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落語日記 独特の世界観を持つ羽光さんが、創作の裏側を覗かせてくれた会

SHINCHO高座「矢来町土曜早朝寄席」第60回 笑福亭羽光の会
3月20日 新潮講座 神楽坂教室
新潮社が主催しているカルチャー教室である新潮講座の神楽坂教室を会場として、SHINCHO高座と題して、毎月一回不定期で土曜日の午前10時開演、二ツ目が単独で出演する形式で開催されている落語会。
この会は、昨年の11月7日の柳亭市寿さんの会にお邪魔して以来。先日の末廣亭での遊雀師匠主任興行に出演されていたのを拝見し、凄く気になった羽光さんの真打昇進直前の卒業公演とあって、出掛けてきた。
ソーシャルディスタンスを意識したゆとりある椅子の配置と、窓を開けての換気というコロナ対策の会場。羽光さんのご贔屓さんらしき熱心なお客さんが駆けつけているようだった。

昨年のNHK新人落語大賞で見事に大賞を受賞した笑福亭羽光さん、御年48才であり、遅咲きの新人なのだ。笑福亭鶴光門下で、師匠と同じく落語芸術協会に所属し、東京の寄席において上方落語で勝負されている。お笑い芸人や漫画原作者などの前職を経て、平成19年6月に前座入り。34才という、かなり遅いスタートだ。
なので、落語家以外の職業で社会人経験を積んでからの落語家修行。なるほど、羽光さんが作った新作には、それまでの人生経験が色濃く反映されているように感じる。決して無駄な回り道ではなかったと思う。

笑福亭羽光「みんな京阪」
まずは、本年5月上席より真打昇進披露興行が始まることから、その真打昇進を控えての心境を語ってくれた。
この早朝寄席のように、二ツ目しか出られない落語会は卒業となる。深夜寄席のようにコロナ禍の影響で中止となっている会もあり、それらは卒業公演も出来ないまま昇進となってしまう。嬉しくもあるが、このコロナ禍において昇進されることの、複雑な心境を象徴するようなお話。
真打に昇進すると落語家としてどう変わるべきか、そんなご自身の不安も覗かせる。下ネタは封印すべきか。身なりや行いにも真打らしさを求められると、羽光さんとしては困ってしまう。着物もほとんど貰い物で、今回の昇進を機に新たに着物を誂えたのも、今までにあまり経験無いこと。
奥様の地元の三島では、落語会を行っているので結構有名人。特に運転が下手で有名。気楽に車にも乗れない。そんなプレッシャー。
他人から見るとそんな大げさなと感じることも、当人にとって見れば大事だという可笑しさ。笑ったら悪いような気がする可笑しさだ。そう感じさせることが、不思議な羽光ワールドを象徴している。

初めての経験といえば、真打昇進の記者会見。ここで鶴光師匠が嬉しそうだったのが印象的だったらしい。どんな真打になりたいかという質問を受けるが、自分としては急に変われないと思いつつ、オリジナリティを追求したいと答え、真打ならぬ「珍打」とボケたのに、記者の皆さんにはスルーされたそうだ。
昇進前のこの時期だからこそ聞けるマクラに、この日の観客の皆さんは、きっと応援しようと思ったはず。

本編は、後輩の桂三実さん作の新作。関東で仕事していると、関西弁が上手く喋れないときがあるというご自身の経験談を語りつつ本編へ。
噺は演劇の主役を射止めた役者が、関西弁のセリフのイントネーションに手こずり、同じ境遇の先輩役者に相談するという二人の会話で進む噺。先輩役者からのアドバイスは、関西弁と同じイントネーションの標準語を頭の中で想像して置き換えるという高等テクニックを伝授される。これは言葉で説明するのは難しい。言葉遊びの要素大で、登場する単語の面白さで笑わせる。緻密なセリフの設計になっているので、結構難しい噺だと思う。無事に下げて、ほっとする。

笑福亭羽光「鶏と卵」
続けて二席目、今度は羽光作の新作。マクラは、コロナ禍で打上げ無しとなっている状況から。羽光さんは飲み会が好きじゃないので、助かっているとのこと。また、配信による落語にも慣れてきたそうだ。この状況でも、めげずに取り組んでいる落語家さんの心境を伝える話。
本編は、言葉を言えなくなる病気をモチーフとした噺。この病は、本人の意志とは関係なく、特定の単語が別の言葉に置き換えられてしまうという症状が起きる。夫婦の和やかな会話が、突然、言葉が置き換えられてしまうことによって巻き起る騒動。例えば、結婚記念日が「健やかなるときも病めるときも一緒にいることを決めた日」と変わってしまう。フレンチレストランで結婚記念日のお祝いをしようとする夫婦の愛情深い会話が、なんとも滑稽な会話に変わってしまう。不思議な可笑しさ満載の一席。

