記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

落語日記 上方落語の名作を寄席の主任興行で披露した菊太楼師匠 その1

6月9日 鈴本演芸場 6月上席夜の部 古今亭菊太楼主任興行
鈴本演芸場6月上席夜の部は古今亭菊太楼師匠が主任を務め、「地獄八景亡者戯」を前編「三途の川の巻」と後編「閻魔の庁の巻」に別けて、これを奇数日には前編を、偶数日には後編を口演するという二日間で通しとなる形式の特別企画公演が開催された。なかなかに画期的な企画だし、菊太楼師匠も好きなので、前編の9日と後編の10日の二日連続で拝見してきた。
この「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、上方落語の演目で、3代目桂米朝師の十八番として知られている演目。江戸落語でこの演目を掛ける落語家は、私は知らない。今回の企画は、かなり貴重で、かなりのチャレンジだと思う。
まずは、前編の日の日記から。

林家楽一 紙切り
(途中入場)紫陽花 ゼレンスキー大統領 黒猫と女性と太った男性
ゼレンスキー大統領というお題に、苦笑いする楽一さん。会場は爆笑。切り上げたのは、広島サミットで岸田総理と一緒に献花する大統領。見事な出来栄えに、大拍手。
黒猫のリクエストに、紙切りで色は切れない、他に切れないものとして、幼稚園での逸話を紹介。園児からのお題が、アイス。どんなアイス?と一楽さんが尋ねると、園児の答えが、イチゴ味。これも爆笑。
紙切りの見事さで、その腕を上げている楽一さんだが、話術の腕も上げているようだ。

柳家喬太郎「同棲したい」
釈台を置いて、座布団の上にも小さい座布団を重ねる。相変わらず、膝の調子がお悪いようだ。
紙切り後の出番前、前座さんが高座に落ちた切りくずを拾い集める。その瞬間が好き、と言う喬太郎師匠。まさに、この瞬間を捉えた話題。また、仲町通りの家庭的な居酒屋という鈴本の近所の思い出話。そんなマクラで、一気に観客を引き付けた。
本編は、お馴染みの新作。真面目なお父さんの、突き詰めると奇妙なことになる願望の可笑しさが、この日も爆発。

桂文我「梅の植木売り」(演目名は不明なので適宜命名)
文我師匠は初見の上方落語家。ネットで調べると、珍しい噺の掘り起こしに力を入れている熱心な落語研究家のようだ。この日も、名人たちの思い出と珍しい小噺を披露し、研究熱心な勉強家であることを強く印象付ける。
主任の菊太楼師匠に「地獄八景亡者戯」の稽古を付けたご縁で、この芝居に顔付けされている。
植木屋で客との会話。芽が出て花があって葉が出る、それでは買おう(顔)という良く出来た駄洒落の小噺。こんな小品小噺が集まって落語になるのだろう。
花見の話題。昔は桜ではなく梅 梅、桜、藤、紫陽花と季節と共に花が移っていく。昔の花見は梅だった。これも小噺の下げに繋がる話。全国から梅を集めた店、四梅(芝居)、夜梅、淫梅、喧嘩両成梅などの梅を売っている。そんな梅屋が廃業、そこで下げになる。これも良く出来た小噺。ちょっと笑えて、ちょっと感心。ほのぼのした世界を紹介してくれた。

ホンキートンク 漫才
マイクが充分に上まで上がらないアクシデント。少ししゃがまないとマイクの前に顔がこない。結構やりにくそうだが、これもイジリ倒して、笑いのネタにする。相変わらず遊次さんは大汗かいての熱演。

春風亭百栄「桃太郎後日譚」
のんびりしたマクラは定番。この時間で、気が付けば百栄ワールドに引き込まれている。
名人の噺は、場面が浮かんでくるので脳を使わない。でも、私の噺は、脳を働かせないと場面が浮かんでこないので脳を使う。なので、お客様の脳にとっては良い効果がある。名人の噺は聴かない方がよい。そんなマクラで、本編は、これもお馴染みの新作。桃太郎のお供となった犬と猿と雉の三匹が、やさぐれていて可笑しい一席。

ペペ桜井 ギター漫談
この日もお元気な様子。お開きの曲「さよなら」も、この日は力強く弾いていて客席を盛り上げてくれた。

古今亭菊太楼「地獄八景亡者戯・三途の川の巻」
この演目を生で聴いたのは、2019年3月の末廣亭遊雀師匠主任興行のゲストで出演された桂春蝶師匠の一席。寄席サイズでクスグリたっぷりの一席だったので、フルサイズで聴くのは今回が初めての体験。それも江戸落語で聴くという、貴重な体験となった。
特別企画公演のサブタイトルが「地獄は楽しいことばかり」とあるとおり、菊太楼師匠の一席は、楽しさ満載の一席だった。

この演目は上方落語の特徴とされている旅噺に分類されるもので、冥土の旅を描いている。その冥土の風景は、この世の世相が反映されていて、現実世界が投影されているようだ。この世の風景や出来事、人物などが地獄に在ったらどうなるのか。そんな視点で、この噺では現実世界のパロディが、全編に渡って次から次へと描かれていく。
故人となった先人たちが、あの世でどう過ごしているのだろう。故人を偲ぶときの感情も笑いの種となる。冥土に行っても、故人も現世と同じように過ごしていて欲しい、我々も死後は苦しむ世界には行きたくない、そんな願望が詰まっている演目なのだ。
この世で感じる恐怖や苦痛や悲痛などの感情が、想像の中で膨れ上がって、これらの感情で溢れている世界が地獄なのだろう。これは、地獄の存在が悪行を戒めるための手段として言い伝えられてきたことからも分かる。
ところが、そんな戒めをあざ笑うのが落語。地獄の沙汰も金次第など可愛いもので、地獄にも楽しい場所はあるし、人間味あふれた鬼や閻魔大王がいる。また、鬼たちに懲らしめられても、抜け道や裏技があるという爽快感も味わえる。この噺はそんな演目なのだ。

菊太楼師匠の一席は、上方落語を基本として、独自のクスグリが盛り沢山。冥土の道中を旅する亡者の皆さんは、地獄の閻魔庁に向かって旅しているようには見えない吞気さ楽しさにあふれている。若旦那と幇間や芸者などの取り巻きが一同で旅するところなど、まさに落語の愛宕山のようだ。
その冥土の風景も、現世と同様な世相によって変化を見せている。リストラなどで伝統的な職業が無くなっている。職を失った三途の川の奪衣婆たちがテレビショッピングで成功した話など、上手いパロディの宝庫となっている。三途の川では環境問題があって、今は浄化が進んでいるなどの話題も可笑しい。
前編は、渡し船が三途の川の向う岸に到着して、亡者たちが六道の辻へと向かう前まで。六道の辻から閻魔庁へ向かう大騒動は明日の後編で。ここで、前編のお開き。日記も、その2に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?