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落語日記 コアなファンを前に様々な顔を見せてくれた一之輔師匠

第18回一之輔たっぷり
1月31日 鈴本演芸場 余一会夜の部
毎年1月31日と8月31日の年2回、鈴本演芸場の余一会を利用して開催されている一之輔師匠の後援会主催の会員限定の落語会。昨年1月に開催された第16回以来一年ぶりの参加。
東京都にまん防適用期間中の今回は、鈴本の客席の70%という制限された定員で実施された。それでも満員の人気。
一之輔師匠の独演会としては、私が通えている唯一の落語会。年に一、二度拝見できる貴重な機会になっている。この会でしか見せない表情もあり、一之輔師匠の弾けっぷりを楽しみに出掛ける。

この日の鈴本の昼の部では、春風亭一之輔独演会と題する一般公開の公演が行われた。この日の鈴本は昼夜とも一之輔師匠が独占、毎年1月と8月の鈴本演芸場は一之輔祭りなのだ。
そんな昼の部では「鈴ヶ森」「蝦蟇の油」「淀五郎」の3席を掛け、他に浅草演芸ホールの出演もあって、この夜の部の3席を合わせると、この日一日で合計7席をこなされたそうだ。なかなか出来ることではないし、出来る機会もそうそうない。さすが一之輔師匠、落語体力の凄さを改めて見せつけられた。
そんな昼の部の疲れも見せず、この夜の部では、一席目の初っ端からハイテンションな一之輔師匠。その勢いのまま、後援会会員の皆さんという超贔屓の観客を前に、どこか伸び伸びとしていて、自由奔放さにあふれる高座を終始見せてくれた一之輔師匠だった。

春風亭貫いち「のめる」
四番弟子の前座さん。落語協会の前座は寄席ではマクラは振らないが、師匠の独演会なので慣れないマクラに挑戦。
変な癖と言えば、ポテトチップスを箸で食べる友人が酔っ払うとゴボウチップスを箸代わりにする。オチの無いような不思議なマクラ。でも、そんな人たちが集まると噺の幕が開くようで、と強引な幕開けに会場爆笑。
この一席で発見した光るクスグリ。詰将棋作戦を教えたもらったあとで「糠味噌より先に教えてもらいたかった」このセリフ、私にはけっこう刺さった。

春風亭一之輔「短命」
なんと、出囃子は天才バカボンで登場。これはお囃子の恩田えりさんのアイディアとのこと。
まずは、開口一番の貫いちさんのマクラをイジル。落語協会の前座はマクラをふらないので、慣れていない。寄席でなく師匠の独演会などでは、思いきってやっても良い。貫いちさんへ公開説教のようなアドバイスが可笑しい。
この日も、ご贔屓さんへ近況報告のような長めのマクラ。弟子たちからの誕生日プレゼントに電動歯ブラシを贈られた話。何でもない日常が笑い話に変わる不思議。淡々と語るマクラでも、徐々に湧き上がる笑いで会場を暖めたところで本編へ突入。

この会は後援会会員限定、なので客席はご贔屓さんというコアなファンで埋まっている。会場には観客の皆さんの楽しもうという空気があふれている。なので、客席も異様に盛り上がる。そんな客席に乗せられたように、この日の一之輔師匠は、初っ端から飛ばしまくっていた。
ご隠居と八五郎との問答が始まり、弟子の一席を受けての「のめる」の続編という設定をぶち込んできた。弟子の一席と立体的に繋げる荒技だ。この八五郎の言動が、馬鹿々々しさの極致。飲み込みの悪さは桁外れ。わざとボケてるように感じるくらいの弾け具合。
途中で挿入されるエピソードで、浅草演芸ホールの客席にいる老人の描写が可笑しい。寄席の客席アルアルだ。噺の途中で、全く関係ないショートストーリーが挿入されるというのも一之輔師匠の得意技。そしてこの寄席の年配の観客が、次の一席にも登場し、この年寄りは実は大家さんだったと分かる仕掛けになっている。
八五郎の暴走っぷりも凄いが、家で待つ女房も負けていない。家に帰った八五郎が女房にご飯をよそってくれと頼むと、ここぞとばかりに気味悪い色気たっぷりで差し出す。初めて見る女房の反応に、八五郎同様に観客もビックリ。そして爆笑。

