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落語日記 上方落語沼に引きずり込む落語会

落語日記 上方落語沼に引き込む落語会
木馬亭ツキイチ上方落語会 2月公演
2月9日 木馬亭
木馬亭の自主企画公演で1月から定期的開催されている寄席形式の上方落語の会。1月に続き、今月もお邪魔してきた。
この日の出演者も、初めて拝見する方ばかり。まだまだ自分の知らない落語の世界が広がっていることを痛感し、ますます上方落語沼にハマりそうだ。
 
立川笑王丸「道具屋」
前座は立川談笑師匠の弟子の笑王丸さん。初めて拝見。この会の前座は立川流か円楽一門会から選ばれているようだ。寄席の定席で拝見できない前座さんたちなので、この会はそんな前座さんたちを拝見できる貴重な機会でもある。
「上方落語の会ですが、前座は江戸落語です」こんなセリフから客席を掴む。メリハリのある一席で、笑いも多い。寄席で観る前座さんとは違った印象。立川流には、まだ見ぬ強者が大勢いるようだ。
 
桂三度「転失気」見台あり
この日の四人には、見台を使う方と使わない方の両方がいらっしゃる。演目などで使い分けているらしい。なので、参考のために、見台の有り無しも演目の横に記録することにした。
この日の先鋒役は、文枝師匠の弟子で世界のナベアツという芸人から落語家に転身された三度師匠。2011年に当時の桂三枝師匠に弟子入りし、2018年NHK新人落語大賞を受賞されている。その際も当時の入船亭小辰さん(現十代目入船亭扇橋師匠)と同率1位になり、決選投票を経ての優勝という実力派なのだ。この日の出演者の中で、唯一知ってる落語家ではあるが、落語を聴くのは初めてだ。
マクラは、時うどんの見事なショートバージョンを披露して、我々がよく知っているポピュラーな映画やドラマを次々に凝縮圧縮したバージョンで聴かせてくれる。たいがいが短い小噺のようで、これらと時うどんを比べてみても落語のストーリーの複雑さが分かるでしょうと語り、落語という芸能を持ち上げる。
本編は、それぞれのキャラが際立つ本格派。世界のナベアツ時代のアホ顔は見せなくても、登場人物の言動で笑わせてくれた。
 
桂紅雀「打飼盗人(うちかいぬっすと)」見台なし
次鋒役は枝雀師の最後の弟子の紅雀師匠。長いマクラは、漫談になっていて、これだけでも一席の価値がある。本編も含めて、私的笑いの量は、紅雀師匠がこの日一番だった。
マクラは、大阪には変な人が多いが、東京にも変な人がいたという東京遠征の話題から。ホテルから木馬亭への道のりは、スマホの道案内アプリで来られた。このスマホのアプリ、後輩に音声入力の使い方教わる。この音声入力のエピソードが秀逸。そこからSDGs、セコムのシールなど、話題がどんどん飛躍していく。便利になった世の中で、人間は退化してきているというテーマへ。トイレの自動開閉する便座のフタ、家電の喋る機能などは無駄の極み。最後の喋る洗濯機の機能の話は、オチまで付いて大盛り上がり。
共感の笑いを起こすマクラが、客席との距離を一気に縮めている。これは、この日の四人とも同じだ。
 
本編は江戸落語でいう「夏泥」「置き泥」。幕開けは、泥棒が敷居の下に穴を掘る場面から始まるので、最初は「もぐら泥」かと思った。この穴を掘る音を、ボリボリバリバリと表現するところが可笑しい。この音に気付いた住人との掛け合いにもなる楽しい擬音。
真っ暗闇で気付かなかった泥棒も、なぜか有る蝋燭とマッチで灯りをつけて部屋を見て、何もないのにビックリ。住人の物語る事情を聞いて、共感していく様子から泥棒の人の好さが伝わる。最後は、住人と泥棒の二人とも騙された女が同じだと気づき、二人は兄弟分となってしまう馬鹿々々しさ。なので、兄貴分として困っている弟分を助けるという理屈が成り立ち、泥棒が金銭を恵んでやる。こんな展開は江戸落語では聴いたことがない。金をせびるのも、着物代までで終わる。この辺りも、くどく無い。
仕草や語り口など紅雀師匠独特のものなのに、爆笑を呼ぶところは枝雀DNAを感じさせる、そんな一席。
 
