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落語日記 圓朝の墓所で圓朝噺を聴く

第17回 全生亭
11月3日 谷中 全生庵
三遊亭圓朝の菩提寺である谷中の全生庵で、毎年この文化の日に開催されている馬生一門が出演している落語会。一昨年以来の二年ぶりにお邪魔してきた。
圓朝の墓所がある全生庵では、圓朝の命日である8月11日に落語協会を中心に落語家が集まって圓朝忌という法要を毎年行っている。以前は、この圓朝忌に合わせて「圓朝まつり」という落語協会のファン感謝イベントを行っていた。そんな圓朝所縁のお寺が会場。
高座は本堂に作られ、圓朝作の演目を圓朝の遺影が掲げられているご本尊の前で口演する。落語中興の祖に見られながらの口演は、演者には緊張やプレッシャーがあることだろう。そんな会を馬生師匠と平井住職が話し合って始めたそうだ。それが、今年で17回と続けてこられ、この会自体のご贔屓さんも出来て、毎年満員の人気の会へ育ってきた。
昨年は本堂にびっしりの約200名の観客だったそうだ。今年はコロナ禍の影響でソーシャルディスタンスの座席配置にするため、定員80名と大幅に定員を削減。観客としては、後方の席でも観やすくて良い。
木戸口では、この日出演しない馬玉師匠、馬久さん、馬太郎さんが検温や手指消毒のお手伝い。馬生一門の皆さんで支えている会なのだ。客席には馬生一門ファンの顔見知りもチラホラ、熱心な皆さんだ。

平井正修全生庵住職の挨拶
この会では恒例となっているご住職の開会挨拶。今年はコロナ対策のために定員を大幅に削減したことについて、申し訳なさそうに説明。昨年の集客を考えたら、ここに来られたことだけでも幸運なんだと改めて実感。

金原亭小駒「看板のピン」
コロナ対策で、前座なし、開口一番が二ツ目ですと自己紹介。久々に拝見、すっかり落語家らしくなった印象。どこか馬生師匠の語り口を感じさせる一席。

金原亭馬治「幇間腹」
この日は圓朝ものではない滑稽噺、それもあまり掛けていない演目に挑戦。この会は全部ネタ出しなので、初めて聴く馬治師匠のこの噺を楽しみにしていた。
滑稽噺ではあるが、お調子者の幇間が身体を傷つけられる悲劇でもある。商売のためにお調子者を演じ続け、不本意ながら若旦那のとんでもない要望に応えてしまう幇間の一八。馬治師匠の一席は、若旦那のいい加減で後先を考えない能天気さを明るくノンビリした雰囲気で好演。それに対して幇間の一八は、真面目に芸人をやっている職業人という印象。けっこう冷静に若旦那の行動を見ていて、そのお座敷を嫌がっていることが伝わる。幇間という仕事を通じて、自営業者の悲哀を感じさせる一八。そんな一席だった。

花島世津子 マジック
拍手と書いたボードで、観客との遣り取りで会場を上手く盛り上げる。観客にトランプを引いてもらってその札を当てるというマジックでも、観客との交流で盛り上げるという、寄席芸人らしさあふれる世津子先生。

仲入り

金原亭馬生「真景累ヶ淵 深見新五郎」
前回で牡丹灯籠を全四回で語り終えた馬生師匠。今回から、圓朝の代表作とも言われる「真景累ヶ淵」に挑む。特に傑作とされる前半部分は、抜き読み形式で掛けられることが多い。この日は発端の「宗悦殺し」と深見新左衛門の長男新五郎が皆川宗悦の次女お園に一方的に恋する悲劇「深見新五郎」のくだりを合せた一席。ネタ出しは「深見新五郎」となっているが、夏に怪談としてよく掛けられている「豊志賀の死」の直前までの前半部分を、通しで上手く纏めた。

馬生師匠はこれまでにも掛けてこられた演目、おそらく既に自家薬籠中の噺になっているのだろう。淡々と進める落ち着いた語り口。ふわふわと明るい芸風の馬生師匠だからこそ、どろどろした人間模様も客観的な視点で滑稽に感じるのだ。
特に、深見新左衛門の長男新五郎が皆川宗悦の次女お園に一方的に言い寄るくだりは、新左衛門の欲望が馬生師匠の上品な色気でマイルドに描かれている。なので、突然やってくる悲劇の場面との落差が大きく、結果的に衝撃の大きさが生まれている。
次回は怪談噺「豊志賀の死」、晩秋に怪談噺を聴ける貴重な機会になる。楽しみに待ちたい。
「真景累ヶ淵」は、前半後半を合わせると全97章から成る大長編らしい。特に後半部分は掛ける機会が少ないようだ。今後、年一回の開催の全生亭で、馬生師匠がどこまで掛け続けていかれるのか楽しみだ。

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