仲入り

笑福亭羽光「ん廻し」
後半は時間が余ったので、二席やります宣言。マクラは、新作派の羽光さんの古典落語に対する思いを語ってくれた。
古典落語の凄さを感じたのが、先日出演された新宿末廣亭での遊雀師匠の主任興行。なんと、びっくり。私も聴きに行って羽光さんの凄さを感じ、この早朝寄席に行こうと思う切っ掛けとなった末廣亭3月上席の話題が登場するとは。
羽光さんは、ここで遊雀師匠の凄さを語ってくれたのだ。遊雀ファンとしては嬉しい限り。
遊雀師匠の得意技、私が勝手に名付けた「ぶっ込み」。これは、前方の出番の演者のネタやクスグリを、自分の噺の中にアレンジして入れるという高等テクニックのこと。遊雀マニアにとっては、毎回どんなぶっ込みを見せてくれるのか、楽しみなポイントなのだ。羽光さんは、遊雀師匠のぶっ込みが如何に凄いかを解説してくれたのだ。
そんな遊雀師匠の技が、古典の真髄を分かったうえで自由に遊ぶことの凄さを象徴しているとして、技術より古典落語の真髄の理解の方が大切だと説明された。
また、寄席は団体戦であって、主任の高座が最高に盛り上がるようにするのが前方の出演者の役割りがあること。これを、遊雀師匠の主任興行に出演して痛感されたそうだ。
そんな思いを語った後の本編は、古典の一席。このネタは、たまたま末廣亭で聴いたものと同じ。なるほど、まさに古典の真髄を分かったうえで自由に遊ぶことを目指された、それが伝わる一席だった。

笑福亭羽光「偽物落語家」
最後の一席は、まさに羽光ワールドを象徴する噺であって、このネタで会を終えることで、羽光さんの落語が観客により強烈な印象を刻んだに違いない。
マクラは、アマチュアとプロの境が分からなくなっているというお話から。最近は、落語家でない俳優、タレント、地下アイドルなどが落語を披露して、大勢の観客を集めている。その集客力は凄いし、実際に落語も上手い。そこで感じるのは、落語を語ることを職業としているプロの落語家とは何だろう、ということ。寄席で辛い前座修行をした者だけがプロの落語家なのか。観客を楽しませることにより優る者が本物の落語家なのか。
羽光さんはそんな疑問を提示したのみで、答えは披露していない。しかし、この疑問の提示を聞いて、羽光さんはこの答えは既に持っているのはないか、私はそう感じた。
その答えは、プロの落語家としての矜持に関わることであり、プロの落語家としての拠り所に関わるものだと私は思う。そのプロの矜持や拠り所が、セミプロによって揺れ動かされているのだ。羽光さんは、そんな疑問や不安に対する答えとして、この噺を作ったのではないかと思えた。

本編は、そんなプロ落語家の葛藤を背景に、自らを主人公として人気の偽物落語家を殺していくという、近未来が舞台の噺。狂気や残酷さのある筋書きだが、それが突き抜けているがゆえに、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうのだ。
偽物をレプリカントと呼ぶ。この噺は、フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」からインスパイアされたものであることを解説された。リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演のSF映画「ブレード・ランナー」の原作小説だ。私の大好きな映画の原作に触発されて作られたという話を聞いて、ますますテンションアップする。
この作品で描かれる未来社会には、労働力を補うために造られたレプリカントと呼ばれる人造人間がいる。彼等には感情もあって、人間と見分けがつかない。人間に反抗したレプリカントを捕まえる役目の主人公が、人間とは何か、人造人間と人間の境は何か、本物とは何だ、と悩む姿が描かれている。そこからの発想で、本物の落語家とは何か?、プロとセミプロの違いはどこにあるのか?、それらをテーマとした新作落語に仕上がっている。
世の中は常に変化し続けている。その世の中で生きていることへの恐れや不安。これらと向き合うことが羽光落語の根底にあるようだ。そんな趣旨のお話をされていた。なるほど、羽光ワールドを作り上げている秘密がそこにあったのか、と納得。
この日の高座は、羽光落語の舞台裏を覗かせてくれて、より楽しめるものとなっていた。真打昇進後の羽光さんが、ますます楽しみとなった。

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