仲入り
 
桂福丸「厩火事」見台なし
クイツキの出番は、福團治師匠の弟子の福丸師匠。女形の歌舞伎役者のような風情で、なかなかの優男。灘中学・灘高校・京都大学法学部を卒業し落語家となったという高学歴。主任の佐ん吉師匠から紹介されるとき「アホちゃうか」。
福丸師匠も、東京に来た印象の話から。東京の国立演芸場は立派で、皇居と最高裁判所に挟まれている。大阪の国立文楽劇場は、たこ焼き屋と呑み屋に挟まれてます、と比較して笑わせる。奈良の老人会での落語会の仕事でのエピソードなど、ここでも経験談を可笑しく語り、笑いを呼ぶところは凄い。
本編は、お崎さんが妙に色っぽい厩火事。まさに寄席の玉三郎。私が勝手に名付けてるだけだが、女形のような風貌とともに、語り口も柔らかで、お崎さんの女性らしさが際立っている。
この演目も江戸落語とほとんど同じ。ただし、下げが特徴的。福丸師匠独自の工夫なのかも知れない。亭主がお崎さんの身体を気遣うところは同じなのだが、下げのセリフの前に一呼吸の間があり、亭主が本心から女房を心配していることを胡麻化すかのような、照れ隠しのような気配を感じさせながら、下げのセリフを語るのだ。亭主が善人であることを明確に伝える下げなのだ。これは今までに聞いたことがない亭主の表情であり、かなり新鮮に聞こえた。
 
桂佐ん吉「くっしゃみ講釈」見台あり
主任は吉朝師の弟子の佐ん吉師匠。この日の顔付けは、主任の佐ん吉師匠が担当されたとのこと。この三人の濃いメンバーを一人ずつ紹介。大阪でもなかなか見られない組み合わせ、それを東京で実現したというのが、この落語会の凄さだ。紅雀さんは大阪でも見られません、と最後にオチを付けるところはさすが。
マクラは、そんな出演者紹介から、このレトロな雰囲気の会場について。上方の落語家さんたちには、この木馬亭は評判が良いようだ。そして、芸の世界での血統の話へ。伝統芸能の中でもあまり血統にこだわらないのが落語、それでも二世落語家はいる。優秀な二世落語家は、本人の力量による。競走馬の種牡馬の例え話も面白いが、どこかシニカルで、落語家らしい笑える毒を感じるマクラだった。
 
本編は、上方発祥の噺で、上方らしく「くっしゃみ講釈」と小さな「っ」が入る演目名。桂枝雀師の十八番だった噺らしい。
八百屋に胡椒の粉を買いに行く際、何をどこにどれだけ買いに行くのかを聞いたそばからすぐに忘れる場面。ここは、何度も執拗に質問を繰り返す。ここでは、受けるまでボケ倒すという力技を見せる。
この他でもボケ倒す場面は所々で見られて爆笑を呼んでいるが、佐ん吉師匠のこの一席で特筆すべき見どころは、覗きカラクリの唄と講釈師の実演場面。佐ん吉師匠渾身の本格的な唄と講釈。どちらも聴き入ってしまう、これぞプロフェッショナルと言える見事な芸。
前半の八百屋の店頭での覗きカラクリの唄は、奇妙な叫び声から始まる滑稽なもの。後半の講釈場での講釈は、難波戦記の一節を、扇子ではない張扇(はりおうぎ)と小拍子で見台を叩きながら、調子良く流れるような見事な講釈を披露。仕返ししようと思っていた男も聴きいってしまい、思わず呟いた「好きになってしまうとこやった」で会場爆笑。後になって気付いたが、講釈の見事さを登場人物のセリフを借りて自画自賛。でも、客席も男と同じく左ん吉師匠の講釈に魅了されていたと思う。
 
個性豊かな四人が、四席四様の高座を見せてくれた。この日の四席の演目は、江戸落語でもお馴染みの演目が並び、その筋書も同じ。上方落語を聴きながら、江戸落語との違いを見つけるのも楽しいが、この日は江戸と上方の違いというよりも、それぞれの演者の工夫と芸風の違いを感じた四席だった。

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