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落語徒然草 その7 ネタバレについて考える

先日観たNHKの番組「所さん!大変ですよ」で、ネタバレが話題となっていた。ネタバレとは、小説や漫画、映画、演劇などの結末や謎解きといった作品にとって重要な部分を、ネットなどで公開して暴露してしまうことを言う。このネタバレに関して、この番組の内容は私にとってかなり衝撃的なものだったのだ。

作品を読んだり観たりした人が、ユーザーレビューとしてその感想をネットに書き込むことは、現在では盛んに行われている。ネット社会になる以前は、メディアが限られていたので、情報としては雑誌や新聞などに評論家が書いた書評や映画評論を目にするくらいであった。しかし、SNS全盛の現代では、簡単に感想をアップして、それを万人が読むことができる状況になっている。まさに一億総評論家時代だ。
そのレビューは、感想や評論といったものから感情的な賛否の表示、絶賛から罵倒まで様々だ。そのレビューの中には、作品の具体的な粗筋に触れるものもある。作品中のどんでん返しの仕掛けや、犯人捜しの謎を明かしてしまうものまである。そんなレビューによって、作品のネタバレになっていることが珍しくない状況になっている。ネット上のレビューでは、そんな内容に触れる記載があるものは「ネタバレ注意」という見出しを付けて、閲覧しようとする者に注意を呼び掛けている。このNoteでも「♯ネタバレ」のタグを付けると、記事にネタバレの注意書が表示されるというサービスも始まった。
作品の重要な内容に触れることを書いてしまうと、未だ読んでいない人や観ていない人の楽しみを奪うことになるので、その楽しみを守るという考え方の下に、ネタバレ注意という表示が存在すると、一般的には考えられている。私は、これは当然のことと思ってきたし、今でもそう考えている。

ところが、冒頭の番組「所さん!大変ですよ」の中では、あえてネタバレを先に読んでから映画やドラマを観るという若者が増えている、と紹介されていたのだ。最近の若者の中には、映画やドラマは、粗筋や結末が分かったうえでないと安心して楽しめないという考えの人達が少なからずいるらしい。
番組の取材を受けていた女性たちは、誕生日のプレゼントやサプライズパーティーなども、祝う方も祝われる方も、予め分かっていた方が良いと言う。本当の意味のサプライズは嫌なようなのだ。
どうやら、サプライズで驚かされたりドキドキしたりする楽しみよりも、不安に思う方が勝ってしまうので、これから起こることが予め分かっていた方が安心して楽しめるという理屈らしい。映画などのエンタメにおいても、粗筋を知ったうえで観た方が楽しめるらしい。なので、ネタバレ平気。レビューもネタバレ注意とあるものをわざわざ選んで読むとのこと。これには番組のコメンテーターの皆さんも驚いていた。当然、皆さんはネタバレ否定派だったし、私も驚いた。

そんな番組を観て、いわゆる落語のレビューである落語日記を書いている私は、ネタバレについて色々と考えてしまった。
私の落語日記は元々、自分の鑑賞記録として書き始めたものだ。ネットにアップするようになって、読者の視線を意識するようになり、批評と呼ぶほどではないものの、面白いと思ったところや演者の工夫などの落語マニアとしての感想を記録するようになった。
そんな落語日記を書いていて、いつも悩ましいのは、高座を聴いて面白いと思った演者の工夫やクスグリを、どこまで具体的に書いて良いのだろうかというところだ。古典落語の大筋は同じでも、演者によって様々な工夫がされているので、同じ演目でも演者によって内容が違ってくる。ここが、落語の楽しみの柱でもある。だから、落語の感想とは、演者の工夫や演出そのものを指摘しないと、観客が面白いと思った感動が伝わりにくいという難点があるのだ。
一切公開しない自分だけの日記なら、悩むことはない。しかし、落語のレビューを誰でも目にすることが出来るNoteで公開してるのだ。

この悩みは、未だにはっきりした結論は出ていないし、判断基準もあやふやである。悩んでいるなら、書かなきゃイイじゃん。そう言われれば、まさに、そのとおりなのだ。
しかし、素晴らしい高座と出会ったときに、その素晴らしさを伝えたいという思いも強い。演者の工夫や熱演が、感動や興奮を呼ぶ。その素晴らしい感動の元は、いかに工夫されたものか、いかに熱演で表現されたものだったのかを日記に書いて残しておきたいという強い思いがある。なので、その工夫やどんな熱演だったかを説明するために、クスグリや演出手法の具体的内容に踏み込んでしまう。すると、その演目をその演者で聴いたことがない人にとっては、聴く前に私の落語日記を読むと、まさにネタバレになってしまう恐れがあるのだ。
この感動を伝える巧い形容詞が見つからない場合は、素晴らしいと思ったところを具体的に書かないと、上手く伝えられない。ここは書き手の技量の問題でもあるので、批評の語彙不足と言われれば、確かにそのとおり。私自身がネタバレは好きではないので、具体的な記載を踏みとどまるときもある。ネタバレしないように具体的な表現を避けるように気を使うところもある。明らかにこのネタバレは駄目でしょ、というような書いてしまったら不味いクスグリもあり、迷うところなのだ。
演者の表現力や力量があるからこそ、工夫や熱演によって高座が素晴らしくなるのであって、文字だけでは充分に伝えられない歯痒さもある。言葉で伝えられる感動は限られている。実際に客席で聴いて受ける感動には敵わないのだ。なるべくネタバレは避けたいが、実際に客席に居なければその面白さは十分に味わえないのだから、という言い訳を心の片隅に置き、色々と悩みながら書いている。ネタバレのマイナス要因より、これを読んだ人が聴いてみたいなあと思ってもらえるというプラス要因の方が勝っていれば、書いた甲斐がある、そんな逃げ口上もある。大仰な表現だが、演者の営業妨害にならないようにとも思っているのだ。

なので、「所さん!大変ですよ」を観たときは、本当に驚いたのだ。落語日記を書くにあたっての葛藤も、ネタバレが必要な若者、ネタバレが逆にプラスに作用するという若者に対しては、何も悩む必要がないことなのだ。ネタバレに対する思い悩みや逡巡は、何だったのだろうということになる。
そこで、私の落語日記の今後について考えた。結論は出ていない。でも、今までと記載の方針を変えることはしない。ネタバレと向き合いながら、悩みながら、ネタバレと葛藤しながら書くことは変わりないだろう。
ただ、せっかくのNoteの新しいサービス、「♯ネタバレ」のタグを付けると注意書きが表示されるというサービスは利用しようと思う。もしかすると、ネタバレ大好きな人のアクセスが増え、ネタバレ大好きな人からのスキが増えるかもしれない、そんな色気も頭をよぎる。ネタバレについて悩める日々が、まだまだ続きそうだ。
なお、実験的にこの記事に「♯ネタバレ」のタグを付けてみた。内容はネタバレでは無いので、悪しからずご容赦ください。

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