟子の三人会だが、行く行くは小遊三一門全員が出演する小遊三一門会となるように発展させていきたい。この会をその足掛かりとなる落語会としたい。そんな一門会への想いを、熱く語る圓雀師匠。この会を立ち上げた経緯が、一門会へ繋げたいという圓雀師匠の強い願いからであることが伝わってきた。
一門会は、師匠が元気なうちにぜひ実現させたいとの告白に、先ほど小遊三師匠の高座を観たばかりの客席は笑いを誘われる。しかし、これも圓雀師匠の本音だろう。
そんな主旨説明から始まったマクラは、圓雀師匠の趣味の話へ移っていく。圓雀師匠は定期的に公演を観に行く宝塚歌劇団の大ファンで、いかに宝塚が凄いかという話をここでも熱く語る。宝塚愛が凄い。
そんな長い話のあと、本編に繋がるマクラ。東京には山が無い。高尾山は昔は遠かったので東京の山ではなかった。東京でお山と言えば上野の山。それに比べると、京都は山ばかり。この日は、圓雀師匠のみがネタ出し。なので、山の話によって、いよいよ愛宕山が始まると感じさせる。

本編は鳴り物入りで、陽気に賑やかに。登場人物の設定は、京都室町辺りの若旦那と東京をしくじって上方に来た幇間の一八と繁蔵という型。若旦那や取り巻きの芸者衆の京都弁と、一八と繁蔵の江戸弁の対比が楽しい。圓雀師匠の京都弁も違和感がなく、難しいと思われる使い分けが上手い。山を登りながら唄う一八の唄も、流暢で聴かせる。
一八が谷底に飛び降りて小判を拾う場面は、大汗かいての熱演。動きが多いし、力が入る場面なので、かなり体力消耗する演目だと思う。大きな体を目一杯使って、一八の奮闘を描く。馬鹿々々しい場面だが、一八の必死な形相によって、無事に帰還を果たしたときは、客席にも安堵の気分が広がる。なので、下げの可笑しさも効いてくる。
この会の牽引役であり、この三人の中では一番上の兄弟子の圓雀師匠の奮闘の高座でお開きとなった。


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