見出し画像

落語日記 古典の名作の改作に挑戦している馬治師匠

第28回 馬治丹精会「夏の芝浜」
7月28日 日本橋社会教育会館

金原亭駒平「手紙無筆」

三増紋之助「曲独楽」

金原亭馬治「青菜」

仲入

金原亭馬治「夏の芝浜」


裏方のお手伝いをさせてもらっている馬治師匠主催の独演会。この日も、受付などの作業の合間に客席脇の通路から、ときおり覗かせもらう程度でしか高座を拝見できなかった。なので、高座の感想は無し。
その代わり、この日のネタ出しの演目「夏の芝浜」について、今までの経緯などを記録しておく。

私の記憶では、この「夏の芝浜」を高座に掛けるのは今回が4回目。この演目をネタ下ししたのが、2018年8月10日らくごカフェで開催された「夏の芝浜 はじめました!」という馬治師匠主催の実験落語の会。その翌年の2019年8月8日の第17回馬治丹精会で掛け、その年の池袋演芸場9月下席昼の部の主任興行9日目に寄席でも初披露となった。その後、コロナ禍もあって、結果的に長い熟成期間となって、この日の4回目の披露となった。
よって、この噺は4年ぶりという久々の口演。お蔵入りしていた熟成期間の影響を受け、また年齢を重ねながら演者と共に変化するのが高座。この噺も、まだまだ進化の過程にある。これからも楽しみは続く。

この「夏の芝浜」は、単に季節外れのこの時季に「芝浜」を掛けるだけではない。冬の定番である名作を、夏の噺に舞台や筋書きを大胆に改作したのだ。この夏に掛けられる芝浜という馬治師匠のコンセプトを元に、放送作家の和田尚久先生が台本にした。この台本を元に、馬治師匠が独自のアレンジやクスグリを加えて磨いてきた。
この改作にあたって馬治師匠が大切にしたことは、改作であっても本来の噺の持ち味や雰囲気、そして根底に流れるテーマを変えないようにした筋書と演出。まさに、古典落語を大切にされている馬治師匠ならではのこだわりだ。こんな実験的な改作という企画でも、古典落語に対するリスペクトを感じさせ、本寸法な語り口で聴かせてくれる。そんなところは、馬治師匠らしい。

ネタバレを避けたいので、改作による新たな筋書の詳細はここで書かない。ただ、改作のポイントなるところだけを記録しておきたい。
この「芝浜」という演目は、夫婦の憎愛や家族の再生を描いた人情噺であることは大前提なのだが、江戸の庶民の暮らしぶりや年の暮れの情景が描かれていて、その情景をしみじみと味わう噺でもあると考えている。
この噺の終盤では、大晦日の一日を舞台に、庶民が新年を迎える準備が描かれている。今でもそうだが、年が改まるという年始は、物事が改まり新たに始まると考えられたいたらしい。なので、大晦日は家を掃除し身を清め、神聖な一日として新年を迎える準備をするという特別な一日だ。
この噺では、夫婦の関係の新たな一歩を踏み出そうという思いで、大晦日に女房が亭主に告白をする。女房にとっては、新たな関係が新年から始まり、今までのことが改まるという大晦日だからこそ、思い切って告白しようと決断したに違いないのだ。
この女房の思いは、観客側も同様の感情を持っているから共感できること。今年の反省や後悔を清算し、来年こそはその反省を活かして仕切り直しだ、皆がそう思う大晦日。そんな感情を共有する観客だから、今までのことを悔いて新たな関係を始めたいという女房の思いが、より強く伝わってくるのだ。

このように、この噺と大晦日という冬の一日とは、切っても切れないもの。そんな噺を、あえて真夏に掛けられるように改作しようというのだ。かなり無謀であり、難しい挑戦なのだ。
そこで、この噺の舞台を夏に移すために和田先生が用意したのが、真夏の風物詩。大晦日に対抗できる真夏の行事、皆が知っている夏の特別な一日、それが迎え盆。そこから和田先生が発想を進めて、この噺を改作したのだ。
迎え盆を舞台にすることにより、物語が大きな変化を見せる。和田先生のこの発想が素晴らしい。馬治師匠の思いと同じく、芝浜の本質を変えず、新たな物語を生み出した。さすが、落語を愛する和田先生ならではの作品となっている。

本家芝浜は、三代目桂三木助師が現在の形を完成させ、屈指の人情噺として落語界の資産となり、今では多くの落語家が高座に掛ける名作となった。そんな偉大な名作に対する挑戦は、これからもまだまだ続いていく。今後はこの改作「夏の芝浜」が落語界全体の資産として多くの落語家に掛けられるようになり、新たな古典となっていくことを、この会に関わった者として切に願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?