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落語日記 新たなステージに突入された一之輔師匠

第20回一之輔たっぷり 後援会主催落語会
1月31日 鈴本演芸場 余一会夜の部
毎年1月31日と8月31日の年2回、鈴本演芸場の余一会を利用して開催されている一之輔師匠の後援会主催の会員限定の落語会。ここのところ毎回参加している。一之輔師匠の独演会としては、私が通えている唯一の落語会。年に一、二度拝見できる貴重な機会になっている。
ネット上での一之輔師匠のインタビュー記事の中に、寄席と独演会では違うのかという質問に対して、寄席はちょっとよそ行き、独演会は傍若無人、という趣旨の一之輔師匠の回答があった。この回答のように、特に熱心な一之輔ファンが集っているこの会ならではの、傍若無人な一之輔師匠の弾けっぷりが楽しめる会なのだ。
 
春風亭いっ休「たらちね」
前座は三番弟子。ネットで拝見したのだが、京都大学理学部出身で京都大学落研OBとのこと、これにはビックリ。
初高座が鎌倉のお寺での落語会。主催者のお坊さんも含め出演者全員が坊主頭で、住職よりも自分の方が僧侶らしかった。そんなご自身の風貌の自虐ネタで、前座ながら大盛り上がり。
その際のネタが子ほめで、「付け焼き刃は剝げやすい」というセリフだけで大受け。本編も丁寧な一席。三つ指ついての挨拶など仕草も丁寧。名前をお経風に読むところは、マクラでのエピソードも効いていて、声が良くて本職の読経のように上手くて可笑しい。前座ながら、個性豊かで、将来が楽しみな若者だ。 
 
春風亭一之輔「噺家の夢」
不機嫌そうな表情で登場するのが師匠らしさ。たっぷりのマクラがこの会の魅力。まずは地方公演の話。喬太郎師匠と三三師匠の三人で九州を廻ってきた。
地方公演では、落語に詳しくて、前のめりな観客がたまにいる。そこでも熱心なファンから感想を伝えられた。そんな観客との交流が爆笑を呼ぶ。
一之輔師匠の落語はマニア受けするものであり、そんな落語マニアに支えられているのも事実だろう。だが、落語を初めて聴くような素直な観客を期待する気持ちも、一之輔師匠にはあるようだ。私も含めて後援会の皆さんにとっては耳が痛いような話なのに、つい爆笑してしまう。
一之輔ファンにとっては、マニア的自虐心を刺激されるマクラ。一之輔師匠自身の葛藤をも感じさせる本音のようなマクラを聴けるのも、後援会主催の会ならではだ。
 
本編は初めて聴く噺。今は掛ける演者が少ない珍しい演目だと思われる。ネットで調べると、柳家喜多八師が得意としていた噺らしい。地方興行に行った先が、めちゃくちゃ物価の安い場所。豪遊出来るので、噺家なんか馬鹿らしくてやってられないと移住を決めたら・・・という噺。田舎者の長閑さが、一之輔に合っている。のんびりとした滑稽噺からスタートさせた。
 
春風亭一之輔「粗忽の釘」
二席目のマクラは、ゲストである兄弟子の柳朝師匠の話から。惣領弟子と二番目の自分との間には7年の間隔がある。なので、師匠に習うより何でも柳朝師匠に習った。入門当時、柳朝師匠の自宅に通っていた。通い出して一週間後に泥棒に入られた。その際の兄弟子との会話で、またまた爆笑。一之輔師匠に言わせると、柳朝兄さんは良い意味で大らかな人。そこから本編へ。
この噺の主人公は、やるべきことを行動しながら忘れてしまうという、粗忽すぎにも程があるだろうという人物。そんな人物が傍若無人に暴れまわる、一之輔師匠の代名詞と言ってもいい十八番中の十八番の噺。掛け続けてきたこの噺は、一之輔ファンならさんざん聴いてきている。なので、今回は贔屓を前に、この噺の進化の途中経過を報告、といった感じの高座だった。
隣家に謝りに行って語って聞かせる自分たち夫婦の人生遍歴。夫婦の馴れ初めから仲良しの新婚時代のフェーフェー行水まで、赤裸々に聞かせるお馴染みの場面。この場面だけで壮大なドラマ、一編の噺として独立しそうな物語になっている。女房の奉公先の伊勢屋だけでも、飼い犬ペロや娘のちーちゃんなどが大活躍。行水の土星の環っかに至るまでも、色々なエピソードが盛り沢山。
なるほど、この噺の進化の様子をしっかり味わえた。相変わらずの弾け具合が凄いし、これをやらずにはいられないという雰囲気が一之輔師匠からあふれていた。
 