春風亭一之輔「天狗裁き」
そのまま居続けて、次の一席へ。マクラは前の一席について。自由奔放で、やりたい放題に遊びまくった一席であることはご自身も認めるところ。これを評して一之輔師匠は「噺とワルツを踊った」と表現。私の感想は、ワルツというより「酔っ払いのかっぽれ」じゃないの。
「客席で自分の落語を聴くことは出来ないが、自分が客だったら一之輔の落語は好きではない」と意外な告白。「一之輔が好きと他人には言えない、こそっと年に2回くらいは観に行くだろう」この自虐的告白に、会場も何となく納得の笑い声。
深読みすると、自分の爆笑落語に熱狂しすぎる観客を皮肉っているのかもと思ってしまう。仮に、客席に向けられた毒舌であっても、観客も納得できるものなので、皮肉も可笑しさになる。私自身も、一之輔師匠の独演会は年2回くらいしか行けてないし、寄席で観る一之輔師匠の高座が好きなので、大いに納得なのだ。
また「自分の落語を、弟子たちには真似して欲しくない」とも。ご自身の落語を客観的に判断している冷静を見せる師匠。こんな告白も、ご贔屓さんが集まった会ならではだろう。

二席目も登場人物たちが自由奔放に暴れ回る。噺の筋書きや噺自体の可笑しさで笑わせているのではない。噺の登場人物たちを、噺の世界の中で一之輔流に自由に泳がせている。登場人物のキャラを極端化させ、自由奔放に泳がせることに関しては一之輔師匠は天才的だ。
これまでの高座を拝見して、以前に感じて日記に書いた感想は間違っていたのではないだろうか、そんな疑問が湧いてきた。二年くらい前にこの会を観たときの感想を、以下のように日記に書いている。
一之輔師匠には、常に満員の観客の期待という重圧と闘っている。常に観客の満足度との競争を強いられ、その期待に応えなければならないという責任を背負っている。毎回の打席でホームランを期待されている。そんな重圧と闘い続けていると。
こんな側面も、事実上あるかもしれない。しかし、この日の一之輔師匠が見せてくれた高座からは、観客を喜ばせたいとか、笑わせたいという重圧が感じられない。一之輔師匠本人自身が、楽しんで演っている。落語の登場人物を落語世界の中で自由自在に操って泳がせることが、楽しくてしょうがない。もっと言うと、やらずに居れない。思わず、やってしまう。そんな風に感じたのだ。
以前の日記の感想から、考え方を改めることにする。一之輔師匠の芸風は、ある意味、天然なのだ。

この「天狗裁き」もかなりオリジナリティあふれるクスグリ満載。なかでも圧巻なものは、最後の最後。天狗様の責めに耐え切れず、八五郎は開き直って「ええ、夢を見ましたよ」と白状。えーっ、やっぱり夢を見てたんかい、と観客の皆さんは心の中でツッコミを入れていたはずだ。

仲入り

春風亭一之輔「百年目」
前半は滑稽噺二席、仲入り後は人情噺や大ネタをじっくり、というのがこのところ定着しているこの会のスタイル。前半の爆笑の空気を仲入りで入れ替えて、マクラそこそこに本編へ突入。
商家が舞台の噺、何の演目が始まったかと聴いていると、この噺が始まったことが分かってビックリ。熱演続きの最後にきて、この重量感のある演目。改めて一之輔師匠の落語体力の凄さに感心。

番頭や大旦那の眠れぬ夜は、観客にもハラハラドキドキが伝わる。前半と違って、迫力満点の人情噺。そんな人情噺の中にも、一之輔師匠らしい細かいエピソードが積み重ねられ、それぞれ可笑しさや味わい深さを感じさせるものとなっている。
眠れない番頭が見た夢は、小僧定吉が番頭になり、自分は小僧としてこき使われる店の風景。笑える場面なのだが、番頭の恐怖心が象徴されていて、シニカルな笑いを誘っている。
また、大旦那が番頭に聞かせる番頭が子供の頃の思い出話。そこでは、同僚の松吉との幼い二人の友情が描かれる。喧嘩ばかりしていた二人。番頭が自分を疑った友を許し、そして別れの場面では子供の番頭が号泣する。ここは客席の胸が熱くなる名場面だ。
そんな一之輔スペシャルの場面を挟みこんだ、一之輔師匠の技量の高さを見せつけた本寸法の一席となった。

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