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落語日記 ベテラン四人が研鑽する会

日暮里特選落語会           8月10日 日暮里サニーホール コンサートサロン
芸協の立川談幸師匠、桂小文治師匠と、落語協会の三遊亭吉窓師匠、柳亭燕路師匠という団体の垣根を超えて集まった四人が出演する落語会。この会場を本拠地として、長年に渡って続いている会。この会のように、団体の異なるベテランの四人がレギュラー出演して長く続けている落語会は、なかなかに貴重。
この渋いベテラン四人の会、行きたいと思っていたが、なかなか日程が合わず、今回が初参加となる。チラシやツイッターなどの告知を見ると、談幸師匠が幹事役を務められているようだ。この会場は久しぶり。適度に間隔をあけた座席は、常連さんらしき皆さんで満員。
 
立川幸路「たらちね」
談幸師匠の弟子の女流の前座さんで、「ゆきじ」と読む。今まで聴いたことのない奇妙なアクセントの千代女で、思わず笑ってしまう。
 
三遊亭吉窓「一眼国」
トップバッターは吉窓師匠から。出演順は毎回交替すると決まっているようだ。吉窓師匠は、久しぶりに拝見。
マクラは、明日から始まる浅草演芸ホールでの住吉踊りに出演される話。この後に出演される小文治師匠も住吉踊りに出ていたが、踊りの社中から引退された。なるほど、団体を超えた繋がりは、住吉踊り繋がりだったのかと納得。
本編に繋がるマクラは、見世物小屋の思い出話から見世物小屋の小噺へ。鹿野山の大うわばみの小噺、六尺もある大イタチの小噺などから、穏やかで丁寧に語る吉窓師匠の語り口によって古典の香りが漂ってくる。そんな、本編の一部と言ってよいくらいの長めのマクラから本編へ。
諸国を巡っている六部から旅の途中で見聞した珍しい物の話を聞き出そうとする見世物小屋の親方。六部は正直者で、冷や飯を食わされた後に思い出した話を聞かせる。この場面から六部の実直さや、小狡く見える親方の商売人としての欲望が伝わってくる。また、江戸から北へ向かって遠くに来てからが恐怖の場面も、どこか長閑。これらは、みな吉窓師匠の穏やかな語り口の為せる技。まずは、ちょっと不思議で民話風の怪奇譚で会場を暖める。
 
立川談幸「船徳」
二番手は、この会の番頭役の談幸師匠。ここから三席は、季節感にあふれる夏の噺が続く。
マクラは、ランナーズハイから熱中症ハイになるくらい暑いというお話から。川風に吹かれる心地良さというもの、以前はあったかも知れないが、現代はちっとも川風は涼しくない。この季節は屋形船も、窓を閉め切って冷房を効かしている。そんな現代の屋形船事情の話から本編へ。こんな視点のマクラも面白い。
本編は、居候中の若旦那に対する親方の小言から始まり、若旦那が船頭になりたいと相談する場面からスタートするフルサイズの一席。船宿の若い衆が呼ばれて小言を食らう場面も丁寧に。
そんな前段から、四万六千日様お暑い盛りへ突入。客の二人組もお約束どおり。この二人を虐めるかのような若旦那の船頭のシクジリも、一つ一つお約束どおり。省略せずにコンパクトに収めるスピード感。なるほど、これが談幸師匠の持ち味なのか。そして、若旦那の上から目線の虐め方に、ほんの少しだが談志師の香りを感じた。
 
仲入り
 
桂小文治「たがや」
芸協の寄席に行く機会の少ない私にとって、芸協のベテランの師匠方は新鮮で楽しい。この小文治師匠が醸し出す空気は、寄席の香りを漂わせ、噺に身をゆだねられる安心感を感じさせる。
吉窓師匠のマクラを受けて、住吉踊りを卒業したという話から、夏の話題として花火大会が最近は復活してきているという話へ。そこからは、隅田川の川開きの花火大会の歴史的な蘊蓄を丁寧に。玉屋と鍵屋という二大花火師。花火の褒め方、掛け声は難しい。歌舞伎と面白可笑しく対比。流れは「たがや」へ向かっているな、と観客も期待を膨らませるマクラだ。
「橋の上、玉屋玉屋の声ばかり、なぜに鍵屋と言わぬ情なし」という狂歌の紹介はお約束。鍵屋から独立して一代で川開きの花火を鍵屋と担当するまでに隆盛を極めた玉屋が、出火によって廃業して、まるで花火のように燃えて儚く消えていった。そんな玉屋に対する江戸っ子たちの郷愁を伝える、太田蜀山人作の狂歌。今回、小文治師匠の丁寧な解説を聞いて「言わぬ情なし」が鍵屋だから「言わぬ錠なし」と掛かっていることに初めて気付く。我ながら、気付くのが遅い。
本編は、地噺らしさに溢れ、チャンバラの場面がキリッと切れ味良く。そして、驚いたのが、下げが初めて聴いたもの。武士が馬の後ろ脚に蹴られて、中天高く舞い上がり、川へどっぼーん。武士も箍屋もどちらも首を刎ねられない。こんな「たがや」もあったのか。優しく穏やかな下げで、後味も悪くない。
 
柳亭燕路「鰻の幇間」
この日の主任は、協会のベテラン燕路師匠。いつものように、軽やかに、にこやかに登場。この会はネタ出しではない。なので、マクラの内容から演目を探る楽しみがある。燕路師匠は、いきなり幇間の話をはじめたので、夏の幇間と言えばこの噺だと、すぐに判明。
佐渡のトキと幇間を比べて、いずれも絶滅危惧種という話から。トキは中国の助けで繁殖が進んだ、そのためにはかなりの金を使った。中国ではこう言われている「トキは金なり」。上手い下げに会場感心。幇間も、現在は6人まで増えた、そんな報告は何となくうれしくなる。
 
本編は、野だいこの半八が、手土産の羊羹を持って芸者の姐さん宅を廻るところから始まるフルサイズの一席。省略されることが多い本来の前段部分を、きっちり掛けてくれるところは、さすが主任の一席。
幇間の名前はお馴染みの一八ではなく、半八(はんぱち)。初めて聞く名前、こんな型もあるのか。
半八が、この風呂敷に包んだ羊羹の箱を抱える仕草が見せどころで、噺の後半でもこの仕草が効いてくる。最後まで、1本の羊羹を抱えて決して離さない様子が、半八の意地を感じさせる演出になっている。
最初から不味かったはずの酒や料理を、騙した男を前に半八が美味しそうに飲食する様子は、小三治師と同じ型だ。不味い料理も客の前では美味しそうに食べてみせる芸当は、幇間の技であり、また幇間の矜持なのだ。そんな風に感じさせてくれる燕路師匠のこの噺は、私の好きな型。満足させてくれた主任の高座だった。

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