春風亭柳朝「一目上がり」
兄弟子に敬意を表して、仲入り前は柳朝師匠の登場。端正で淑やかな高座姿は、暴れん坊の弟弟子とは対称的。
マクラは、一朝師匠との思い出話から。若かりし頃、旅で師匠と同部屋になり、師匠のいびきで眠れなかったこと。そこから、大師匠である先代柳朝師と彦六の正蔵師との関係、談志師などの名人たちの話題。そして、浅草演芸ホールの2月中席の五代目春風亭柳朝三十三回忌追善興行でご自身が主任を務めることを紹介。先代柳朝一門にとって、重要で節目となる行事での大役だ。
本編は、品格のある本寸法な一席。登場する掛物などに書かれている賛や詩の文言もきっちり格調高く読み上げる。八公と隠居の会話も、先生と生徒のような懇切丁寧な授業。八公のボケ方も上品。それでいて可笑しい。一之輔師匠の弾けた二席を聴いたあとだけに、余計にギャップで、そう感じるのかも。芸風の違う兄弟子の高座は、独演会の良い彩りとなった。
 
仲入り
 
春風亭一之輔「意地くらべ」
仲入り後は、長講の一席。マクラは、噛み合わないことの例えとしての話。
頭も骨も食べられるという鯵の開きを食べたときの違和感。また、洗濯機と格闘して漏水事故を起こしてしまったご自身の失敗談。そんな話で爆笑を取ったあと、どうすれば楽に過ごせるかと考えた師匠の解答。仮面をかぶる、自分は別人だと思い込むと楽になる。例えば、自分は家康なんだと思い込むと楽になった。この不思議な理屈、観客に考える暇を与えず笑いに変える。
 
「何事も極端はよくない」と言って本編へ。この噺のキーワードは「極端」。
金銭の貸し借りを廻る強情者三人の噺。この演目は、初めて聴く。ネットで調べると、明治から昭和は戦前までの頃に作家や評論家として活躍した岡鬼太郎(おかおにたろう)が作った新作落語。五代目柳家小さん師の十八番だったらしい。2018年の「朝日いつかは名人会」で一之輔師匠が口演され、持ちネタとして掛け続けているようだ。
以前の「一之輔たっぷり」は、滑稽噺と人情噺を組み合わせる構成で行われてきた。しかし、前回は滑稽噺の三連発という構成だった。昼の部で開催された鈴本余一会「春風亭一之輔独演会」では、「新聞記事」「うどんや」に続いて「心眼」を掛けたそうだ。そして夜の部であるこの会でも、人情噺をトリネタに持ってくる本来の構成に戻したようだ。
 
この噺の主役の仕事に恵まれない男の極端な行動は、恩に報いるためにはどうしても返したい、返すと決めたからには自分に嘘をつきたくないという抑えきれない強い思いが動機となっている。この借金男の強い思いが、意地の正体だ。融通してくれた隠居も、返済資金をかき集めてくれた下駄屋も、自分たちの意地で受け取らない。これが意地くらべというこの噺の根幹であり、人情噺たる所以だ。
とは言っても、一之輔スペシャルな笑いどころの多い人情噺となっていた。この強情な男たちの真面目な強情ぶりが、不思議な可笑しさを生む。まさに三人の強情さが、極端に走っていた。不機嫌な表情が似合う一之輔師匠が、その真骨頂を発揮した一席だった。
また、脇役で、ご隠居の孫よっちゃんという強情者キャラが、道化役として登場。筋書きとは無関係な登場人物なのに、笑いの味付役という大役を務める。
一之輔師匠の噺には、もはや人情噺とか滑稽噺という区別は意味がないもの、一之輔噺というしかないものだと痛感させられた一席だった。
 
この会が終わったあとの最初の日曜日、笑点では新メンバーが発表された。普段は観てないが、新メンバー決定が気になって番組を観た。そこに、一之輔師匠が登場してビックリ。この会ではそんなことは、おくびにも出さなかった。
ただでさえ忙しい売れっ子なのに、これで益々忙しくなるだろう。笑点メンバーは全国の落語会から引っ張りだこだし、落語を披露しないコメンテーターなどでマスコミでの露出も多くなるだろう。それを承知の上で、落語家であるのと同時に、タレントとしての道も歩む覚悟を決められたのだろうと推測している。
ニュース記事の一之輔師匠のコメントから、まだ落語を聴いたことがない人たちに、落語や寄席に興味を持ってもらう役割を担おうとされていることを強く感じた。一之輔師匠の内心は分からないが、少なくとも、落語という大衆芸能の伝道師としての役割を果たせる立場を自ら選択したことは間違いない。一之輔ファンとしては、師匠の決断に敬意を表し、これからも応援していきたいと思っている。

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